NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

洒落・おやじの青春取材記  7 工藤 毅志

コシノ・ジュンコさんのエネルギー

猛暑が続き、猛雨その後を追う「猛」続きの季節が去って、本格的な秋になりましたが、読者の皆さんは如何でしたか? 7回目を迎える洒落おやじの青春取材記も、タイトルのジュンコさんのエネルギーを見習って考えてみようと思った次第ですがさて……。その前に、

「編集者って何をするの?」と編集者になりたい人がよく聞いてくる。

僕は「読んで字の如く、情報を色々と集めて、編む(構成する)ことだよ」と判り切った事を言います。そして、簡単に言えば、「人の褌で相撲を取ること」と添えます。余り好い表現ではないのですが、実際にそうなんです。企画を立てれば、編集スタッフがそれに向かって一斉に取材に走る。

カメラマン、アーティスト、デザイナー、作家や専門家から力を借りてくる。それを自分の企画に作り変えるので、スタッフの褌や外部の専門家等の褌を使うのですから。但し、その場合は「褌を締めて掛からなければ」編集長(編集者)は務まりませんけど……。そこで、

ジュンコさんの立ち姿!
ジュンコさんの立ち姿!

ファッション界の中でも、コシノ・ジュンコさんは疲れを知らないのではないかと思うほどいつもエネルギッシュに動き回っている。
ファッションショーやコレクション、イヴェントなどで、お会いすることも多く、その若さとバイタリティーにいつも圧倒されるのだ。当のご本人に聞いてみれば「あら、私だって疲れるわよ」とさらりと応えるだろうが、僕から見れば、夙に有名な「コシノ3姉妹」という、DNAに恵まれた(?)とはいえ、このエネルギーは一体、何処から来るのだろうかと不思議に思うことがある。


ジュンコさんの略歴を見るまでもなく、高田賢三さん、松田弘光さん等と共に、「花の九期生」と言われた文化服装学院のデザイン科で学び、19歳で「装苑賞」を受賞されてから頭角を現し、1978年にはパリコレにデビューした。その活躍ぶりは、読者の皆さんはすでにご存じの通りです。
ジュンコさんのファッション愛好者も多く、海外での独自のコレクションにも力を入れて、ざっと挙げても、1985年には中国で最大のファッションショーを催行したのを皮切りに、90年には、ベトナム、96年には日本人初のキューバ、2009年にはミャンマーと日本のファッションショーの素晴らしさを表現してきたのです。


僕は海外ファッションショーに出掛けることはなかったのだが、キューバのファッションショーの後に、南青山のジュンコさんのブティックで、ご主人が撮影されたモノクロの写真展の会に招かれてその素晴らしいアートに、多分キューバの人達が感動したと同じように僕も美しい映像に感動したのを鮮やかに覚えている。更に、海外でのデザイン展からオペラやブロードウェーの衣装まで、活躍の幅が広すぎて書ききれないくらいだ。

写真・上・二点・コシノ・ジュンコ作品
写真・上・二点・コシノ・ジュンコ作品

さて、ジュンコさんの次の挑戦の話です。もう4か月前になりますが、5月9日(土)、ジュンコさんの同窓生、高田賢三さんが久し振りに日本へ帰って来ることになって、ケンゾーさんを囲む会が催された時でした。

花の同期生として、ジュンコさんがお祝いの挨拶をして、当時のモデルさん達、カメラマン、ファッションジャーナリスト、ファッション編集者達などが歓談に興じ、僕の顔を見つけて、ジュンコさんが言ったのです。「私、この4月からTBSラジオでゲスト対談をすることになって、始めたのよ。編集者の目からどうだったか、感想を聞かせてね。ケンちゃん(賢三さん)もインタビューすることになっているのよ」と名刺を渡されたので見たら、タイトルが面白かった。

JUNKO KOSHINO MASACA

「ね、面白いでしょ」とジュンコさん。

返事をしたが、さて、困った。ケンゾーさんとの対談は、直接、その日に聞けなかったがNETで調べたら都合良いことに、その様子がTBSラジオのサイトに掲載されていたのを見つけて、これで何か話せるかもしれないと思い少しほっとした。記事を拝借するからには、「褌をしっかりと締め直せねば」

この対談を文字で読むのだが、ジュンコさんのいつもの言い方やケンゾーさんの雰囲気を想像してみると何となく臨場感が湧いてくる。おまけに、このサイトには収録時の写真まで付いていたので尚更だった。ジュンコさんが最初に口火を切った。「あたしがここに座っていること自体、不思議でしょ。古いのよ。物凄く古すぎて上手くお話ができるかドキドキしちゃう」(ジュンコさんらしいな~。ケンゾーさんの前にも何人かの対談が既に済んでいて初めてではないのに、この口火の切り方は、相手が同窓生で久し振りに話す気分を感じる。)

 

そして、話題は装苑賞などのコンテストに出すときなど、お互いにライバル意識があったかどうかの話に移り、ケンゾーさんが「若いときはね、ライバル意識あった。友達だけどね。」ジュンコさんは「こっそりあった。早く帰ってぶわーって絵を描くわけ。いつの間にかやらなくなって…。」 ケンゾーさんが「今でもある?」と水を向けると、「今は若さとしてカッコいいっていうのが大切なのよ。会った時、ケンちゃんちょっと、っていうのでなく、やっぱりカッコいいじゃないの、って、お互いに褒め合う訳じゃないけどね。」とジュンコさん。「そうだね。ジュンコのエネルギッシュなの頂けるの嬉しいよ」とケンゾーさんが応じる。

ケンゾーさんと工藤
ケンゾーさんと工藤

(これは、僕も同感)暫く、花の同期生時代の話題になり、お互い、忙しい仕事を始めてからの昭和50年代の東京が変わってきて、当時の赤坂の「ムゲン」や「ビブロス」などお洒落で有名なディスコに出かけた話や、パリでケンゾーさんと行った会員制のサンジェルマンのCastelで、「悲しみよこんにちは」のサガンがいつもご飯を食べていたわね。」という懐かし気なジュンコさんの話で終わる。花の同期生ならではの〆であった。(僕の感想)

 

ジュンコさんがメディアの世界に挑戦してみるエネルギーは、今まで磨かれてきたジュンコさん流の「カッコいいわね」と言わせる何かがエネルギーに変わるのかもしれないと僕は改めて思った。

 

次回は、このMASACAで、宮本亜門さんとの面白い対談と、ジュンコさんの衣装について取材をしてこようと思っています。

写真・上・二点・コシノ・ジュンコ作品
写真・上・二点・コシノ・ジュンコ作品

洒落おやじ・工藤 毅志(2015年・9月28日)