NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

洒落おやじの青春取材記 17 工藤毅志

再び、平和への祈り

桜のシーズンが終わり、五月晴れになると、新緑を愛でに出掛けたくなる。行きたくなると無性に行きたくなるので、前もって、広島、山口への世界遺産を巡る旅を予約しておいた。何故ならこのツアーの行先にある世界遺産の中に、広島の原爆ドームがあったからであった。この旅は2泊3日で、旅行好きの中高年層の多い団体ツアーだった。

6月5日(日)羽田から空路、広島空港へ降り立ち、ポンコツおやじの旅が始まった。広島の山の方にある空港から約1時間、最初の世界遺産は、海の中に立つ赤い鳥居で有名な安芸の宮島・厳島神社だ。出版社に入って間もない頃、もう半世紀近い前に行った時よりもずっと、整備された感じで、多くの観光客が参拝に訪れて賑わっている。あちこちで、鳥居や境内を背景に、スマートフォン等で、撮影合戦を演じている。それから、宮島のロープウエーで獅子岩展望台へ上がり、瀬戸内海に浮かぶ島々や美しい新緑の風景を、昔はこんなの無かったよな~と独り言を呟きながら、展望台から眺めていた。ロープウエーが到着する度に外国人観光客も弥山本堂や山頂を目指して、昨日、梅雨入りしたにも関わらず、曇っているが青空の覗く新緑の中を歩いていく様は、平和な国の姿を映し出しているようにも見える。我々ツアー客の同年代カップルも新緑に染められた風景の中で、思い思い、被写体になって、足取りも軽いように感じた。その夜は、ライトに照らされた鳥居の海上参拝も行われた。

6月6日月)いよいよ、広島平和公園(世界遺産の原爆ドーム)を朝一番に訪れる。広島のほぼ中央に位置する平和公園は緑に映えて、此処にも、世代や人種を超えて、老若男女が日本で長崎と共に唯一の悲劇に見舞われた世界遺産の地を確かめるかのように、それぞれがデジカメに収めていった。遠目にドームが見える木のベンチに座って、ちょっと悲し気な顔をしてドームの方へ視線を投げかけていた年配の外国人の紳士の様子も気になりながら、此処に5月27日、今から10日ほど前、アメリカの大統領オバマ氏が、米国大統領として、初めてやって来たという事を思って、原爆ドームを見つめていると、自分の過去のことが蘇ってきた。

 

 

僕は、第2次世界大戦の勃発1941年12月から1か月後、42年の1月16日に、父の出征中に、母の突然の陣痛で、7カ月の早産児となって、この世に誕生した。戦況が怪しくなり房総半島突端に近い内房に疎開して、昭和20年、終戦を迎えた。ここは、終戦前の東京大空襲等での戦闘機B29の通り道で、低空飛行の戦闘機に気をつけていたという話を、母からよく聞いた。空襲警報のサイレンのウ~という不気味な音、一度、警報が鳴って、庭の木々の奥にあった防空壕に入りそこなって、慌てて母が畳にうつ伏せにして、縁側の遥か向こうに、焼夷弾の火の明かりがあられのように降る様と爆音が、幼児だった僕の唯一の戦争の恐怖を体験したのだった。更に、疎開先の小学校に入学して低学年で、学校で観た「原爆の子」の映像は、幾度となく、僕の夢に登場し、夜中に泣き叫んで母が落ち着かせるのに苦労したようだった。

アメリカの大統領ということで、話は少し脱線するが、僕が高校生の頃、英語の先生が、英語を勉強する方法として、ペンフレンドを勧めていた。僕も始めて、相手は多分テキサス州の女性だったと思うが、何回か他愛のないやり取りだったが、ケネディ大統領が40の若さで誕生というニュースで、早速ペンフレンドに、おめでとうと言う趣旨のことを末尾に付けて手紙を出したのだか、それきり音信が途絶えたのであった。きっと、ケネディの支持者の家ではなかったのだろうと勝手に想像して終わってしまった。

オバマ大統領が広島に来た事を思うと、隔世の感がある。

さて、旅を続けよう。

広島を離れて、次に向かったのは、山口県の岩国。世界遺産の錦帯橋と岩国城が目玉だ。

錦帯橋を渡って、岩国城へはケーブルカーで登る。城としては決して大きくないが、小さいながら味わい深い。そして、錦帯橋の麓にある割烹旅館の食事処で「岩国寿司」を食べた。寿司飯の上に卵など色取り取りの具をのせてミルフィーユのように何層にも重ねて木枠に入れて押したこの地の郷土料理みたいなもの。店の人に話を聞いてみると、岩国では、家庭毎で、祝い事などの行事があると独自の作り方で創るそうだ。城下町らしい風習だ。

 

岩国を後にして、ツアーバスは、一路カルスト台地の秋吉台に走らせた。雄大な景観を見ながら、秋芳洞へ向かった。気の遠くなる程の年月を経て作り上げられた自然の創作物は、自然に逆らうことなく、また、何億年も続いて時を刻んで行く様を想像すると、不思議な気がする。今夜の宿泊は、日本海側の長門市の湯本だ、

6月7日(火)

3日目の最終日。ここ長門市仙崎にある青海島の景観(パンフレットは、海上アルプスと

謳っている)を観光船で日本海の荒波を乗り越えて一回りした後、仙崎にある「幻の童謡詩人」と語り継がれるようになった、金子みすゞが20歳まで過ごしたと言われる「金子文英堂 書店(奥にみすゞ記念館)」の明治から大正にかけての時代に思いを馳せて、萩城下町、松陰神社と松下村塾、島根県の津和野に立ち寄って、山口宇部空港から羽田へ、機上の人となって、ポンコツおやじの旅は終わった。

 

翌6月8日朝、自宅で朝日新聞の一面に「オバマ氏の折り鶴、4羽公開、原爆資料館、明日から、という見出しで、「将来の平和を託された気持ち」とオバマ氏から渡された中学生男女二人のコメントを読んで、次々世代に繋がる平和への祈りが伝わったことに、オバマ氏の来訪にほっと胸を撫で下ろしたポンコツの旅であった。

期せずして、昨年の6月号は、ミャンマーのバガンで、平和への祈り」であった。

 

洒落おやじ・6月9日(木)記