NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

洒落・おやじの青春取材記  5 工藤 毅志

「夏が来れば想い出す。遥かな南仏、碧い海~」

このマガジン愛読者は、熱心にご意見や感想を送ってくださると、永澤編集長から話を聞いていますが、特に旅行やグルメなどの記事をご覧になって、早速出掛けられたり、ご自分の計画の一部に参考にされたりという読後感をお聞きすると、僕もつい嬉しくなってしまいます。さて、「タイトルの「夏が来れば……」の歌詞は、尾瀬と続く昭和時代の歌の出だしを替えただけですが、これを口ずさむ方に、尾瀬に替わって南仏をお届けしようと思います。

兎に角、南仏に出掛ける旅行者は、日本に限らず、データを見てないので判りませんが、フランスの観光地の中でも群を抜いて多いでしょう。もう25年以上も前に、「プロヴァンス」の付く書籍が多数出版され、その暮らし振りをイギリス人が書いた本も、内容について真偽の程を云々するなど話題に上ったくらいですから。

一口に言って「南仏」って何処のことでしょうか?地図をご覧の方は直ぐお分かりのように、ヨーロッパ大陸が地中海に面しているヨーロッパの国は、東から西へ、主にイタリア、フランス、スペインの3か国。雑駁に言えば、イタリアとの国境にある町、マントンから西へ、モナコ公国、ニース、アンチーブ、カンヌ、サン・トロペ当りまでが、映画にも登場する有名なコートダジュール(紺碧海岸)、フランス第2の都市、マルセイユからエクス・アン・プロヴァンス、西へアルル、レボー・ド・プロヴァンス、オランジュ、アヴィニョン、ニームがプロヴァンス地方、更に西へ、スペインの国境まで、主な都市は、モンペリエ、トゥールーズ、エグ・モルト、サント・マリー・ド・ラ・メール、カルカソンヌ、ペルピニャンへと続くミディ・ピレネー・ラングドッグ地方ということで、長い距離ですよね、南仏って。

僕が最初に南仏を訪れたのは、まだ1ドルが360円の時代

僕が最初に南仏を訪れたのは、今から43年前の1972年6月、その年は南仏とは直接関係ありませんが、沖縄返還の年で、日本赤軍のテルアビブ乱射事件があり、1ドルも360円時代という大変な時でした。何故、そんな想いをして南仏に行ったのか、そのストーリーは、半世紀前の1964年・東京オリンピックに遡るので、また暫く経ってからこの青春取材記に書こうと思っています。

その時は、アエロフロート航空でデンマークのコペンハーゲンに降り立って、日本で購入したユーレイルパスを使い、デンマークを出発し、ドイツ、スイス、オーストリー、イタリア、ローマから地中海沿岸を国際列車で国境を越えフランスへ向けて夜行列車に寝泊まりしながらの貧乏旅行で、紺碧海岸を汽車に揺られ、着いた所がマルセイユ。駅の改札口を出たところに、昭和39年(1964年)東京オリンピックで知り合ったフランス人のボネ夫妻が迎えに来てくれて、マルセイユから車で30分ちょっとの美しい小さな村の自宅へと案内されたのだった。ミモザの黄色い花が2階のテラスにしな垂れた景観の中でコーヒーを味わったのが、カルチャーショックでした。3日間を過ごし、プロヴァンスの見所を案内してもらい、すっかり南仏ファンになったのでした。

次に訪れたのは、10年経った1983年6月

次に南仏を訪れたのは、更に10年経った1983年6月、今度は、フランス政観のプロモーションで、プロヴァンスのメディアツアーに参加したときです。スタートはやはり、マルセイユからだった。メディアの同行者は、その時学研にいた小生の他、女性誌出版社の雑誌編集長と別の女性誌編集担当の男性と合わせて3人、婦人誌出版社のライター、甘新聞社の婦人欄担当記者の女性2人に仏観光局の女性の6人でした。東京からパリ経由でマルセイユまで、飛行機は勿論エールフランス。カメラマンは編集者が兼用で、各自の雑誌に合うように撮影をするという条件であった。その時の移動は8人乗りの車で、運転者は地元、マルセイユの若者で、名前はポールだかピエールだか忘れたが、よくある名前なので、この気のいい若者を、冗談で「太郎さん」の愛称で呼ぶことにした。道中、地元出身なのに、よく道を間違えて行きつ戻りつする度に、運転する彼に、タローちゃん、右だとか左だとか、地図を見ながら声をかけたのを、懐かしく思い出します。

マルセイユからプロヴァンスの景勝地、レボー・ド・プロヴァンスやアヴィニョンなどを回り、各町や村の観光局の女性たちからの説明を政観の担当者の通訳で聞きながらの撮影で忙しかったのもやはり、懐かしい思い出だ。

この時、宿泊したアヴィニョンのホテル「ル・プリウレ」は、ルレ・エ・シャトーに属している素晴らしいホテルで、「そういえば、72年の最初にボネ夫妻と尋ねたアヴィニョンで食べたランチが此処だったのだとその偶然に驚いたが、考えてみればフランス人自慢の場所だから当たり前といえばそれまでですけどね。門から玄関、中庭に続く赤とピンクの薔薇のアーチが目に焼き付いていたので。

南仏の旅 ベスト5

さて、昨年、2014年7月に思い立って出掛けたモンペリエ行きまで、全10回の南仏の旅を経験して、南仏の旅を愉しむ最大の特徴は、その地方の宿泊先にあると思うのです。これは、あくまでも個人的な意見だが、そう度々行かれないなら尚更のこと。旅の目的は色々だが、自分の心に残る経験は回数だけではないからです。

僕の拙い経験から今回は、南仏でのベスト5をご紹介したいと思います。このホテルは全て僕が宿泊したか立ち寄って食事をした処です。ご参考になさってください。「夏が来れば、想い出す、遥かな旅路になることを祈って」掲載の写真は、現在のものです。

5つのCが基準の“RELAIS & CHATEAUX(ルレ・エ・シャトー)


1954年にこのルレ・エ・シャトーはフランスで誕生したホテルとレストランの会員組織で、パンフレット流に言えば、5つのCを満たす厳格な審査で承認されたお墨付きのホテルということになる。Courtesy(心の籠ったおもてなし)、Charm(洗練された魅力)、

Character(個性的なスタイル)、Calm(静かな寛ぎ)、Cuisine(美味なる料理)と、絵に描いた様なCだが、発足から約半世紀、ずっと続けている組織は世界的に珍しいと思います。ミシュランガイドの星のような感じもするが、今や2015年、世界62か国に540のホテルとレストランがあるとのこと。

因みに日本では、僕の大好きな伊豆修善寺温泉の「あさば」松本扉温泉の「明神館」などの老舗旅館も以前から入っているのも嬉しい限りだ。

 

*僕の南仏お勧めの5軒はここ。

1.「LE PETIT NICE-PASSEDAT(ル・プチ・ニース・パセダ)」

マルセイユは、プロヴァンスの玄関口。僕が1986年3月末、ここから車を借りてコートダジュールをニースへ向かう計画で東京から予約を入れて最初の宿泊地であった。町の中心から地図を頼りに細い道を通りホテルの門まで辿り着いた。このホテルは写真を見るとお分かりのように、海に面した崖の上に立っていて眺望が素晴らしい。思わずこれだっ‼と叫んでしまった。

テラスもプールも陽光も遥かに臨む紺碧も南仏の光に満ち溢れていた。

尋ねた時期が春だったからシーズン前で、我々以外は客人がまばらでゆっくりできた。レストランではお蔭で(?)オーナーシェフのパセダ氏が、料理について丁寧に話をしてくれた。

当時のオーナーシェフのジャンポール・パセダ氏からサイン入りのメニューを貰い、今も大事に持っている。いつまでもそうありたいと願って。「A Monsieur KUDO Tres Sympatique Journalist Japonais(感じの良い日本のジャーナリスト工藤さんへ)」

現在、ミシュラン三つ星を続けているという。マルセイユをこよなく愛するジェラールシェフの料理はマルセイユの市場で地元の漁師の獲れたての魚介類を使った自慢のブイヤベースだ。

 

www.relaischateaux.com/passedat

写真提供・Relais&Chateaux

2.「LE CHATEAU SAINT-MARTIN & SPA(ル・シャトー・サ      ン・マルタン&スパ)」

マルセイユからコートダジュールを東に向かって、ニース近くから左に山の方へ向かってサン・ポール・ドゥ・ヴァンスの町をもう少し上ると、この眺望の素晴らしいホテルが現れる。

石灰質の景観は、周辺の風景に独特な雰囲気を醸し出している。このホテルはかつてのテンプル騎士団の贅沢な館だとのこと。後ろの岩山を背景に、プールサイドからは、眼下に紺碧の海を見ながら泳ぐさまは、天上から見下ろすかの様な錯覚を覚えた。ちょうど、ドイツ人の家族が宿泊していて、天使のような幼児が水遊びをしている姿を見たからかもしれない。サンポール・ド・ヴァンスは中世の城壁を未だに残し、マチスやシャガール、コクトーなどの芸術家達が好んで創作活動したのも頷ける

。現在のシェフは、Jean-Luc Lefrancois(ジャン=リュック・ルフランソワ)氏

 

www.relaischateaux.com/stmartin

写真提供・Relais&Chateaux

 

3.「CHATEAU DE LA CHEVRE D’OR(シャトー・ド・ラ・シェーブル・ドール)」

コートダジュールで一番行きたかった場所、エズ・ヴィラージュ(村)。

車の駐車場はホテルのはるか下で、そこからは徒歩で山道を上がるのだが、重い荷物は下で預けるとホテルの荷車が運んでくれるが、それも大変な作業だなと思いつつ、ホテルの玄関まで城壁のような道を上り、ドアを開けてサロンに入るとこれでこのホテルの凄さが判った。眼下はニースまで転げ落ちるしかないと大袈裟な表現になる程の絶景だからだ。

さて、ホテルの名前が何故、「金の山羊」なのか、とレセプションで尋ねると、「昔中世の時代に、この道を歩いてきた人が夕暮れで道に迷って思案していたら、前方に金色に光った羊が現れて道案内をしてくれたという逸話から付けた名前だと言った。この崖のような丘陵ならではの話だし、ありそうなことだと思った。

崖の上のプールの横、ニースの海を眼下に見下ろしての朝食は、朝の陽ざしを浴びて紺碧海岸を満喫しつつ、独り占め気分だった。ここでものんびりと読書をしながらの朝食中のドイツ人男性客に出会った。彼はバカンスで1週間の滞在だと言っていたが、それ程飽きないのだ。レストランからの眺めも料理の美味の内といわれるような景色だが、料理はミシュランの二つ星に輝いている。シェフはRonan Kervarrec(ロナン ケルヴァレック)氏

www.relaischateaux.com/chevredor

写真提供・Relais&Chateaux

4.「LE PRIEURE(ル・プリウレ)

また、プロヴァンスに戻って、最初に出てくるこのホテルのオーナーは、Jean-Andre Charial(ジャン・アンドレ・シャリアル)氏で、熱狂的なプロヴァンス信奉者だそうで、アヴィニョン対岸の村にあるかつての僧院をリフォームして美しき感動的なホテルに甦らせてプロヴァンスの魅力を余すことなく表現したのだ。僧院のあったアヴィニョンの自然に調和されたホテルの趣は、プロヴァンスの食材を愛でる料理の数々にも現れている。

シェフは、Fabien Fage(ファビアン・ファージュ氏、ミシュラン一つ星に輝いている。

www.relaischateaux.com/leprieure

写真提供・Relais&Chateaux

 

5.「OUSTAU DE BAUMANIERE(ウストー・ド・ボーマニエール)」

「LA CABRO D’OR(ラ・カブロ・ドール)」
www.relaischateaux.com/oustau

写真提供・Relais&Chateaux

上記の二つのホテルとも、4の「プリウレ」のオーナーシェフで、同じ経営。こよなくプロヴァンスを愛するオーナーは、このレボー・ド・プロヴァンスの景観を見事な調和で、オーケストラを奏でる指揮者のごとく自然との融合とオーナー家のワインの香りとプロヴァンスの美味を作品に仕上げて演奏したのでした。僕がかつて訪れた時に、この作品集を味わいに、来訪したいと思った処だった。ミシュラン二つ星に輝いている。

 

さて、南仏へは、パリからはTGV(フランス新幹線)でマルセイユやアヴィニョン迄下るか、空路でパリからマルセイユ・プロヴァンス空港かニース・コートダジュール空港を起点にするか、レンタカーでパリからA6道路(別名夏は南仏に向かう車で混むので太陽道路)を南下するか、ガイドブックや地図を見ながら計画を立てるのも楽しい旅の始まりです。夏ばかりでもなく、ニースのカーニヴァルや美術館やコンサートなどのイヴェントに合わせて、それぞれの地方に合わせた彩りを楽しめるのがまた、南仏の良さでもあります。

 

是非、下記の案内のサイトから、情報を得て、(電話ででも)色々とお聞きになることをお勧めします。

日本語での案内

http://www.relaischateaux.jp/index.html

洒落おやじ・工藤 毅志・2015年・8月