NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

洒落・おやじの青春取材記 3 工藤 毅志

「プッチーニとルッカ」

NAGASAWA MAGAZINEを4月号から読んでいる読者は、4月号コンテンツの左横に、書斎によくあるデスクに座っている洒落おやじはいったい何者だ?と思ったに違いない。何を隠そう、今回のテーマ、プッチーニとルッカに関係があるのだ。

書斎のような机を前に座っている奇妙なおやじの写真
書斎のような机を前に座っている奇妙なおやじの写真

プッチーニの役を演じることになった経緯(いきさつ)・・・

僕が雑誌の編集をやっている時から、雑誌のPRや企画の情報収集、編集者を招いての海外ブランドのイヴェントやレセプションに出向いたりする機会に、各国大使館や観光局、文化会館が多々あり、その中でも、僕は千代田区九段にあるイタリア文化会館に行く機会がどうゆうわけか多かった。

丁度2008年の初夏、イタリア国内にある、クルトゥーラ・イタリア―ナを調べていて、文化会館の図書館で、資料を前に広報担当の女性と話をしていた時だった。

その前を、当時の文化会館のウンベルト・ドナーティ館長が通りかかった。僕の顔を見るなり、「Ah~KATEIGAHO」と声をかけ(家庭画報と国際版の愛読者でもあったので)、いきなり、「君はプッチーニが好きですか?」と聞いてきた。突然だったので、「プッチーニは知っていますし、音楽は好きです。」と答えたら、館長さんと一緒にいた、日本語べらべらのジョバンニ・ベルベルシさんに用件を伝えてその場を離れていった。そして、その時「イタリアに行くなら、ルッカに行ってごらんなさい。好いところですよ。」と言った。ルッカは館長さんの出身地でもあったのだ。


ジョバンニさんにどういうことですかと尋ねると、「館長は、思い付きの凄い人なんですよ。実は、この秋11月に、この会館のアニュエッリホールで、プッチーニフェスティバルをやることになっていて、そのプッチーニ役をやって欲しいということです。」それを聞いて、「何? 何で役者でもない編集者の僕が?」と不思議な顔で尋ねると、「このプッチーニ役は日替わりで演じる為3人必要で、一人は日本の有名な作曲家、三枝成彰氏、もう一人は声楽家の岡村喬生氏です。このお二人は決定で、あと一人は音楽関係でない人にということになって、編集者の工藤さんにどうかと、館長は工藤さんに会って今思いついたのですよ。まだもう少し時間があるので、考えておいてください。」ということだった。


「誰か他に適任者いるか捜してみます」と答えてその場は別れた。

縁と言えば縁だがこれは大変だ。夏までにはちゃんと決めておかなければと思った。

トスカーナ州のアレッツォでプッチーニの本に出会った。

この役を引き受けることになったのは、その夏に、家庭画報国際版の編集を終えて、僕の連れ合いがアレッツォのクルトゥーラ・イタリア―ナにイタリア語の勉強に行っていたので、追っかけて行った宿泊先のアパルトマンでオーナーの父親が使っていた古い書斎の本棚の蔵書の中に、プッチーニの書籍を見つけたのだ。それをそっと取り出して見返しを見ると、プッチーニ自筆のサインがあって、思わず声を上げてしまったのだった。何と100年も前の上製本だ。何かの因縁かも、これは引き受けるべきなのだと素直に思った。

丁度国際版の仕事も終わり、新しいことに挑戦する時期だと自分に言い聞かせて、帰国してから直ぐにジョバンニさんに逢いにイタリア文化会館に出向いた。

彼は非常に喜んでくれて、早速、今後のスケジュールなどを話してくれた。

その内容と趣旨は、当時のチラシに書かれているので、一部抜粋してみよう。

Le Donne di Giacomo Puccini(ジャコモ・プッチーニの女性たち) 

今年で2回目を迎えたプッチーニマラソンコンサート。

マエストロ・プッチーニの生誕150周年を祝って、再びイタリアからプッチーニフェスティバル財団がやってきます。日本初「ジャコモ・プッチーニの女性たち」という公演は、プッチーニの書斎を再現した舞台でプッチーニ自身が彼のオペラに登場する女性の話をするという設定で、全オペラの有名なアリアを披露します。

チラシはこの様に謳っている。

イタリア本国での毎年恒例のプッチーニフェスティバルは7月から8月にかけて、トッレ・デル・ラーゴの野外劇場でトスカやトゥーランドット、蝶々夫人などのオペラを公演するのだが、この時の演目は、生誕150周年ということもあったのだろうか、プッチーニが作曲した全12のオペラ作品に登場する14人の女性たちの話と彼女たちが歌うアリアで、プッチーニの全てが判るという、魅力的でアイディア溢れるコンサートに、僕自身もびっくりしたのだ。

僕に説明したジョバンニさんと連絡を取り合って少しずつ概要が判ってきたが、僕はただもうあと1か月に迫っても、何をしておけばいいのかもわからなかった。


セリフを覚える時間が無いという不安も押し寄せてきた。少し経ってから、イタリア語のセリフが届き、今日本語に翻訳中というところまできた。お客は殆どが日本人だから、3人の日本人がそれぞれプッチーニ役を日本語で喋るのは好いとして、暗記は出来ないので、どうするか? 書斎の机で楽譜を見ている感じにして、その中に大きな文字でセリフを書いた紙を順番に挟み込んで、それを見ながら演技しようということにした。それにしても一応覚える努力は必要だ。プッチーニ財団がやってくるのが、11月1日(土曜)初日の3日前、リハーサルはその前日1回という過酷なスケジュールだ。えい、過酷なスケジュールは、長いこと雑誌の仕事をやっていたから、もう慣れっこだから、と肝っ玉は座った。


その前から、家族や友人、知人に拝み倒して、関係者以外の全席を埋めることもできたし、後は天にお任せで、10月31日前日のリハは何とか乗り切ったのである。

プッチーニが物語るオペラ作品一つ一つの語りが、編集者の仕事の独白のように胸に迫った。

初日は、一番手で編集者の僕がプッチーニをやる。当然肝っ玉が座ったとはいえ、緊張は普通ではなかった。

幕が上がり、舞台左端に設えた書斎机に座っているプッチーニ(自分)が口を開く。(心臓がバクバク)

「ミ キアーモ ジャコモ プッチーニ(私はプッチーニ)。私のマドンナたち! 私のオペラに現れるヒロインたちは全部で14人。私が喜んで世に送り出した12のオペラ作品。これからご紹介しよう。」と最初のフレーズを一気に話して、一息つくと、緊張がすっと引いた。

更に続けて語る。

「最初のヒロインは勿論……もしかしたらほんの少し…弱々しかったかもしれない! 音楽出版社ソンゾーニョのコンクールのために「妖精ヴィッリ」を書いたとき私はまだ25歳半ばだった。私はコンクールに入賞しなかった……全く不当な仕打ちだったが……しかし同時に幸運なことでもあった。妖精ヴィッリはソンゾーニョよりずっと重要な出版社であるジュリオ・リコルディに購入されたのだ。そして、あのヴェルディ……ジュゼッペ・ヴェルディが私の作品を認めたのだ。エマヌエレ・ムッツィオがリコルディに送った手紙を読むと、私の胸は今でも高鳴る。「ヴェルディは既に数週間前に、君が30年間探し求めてきたものを、ついに見つけたよ。それは、プッチーニという正真正銘のマエストロだ。彼はまさに非凡な才能を持っているようだ、とね。」“正真正銘のマエストロ‼ ああ‼ なんという喜び‼ そしてこのオペラは、トリノでも、ミラノのスカラ座でも成功を収めたのだ。」

ここまで言い終えてプッチーニ役の自分は一旦席を立って退出する。

そこで、演奏が始まりアンナ役の歌姫が「もし私が小さな花ならば」を歌う……

こうして次々に、プッチーニの独白が入ってはアリアが続くのであった。

そのあと「エドガー」「マノンレスコー」「ラボエーム」と続き、有名な「トスカ」の「歌に生き愛に生き」のアリアが歌われ前半を終わった。後半は「蝶々夫人」の「ある晴れた日に」から始まり、3つのアリアが歌われ、「西部の娘」「つばめ」「外套」「修道女アンジェリカ」「ジャンニ・スキッキ」そして、最後は「トゥーランドット」の3つのアリアで締めくくられた。この最後のオペラ「トゥーランドット」は、プッチーニの遺稿となった作品で、舞台上でも、最後に椅子の上で息を引き取るという演出をして,幕が下りた。

イタリアからのオペラ歌手に日本のオペラ歌手を交えての歌手達、本国の野外劇場でも演奏した伴奏のピアニスト、バイオリニスト、ミニオーケストラの演奏家たちへ、野外劇場と違って400人で一杯の小さな舞台に繰り広げられたプッチーニフェスティバルに、惜しみない拍手が鳴りやまなかった。

この2時間にわたる公演で、プッチーニの全作品を「プッチーニが語る女性たち」という切り口で観客を魅了させたというフェスティバル財団の演出には脱帽だ。

観客たちが帰り際に、「プッチーニの全作品が判って、しかも有名なアリアが聴けて最高!」と口々に言って帰る満足顔を見て、無事に雑誌を発刊できた時の心境に近かった。

プッチーニの生誕地「ルッカ」を尋ねた。

あれから4年後の2012年8月後半、「ルッカ」に行ってみることにした。トスカーナの入口、フィレンツェ迄は空路で、そこからフィレンツェ国鉄駅へ出て「ルッカ」駅まで行った。色々調べてみると、トスカーナ州にはワインの名産地だけに、民宿のような小さな家庭的なホテルが郊外にかなりあったので、その資料から駅に近い1軒を見つけて、ネットで空き状況を聞いて決めた。メールでのやり取りは順調に進んだので、「ルッカ」駅まで迎えに来てもらうことにした。駅前に降り立って、携帯から電話して15分、宿の女主人アンナさんがニコニコ顔を見せながら我々を見つけた。「ボンジョルノ、ようこそルッカへ」と車に迎い入れて、直ぐに宿へ向けて出発し道すがら、プッチーニフェスティバルのことやこの町のことなどを話した。日本の田舎を通り過ぎていく長閑な感覚だった。

宿に着くと、庭に小さなトマトが実っていて、民宿の味わいがたっぷり詰まった風景に大満足だった。今日から4泊、ここを拠点にプッチーニの足跡を思いながら、ミニヴァカンスを過ごそう。翌日の朝食は、早速、プッチーニのCDが流れる小さなダイニングで、手作りのトマトとオリーブオイルのカナッペやチーズ、生ハム、カフェラテ、新鮮なオレンジジュース、アンナさんの親切で温かいもてなしの中、トスカーナ州の資料本を見ながら考えた。

プッチーニはどんな幼少期を過ごしたのだろうか、きっと今と余り変わってないだろう風景の中で育ったのだろうと思いながら。

翌日は、プッチーニの生活の足跡を探しながら、街を歩き、プッチーニの生家博物館を見て4年前の自分を思い出し、ルッカを離れる前日には、ルッカ駅前のバスターミナルからヴィァレッジョ行のバスに乗って、トッレ・デル・ラーゴまで30分、そこからプッチーニ通りを湖の畔にある野外劇場の方へ向かって、オペラ名の付いたトスカ通り、マダムバタフライ通り等の横道を見ながら、未だにプッチーニが居るかのような雰囲気の中、15分ほど歩いてラーゴ(湖水)迄辿り着いた。今日がプッチーニフェスティバルの最終日だが、夜の公演だから鍵が閉まっていて覗けない。近辺はガラリとしていたが、唯一開いていた、最後まで作曲をしながら暮らしていたプッチーニ邸宅博物館を見て、往時を想像しながらプッチーニ縁の旅に別れを告げた。

編集長

僕はTVの仕事をしていた関係でテレビに向いている人か、どうかを判断できる。

工藤さんはまさにテレビ向きだ。

ステージ「プッチーニとルッカ」まさに適役。見事にステージをこなしていた。

多才な工藤さん、いつか、テレビ画面でお目にかかりたい

2015年イタリアでのプッチーニフェスティバル情報  

◆トッレ・デル・ラーゴ公演
日程
:7月24日~8月30日
演目:「トスカ」「トゥーランドット」「蝶々夫人」「ラRondine」puccinifestival.it/ 


ローマ・カラカラ劇場公演
日程
:7月6日~8月31日
演目:「蝶々夫人」「トゥーランドット」「ラボエーム」「トスカ」 operama.it/Caracalla

ポンペイフェスティバル公演
日程
:8月4日~9月17日 

演目:「トスカ」pompeifestival.com/

*演目、日程は変更があるので、ホームページで確認ください。
ホームページ:http://www.puccinifestival.it/