NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

深江 賢に聞く

「深江・回想録・30」を超えて 編集長・特別インタビュー

フランチェスコ・トラーパニの熱い心に惚れた

Nagasawamagazineがスタートした時から輝いていた連載「深江賢・ブルガリ回想録」は30回を数える、ウエブ上でこれだけ長く続いている回想録は、まずないだろう。

今回、30回を記念して久しぶりに深江氏と語ることができた。

アスリートを感じるスタイルは若々しい、いつもの親しみに満ちた笑顔で深江氏は現れた。

回想録30回を校了して

回想録30回を校了して、回想録の中で印象に残ったエピソードは何かという問いに、

「ブルガリに出向したこと。伊藤忠を退社かするか迷った末、決心したこと」に触れた。

当時勤務していた伊藤忠商事から出向を命じられ外部の仕事に身を投じた深江が始めて出合った心を許せる戦友の一人が、ブルガリの若いトップ、フランチェスコ・トラーパ二だった。

 深江の伊藤忠時代は並みのサラリーマンにはない、大きなアップ・ダウンを経験したと語った。

 昭和40年代の高度成長期に部長直轄の超重要業務の専任に抜擢され、仕事は常に自分一人でこなし、部門収益の太柱であるがゆえに海外出張も自由という恵まれた立場にいたと深江は言う「若さゆえに抱きがちなエリート意識と自信からの傲慢さが鼻持ちならぬ態度に現れていたのでしょう。」

 その反動でオイルショックと言う節目の組織変えを境に、奈落の底に落ちたとも語った。その臥薪嘗胆の中に自分の居場所を探し求めていたのではないだろうかとも話す。

アルマーニ日本副社長から ブルガリ日本支社長へ

そんな中途半端な思いでいるときに、イタリアの最高ブランド『ジョルジオ・アルマーニ』から合弁事業出向の声がかかり外の空気に触れ、そこで自分を見つめなおすことができた。その後アルマーニ日本副社長の職を終え、新しい仕事を待機していた時に同じイタリア老舗ブランド“ブルガリ”の日本支社長の出向の話をもらった。

ブルガリは長い歴史を持つブランド超高級ジュエラーであることは理解していた。パオロ・ブルガリ会長、二コラ・ブルガリ副会長、という布陣で長い間イタリアのトップ・ブランドとして世界にその名は知られていた。

 

その『ブルガリ』に伊藤忠から出向を命じられた。世界のブランド『ブルガリ』を当時はまだ開発できていなかった日本のマーケットに乗せろ、という社命だ。

 それまで、商社の中で暴れてきたがいいこともあるが、いやなことも当然経験してきた。

男が男に惚れる

ブルガリを任せられ日本マーケットを変えていくことも面白いかもしれないと自分の心が動いていたが商社にはまだまだ未練があり、決断できずにいたという。

その悩みを霧散させたのが若いブルガリのリーダー、フランチェスコ・トラーパニだった。

「イタリアで何度も、彼と直に話し合いを持ったとき僕は初めて『男が男に惚れた』というセリフが理解できたんです」

 深江が商社に別れを告げ出向から退社転籍を決意したのも、自分がフランチェスコ・トラーパニに自分の人生を賭けて見たくなったからだった。

 「フランチェスコなくしては、今の僕はありません。第二の人生、僕の生き方は間違っていなかった」と深江は断言した。

 深江・回想録のなかでもそのエピソードが語られているので細かなことは省くがそれからの日本市場での“ブルガリ”の驚くべき活躍躍進は目をみはるばかりだ。
 ※日本のマーケットに殴り込みをかけ、ブルガリを世界の超有名ブランド店に仕上げていく過程は「深江・ブルガリ・回想録」をご覧ください。


人生の中で自分を壊して、新しい自分を作り上げていく機会を得ることは稀有であり、ほとんどの人が人生をそのまま全うすることに賭けていることが普通だろう。

 一人の人間に会い、自分の人生をその男に託すことができるなんて男冥利、人生冥利に尽きる。


      『男が男に惚れる』

男・深江賢は暑く言う、素晴らしい人生を過ごさせていただいたと。


『男』の生き方を教わった

これまで何度もお会いしてきた、その都度、男らしく爽快なお話を伺っているが、今回は深江さんの奥に潜む、“男”の生き方を教わった。

nagasawamagazine「深江・ブルガリ・回想録・30」を校了して、思うことは、僕のマガジンが続いている限り書き続けてほしいと深く心に感じた。

企業人、普通人、どちらでもなく、たぎる熱情が吹き上げる“男・深江賢”を肌で感じたインタビューでした。

 NAGASAWAMAGAZINEは「深江・回想録」を中心として構成していきます。そして、これからもあらゆるエンターテイメントの世界を探り、その情報をどこよりも細かく展開していく所存です。

これからも、お楽しみいただければ嬉しいです。

 企画・取材・NAGASAWAMAGAZINE・永澤洋児