NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

深江・賢に聞く

14稿を迎えて「回想録」を振り返る。

記事はこちらから >> ブルガリと私の回想録

「僕はB型だから、くよくよしないんだよ!」

「僕はB型だから、くよくよしないんだよ!」


相変わらずのダンディスタイルで現れた深江さんにチョット、意地悪な質問した。

 

「会社(伊藤忠)からブルガリに出向を命じられた時の心境は」の答えだ。

多分、苦しみ、悩み、あらゆる信頼の揺らぎ、多くの悩みが深江さんを襲っていたに違いない。

しかし、今の彼からはそうした心の言葉は聞かれない。むしろ、アイスホーケーでの戦い後のすがすがしさを感じる。

 

一年前、ウエブマガジン・NAGASAWAMAGAZINE・をスタートするにあたって、マガジンの柱になる読み物が欲しかった。

僕のマガジンに相応しい厚みのある心地よい人生の会話を書ける人、誰か一人の人に連続ものを書いてもらいたかった。

そのとき、僕の頭にあったのは、ブルガリの深江さんだった。

深江さんとのお付き合いは、ただ、メディアにいる僕と、ブルガリというブランドでの間柄だけのお付け合いだ。

僕と深江さんとの出会い

ブルガリが日本に上陸して、人たちに知られるようになったきっかけは、

バブル全盛期の終わりが近い時期、時代だ。

そのころの多くの人たちはバブルに踊り、踊りつかれる寸前にブルガリは日本を席捲していく。面白く楽しい時代だった。


メディアの片隅にいた僕がブルガリを取材対象にしたのは、ファッション誌だ。

当時、各出版社は挙って、女性ファッション誌を発刊した。

そのなかに、勢いのある某ファッション誌に「ブランドを探る」企画書を出し、そのなかにブルガリも選出した。


エルメス、カルチエ、フェンディ、フェラガモ、そして、ブルガリだ。

企画内容は、各メゾンを訪ね、トップにインタビュー、今考えると、恐ろしい。

お金もかかるし、ブランドの全ての交渉、一人で全て手配した。


当時の各ブランドには、優秀な広報の存在があって、その人たちが僕の企画を成功させてくれた、と言っていいだろう。


ブランド広報で一番印象に残った一人に、ブルガリ、鳥羽秀子さんがいた。

彼女は、アルマーニから深江さんを頼って、というより深江さんがハンドした、といった方がいい。当然、深江さんは、ブルガリの広報のトップに据えた。

気がつけば14稿

深江と鳥羽のコンビが、その後のブルガリの日本のファッション市場を席捲していく。

その時代のファッションを作り上げてきた一人に深江 賢がいた。


伊藤忠という総合商社にいて、ファッションに興味が無かった男・深江 賢・が、世界のジュエリー・ブランド・ブルガリを、日本に根付かせた、花を咲かせた。

その男の生きかたに痛烈に興味があった、湧いた。

 

NAGASAWAMAGAZINE 『回想録』は深江・賢にお願いしようと思った。

深江 賢という男のすごさは、僕の話に素直に乗ってくれたことだ。

ブルガリのトップにいた男に、ただ普通のメディアマンである永澤のウエブ・マガジン上に、『回想録』を書いてください、という申し出を快諾してくれたことは深い。


「僕は
B型だから、くよくよしないんだよ」 男の器を感じた。

 

NAGASAWAMAGAZINE上の「深江・回想録」も既に14稿を数える。

多くの人たちからのコメントも頂き、いまや、僕のマガジンの主軸だ。


記事はこちらから >> ブルガリと私の回想録

深江さんに「回想録」14稿を迎えての話を聞く。

「僕は、まず、ブルガリでの10数年、一緒に戦った仲間に何を残したんだろう、自分に問うて見たんです、勿論、僕、自身に対してもですが・・」

深江さんは一年前、回想録を書くことになったときの思いを続けた。

「自分が歩いてきたプロセスを、何かに書き留めておく事も必要だな、と感じたし」笑いながら、「実は、本当はボケ防止になるかな・・」


そして、回想録のスタートに、何をトップにしようかと考えた末にと、話し始めた。


「当初、日本にブルガリというブランド店は、大阪と東京にあるだけだったんです

イタリアの小売店です」

 

笑みを浮かべながら話す、深江の表情は何かを思い浮かべるように視線を遠くに投げていた。

 

総体的なブルガリを語ることがいいのか、当時のブルガリは完全なファミリー企業だ。

日本の昔の商店と同じ、と思っていいのか、それとも、全然違うのか、そのあたりをポイントで書いてみようと決めたと話す。


現在のブランドは、全てが企業化され個人のレベルではビジネスになりえないが、20世紀では、ブランドのほぼ全てがファミリー経営だった。

深江は話す。 

「どう、日本のお客をブルガリという新しい商品に興味を持たせるか、向けさせるか、鳥羽を始め、その当時の仲間達とのブレーンストーミング(Brainstorming)は、凄まじいものだった」

「とにかく、ブルガリの商品は全てが大柄、大きいです」

たしかに、宝石(Jewelry)も、時計、イヤリング、ブレスレット、と、とにかくデザインが大きい、そうした商品を日本の顧客達に、どう興味を持たせ、向けさせるか、それには、相当の戦略が必要だ。

日本人の今までの宝石のイメージの価値観を、変えていくためにはどんな策があるか鳥羽たちとの連日の議論はいままでないほどのエネルギーでストーミングは続けられた。

 

「スタート時点でのブルガリスタイルが、現在も守られていることは、当時社内でしっかりとしたブルガリコンセプトを我々で作ってたからだと、僕はいま、回想録を書きながら深く自負しています」


回想録内写真についても「改めてどの写真を使おうかと探しながら、当時を振り返って感じた事は写真は実に正直であるということです」

 

「写真に映し出されている自分とその背景、当時の時代が脳裏に蘇ってきます」


人生は長いか短いか、人それぞれ、振り返ることは出来ても、戻る事は出来ない。

写真が語る全ては正直だ、良し、悪し、それが人生なのだ。

深江さんは、振り返るが、悔いてはないと、スタイルが語っている。


「人生は、人間の織り成す生きるプロセスが、いかに面白いか、詰んないか、に全てが凝縮されているように思える」と、『回想録』を書き始めて思ったとも、語った。

多分、深江さんのブルガリは、まさに、彼の呼吸の瞬間を捉えている。

 

「ブルガリと僕とのバトルは、もう、殆ど書き終えた気がします、が、まだ、語りたいパーツもあります」

 

「今回14稿を書き終えて、15稿も既に書き終えありますが、今後は、ゆったりとした自分と仲間達との交わりなどに触れていきたいと思っております」


「写真もまだ、膨大な数が書斎に山済みされています。」と語る深江さんの表情は嬉しそうだ。

 

話は、プライベートに移ると、身を乗り出して語り始めた。


「アイスホッケーはいまでも現役です
と、言いたいところですが、、、笑いは正直だ。


しっかりした下半身、たしかに、まだ、充分に格闘技アイスホッケーに対応できると身体は語っているように見えるが、だが、「日本女子アイスホッケーは強いですよ」とは話題を変えて、誇らしげに話す深江さんを見ていると、”やはり”です。

ゴルフは週一はグリーンに出る。


「相手は同窓仲間はもちろんですが、アイスホッケーの後輩たちや、
伊藤忠、アルマーニ、ブルガリ、OB達から、若い現役まで幅広くゴルフを楽しんでます」


若い仲間とスクラッチでニギルのが生きがい、と話す深江さんは若い。

また、『回想録』のおかげで、講演も増えていると付け加えた。


「回想録のおかげで、<ラグジュアリービジネスのトップ経験についての>講演も増えていて、人
生面白いですね」


お茶目な笑顔が素敵だ。


 

NAGASAWAMAGAZINEは「深江・回想録」を中心とした構成で、これからもあらゆるエンターテイメントの世界の情報を展開して行きます。

お楽しみいただければ嬉しいです。

 

取材・文・NAGASAWAMAGAZINE・永澤洋児

フォトグラファー・五頭 輝樹

 

取材場所・シェラトン都ホテル・ラウンジ・バンブー