浅草・うなぎ小柳

浅草、「うなぎ・小柳」に足を運んだ。
うなぎを食すのは夏が定番とされるが、それは間違いだと言うことは誰しもが知っている。
以前は、うなぎをそれほど気にしてはいなかったが、最近、うなぎ話題で、なんとなく気になる食品に変わってきた、要するに、食べたくとも食べられなくなった、値段が上がった、それで足が遠くなったそれだけだ。
庶民の正直な懐事情だろう。
しかし人間意地もある、ましてや昭和の男だ、食べてやる、
夏のうなぎは見送ったが「秋のうなぎ」べつに意味はないが勢い込んでうなぎの浅草に向かった次第だ。
浅草のうなぎは別に有名ではないが懐事情を考えての行動だ。
銀座、紀尾井町、神楽坂、神谷町、赤坂山王、と名立たる名店にはとても足を運べない。しかし浅草には割と無理せずにのれんをくぐれるうなぎ屋が多い。
その一つが「小柳」だ。
浅草・浅草寺の夜景
浅草は楽しい、もう何十年も足を運んだことはないが、とにかく楽しい。
町の雰囲気も気取りがない、庶民感覚の町は変わらない。
しかし、妙な気取りがある、ある種の江戸っ子感覚(気質)だろう。
町は観光客でにぎわっていても歴史を感じる店はなんとなくよそよそしい。
冷たいのではなく、粋がっている風情が態度に現れているのかもしれない。
粋という言葉で片付けていいのやら、よく理解できないが庶民の浅草だ。
「小柳」の暖簾を分けて入る。
客は、庶民の代表たちが席についている。
早い時間に店に入ったが、すでにお客は“お重„と嬉しそうに向かい合っている。うなぎの香り?匂いは気持ちいい、すでにお腹はうなぎを待っている。
軽くビールを頼み喉にうなぎが通るのを待ち受けるまでの前座を務める。
待ちに待った、お重の登場だ。

見栄を張るわけではないが、「松」を頼んだ。
匂いが舞っている、日本の文化の「食」を代表するといってもいい「鰻重」だ。早速、箸をうなぎにさす。
お重の左下部分から、箸を入れ口に運ぶ、“うまい„、別に始めての食べ物ではないのに、味わいを感じながら、お重の中とのコミュニケーションに励む。
連れが、一言“皮が少し硬い„と。
勿論、「うなぎ」屋は、東京には数ある、一万円、二万円、とする「鰻重」もあると聞く、それに比べれば「小柳」の鰻重(松)は、いい線を行っている。
ご馳走さまでした。
満足の「小柳」“鰻重„でした。
Nagasawamagazine・編集部