気になるジュエラー・4
洒落おやじ・工藤毅志
「森暁雄のアート魂」10月号

オートジュエラー・AKIO
MORIの新店舗ご案内の郵便が届き、9月5日(土)オープニングに、銀座3丁目の新店舗を訪ねた。銀座中央通り2丁目のシャネルビルの後ろ、通称「ガス灯通り、カルティエビルに挟まれた様に、小さなブティックがひと際、AKIO
MORIのオーラが放っている様に存在している。何だか、パリのカンボン通りの横道の風情だ。夕方5時からの案内に、待ちきれない招待客や森暁雄氏の作品愛好者達が、広くない店内に溢れて、入れない人達が道路にはみ出している。それまでの6丁目店とは違った雰囲気は、如何にも森さんらしいなと感じた。
森さんのジュエリー制作は、既に47~8年になる。僕が彼の作品を真近かで目にしたのはやはりファッションショーの時のモデルが身につけているアクセサリーだ。
森さんの新作が出来ると、ご案内のハガキが来るので、何度か6丁目のブティックを覗いたことがある。どれも個性的だが、単に光り輝いているのではなく、個々に違っていてもAKIO MORIを自然と感じるのだ。
そこにファッションデザイナーや舞台に立つ人達が魅せられるのだろう。
森氏の経歴を見てみると、1968年に、ジュエリーデザイン製作会社を設立している。
一体どうしてジュエラーを目指したのかと、序に少年時代のことにも水を向けて聞いてみると、「祖母の影響が大きいですね。」と答えが直ぐに返ってきた。「日本舞踊と着物の美しさを見て育ったから、兎に角美しいものが好きだった。そんな中で、美しいものに出逢いにパリへ行って滞在中に、象牙やべっ甲を使ったアクセサリーに触発されて、いよいよアクセサリー製作にのめり込んでいったのです。日本でも伝統的な蒔絵や螺鈿なども同様な美しさを放っていて、洋の東西に拘わらず、美しいものは美しいのですから。」と森さん。
ファッションにしても、お互いの文化に触発されて、イーストミーツウエスト、ウエストミーツイーストと融合されるのは、自然の成り行きだ。
森さんが自分の工房でジュエリーを作り始めてから5年後1973年に越路吹雪さんのリサイタルで、森氏のジュエリーが舞台を飾って以来、コシノジュンコさんのパリコレ用アクセサリー、トリイユキさん、ミヤケイッセイさん等のパリコレ用アクセサリーなど、ファッション界のコレクションでは、なくてはならないオートジュエラーになったのだった。

それと同時に、黒柳徹子さんの舞台用アクセサリー、美川憲一さんのコンサート用アクセサリーなどと枚挙に暇がない程の活躍ぶりだ。
「色々な作品を作って来られて、自分が一番気に入っているジュエリーを見せてください。」と尋ねると、即座に山羊のブローチを出してきてくれた。
「これは、僕の原点。生まれが1月のやぎ座なので、初期に作ったもの。シンプルで美しい、自分の魂みたいなもの。それに、このブレスレット。」と自分の腕から外して見せてくれた。「この一つ一つの石は自分の名前の頭文字を石の頭文字と合わせている。」ちょっと悪戯っ子の様な笑みを浮かべて語ってくれた。「僕がここまでやってこられたのは、両親を始め、色々紹介してくださった方や種々の場面で助けて下さったりした方達のお蔭だから、その人の為に作ってあげたいし、お返ししたいし。こうしたイニシャルブレスも、その人の個性を引き出して作っているのです。僕は人の出逢いが好きなんですね。」
この話を聞きながら、森さんのアーティスト魂を見たような気がした。
