NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

ワインバトラー・ニールのライフワーク Part 46

2019年の終わりに

2020年オリンピックの年、思い出を作ろう。
2020年オリンピックの年、思い出を作ろう。

12月ですと箱根は雪?と思われる方が多いのかとは思いますが、12月はそれ程、降雪はありません。1月の下旬から2月が本格的に降りますが、12月は1~2度降るか降らないかくらいなんですが、降るとテレビのニュースで大げさに流れるので、友人たちから箱根は大丈夫?と連絡が入ります。ただ問題なことは、スタッドレスタイヤを装備しない車が何台かいるともう大変なわけです。箱根駅伝で使われる国道1号線は坂道ですから、数台止まっただけで大渋滞になります。一応、こちらの方面にいらっしゃる時はスタッドレスは履いてきてください。

さて、私のいる彫刻の森美術館の近辺では、ご年配の方達が比較的多く、若い方達はあまりいません。近隣住民とのおつきあいも大事な仕事のうちなので何かイベントのようなものがあると比較的積極的に参加します。例えば、グランドゴルフ大会、運動会、夏祭り、町内旅行とか行けるときには必ず行くようにしています。又自分だけ参加しても人数が少なく盛り上がりに欠けるなと思えば、実家から家内も参加してもらったり、ホテルのスタッフにも声をかけて参加してもらいます。最初はなんか面倒な気もしましたが今では楽しんで参加しています。

9月には、人数が足りないので、町内会のバス旅に参加して入れないかと町内の顔役に頼まれたので、横須賀港の軍艦見学と三崎のマグロ食べつくしツアーに行きました。横須賀に早く着きすぎたので元総理大臣の小泉純一郎邸をバスが回ってくれてバスの中から見ていました。それから船に乗って軍艦ツアー、三崎へ行ってマグロつくしコースというのをいただきました。

行くところ行くところでは、ご年配の方が多いので、おとなしいのかと思いきや、みなさん大はしゃぎなのです。又面白いのは何処へいっても必ず大量におみあげをガッツリ買う光景を目の当たりにしました。私や家内、又ホテルのスタッフは、つまり若い方達は、余程のことがないと、おみあげは買わないんですが、町内の方達はこぞって買い物をします。何故かというと、こういう機会でもないと買い物をしないからです。日用雑貨品や生活必需品は小田原や御殿場で調達したり、野菜をたくさん積んだ、行商のような車が町内に来てくれるので買います。ですから近場でもイザ、お出かけとなると、こういった機会がないと買えないおみあげを沢山買って、親族に分けたり自分たちで消費したりするわけです。本当に楽しそうに買い物をしていました。三崎に行った時も、そんなにマグロの柵を買ってど~するんだというくらい買っていました。買い物は楽しみの一つなんですね。

グランドゴルフも夕方から集まるともうみんな真剣そのものです。私もここに着任してからグランドゴルフを6回くらいやりましたが、なかなかどうして、ご年配の方達には勝てません。終わると和気あいあいで炊き込みご飯や豚汁とか、すすってビールやお酒を飲んで楽しく過ごします。最近はずいぶん慣れて、飲みになると、こんなに飲めないから手伝ってと言われて皆さんから、しこたま飲まされます。

さてなんでこんなことを記したかと言いますと、昔を思いだすからです。私は小学生の頃、埼玉県の川口市というところに住んでいました。今は令和の時代ですから、昭和、平成と時代を経てきましたが、私が小学生や中学生の頃は、今、箱根で経験している町内の催しものが、確かにありました。町内で伊豆方面にバス旅に行ったこともありますし、盆踊りとかゲートボールとか確かにありました。要はタイムスリップの様に、昭和がここ、箱根の二ノ平に存在しているのです。そして、川口にいた時も、皆が顔見知りで付き合いがよく、助け合っていました。

振り返ると、私の幼稚園の時代は、白黒テレビでしたし、黒電話が普及して間もなくの頃でした。お風呂も自宅にはありましたが、木製のお風呂でしたし、お手洗いは汲み取り式でした。すみません。幼稚園はお寺が経営していたので、先生はお坊さんでしたし、いたずらをすると本堂で正座させられたりしました。家の周りは田んぼで、夏には青い稲穂がぐんぐん伸びて、小学生の頃は、川では鮒やクチボソが釣れました。ザリガニもスルメの足で釣りました。夜中はカエルの大合唱でしたし蚊帳で寝ていました。ちょっと道を超えた路地はもう友達の家が何件もありました。特に夏は日が暮れるまで外で、遊んでいました。学校は最初はプレハブで夏は暑く、冬は寒いのに、石油は高いのでコークスという燃料炭を使っていました。冬はそのストーブで給食に出た牛乳を温めました。梅雨の時期に大量の雨が降ると床下浸水しました。小学生の頃は、学校から遠い子から順番に家に来て、田んぼの畦道を4人くらいで仲間と一緒に学校に通いました。

給食の時間はみんなで食べていましたが、アレルギー持ちの子などいませんでした。今ではアレルギー持ちのお子様も多いですし、ペットにもアレルギーがある変な?時代です。中学生くらいになると舗装されていない道路がだんだんアスファルト舗装されて自動車も普及し始めました。用水路や下水も整備されて以前は落ちたら大変だったところは徐々になくなってきました。テレビ番組も漫画が出てくるようになり、夢中になって見ていました。何が言いたいのかというと昭和の戦後の経済成長を肌で感じることができたと同時に人情や情けがあったということです。今から数年前、何十年かぶりに川口に行く機会がありましたがすっかり変わっていました。知らない街というか町内はまるでゴーストタウンのような感じで駅前近郊は人が多いので感じませんが、少し奥に入ると何だか人の気配を感じません。不思議な空間に代わっていました。すぐそばにあった商店街はなくなっていたり、八百屋さんやお蕎麦屋さんは消えていたり。何かもの悲しい感覚です。

裏腹にネット環境やITに関することは今も進化し続けています。少し人の繋がりとか会話とかは希薄になることとは反対に。

ただここ箱根にいると人情など人の温もりは感じることができるのでうれしいことではあります。

今年も色々なことを思いつくまま綴って来ましたが、読者の方からワインのことが減ったんじゃないか!とか言われそうなので来年は少しワインのことも多く話題に入れようと思います。

12月に飲むワインですか?そうですね、今年は元号も変わったことですし、おめでたいのでシャンパンで締めくくりましょう!ところでシャンパンの泡は何から造られるかご存じでしょうか?実は酵母菌から造られています。発酵という工程は酵母菌が糖分が酵母菌の働きでアルコールと炭酸ガスに分解されることを意味します。この工程を発見したのは、パスカルと言われています。でも発見したというのから、さらに一歩進んで、誰がこの工程を造ったかご存じですか?日本ではお酒の神様と負えば須佐の王の命様?ヨーロッパではバッカス?ディオニソス?

昭和から令和になって技術はどんどん進化し発展していきます。しかしながら、お酒造りも世の中の仕組みもどこか根っことなるところは一緒なんじゃないかと感じたことはありませんか?1+1=2というのは数学で数の働きで不変です。数理です。水は上から下に流れます。物の働き、つまり物理です。何処へ行っても変わらないもの、それは真理というのではないのでしょうか?では今年は最後は、なぞなぞで〆ます。今あげた言葉に、入っている〝理〟という単語は何のことでしょうか?アインシュタインは物理の世界を極めた学者ですね。極めた物理にも理という文字が入っています。

追伸

2010年は東京オリンピックの年です。楽しみですね。昭和のオリンピックの聖火ランナーは広島の方が戦後日本は復興したという意味で走ったそうです。来年は福島の方が走るとか?復興したとかオリンピック反対とか色々あり又政治の宣伝、ゼネコン関係の利権など兎角、ささやかれますが、戦争で世界が競うよりは、スポーツで気持ちよく競う。応援しあう。そういった気持ちが大事ですね。昭和も令和もオリンピックが東京、日本で開催されるのは周りの喧騒がなければ喜ばしいことであり、その時代を生きたものには感慨深さが残ります。1歳半くらいの時、東京の四谷で祖母に抱かれて聖火ランナーを見たことは何故か私の記憶のはあります。大きな巨人が走っているように見えました。

 

by ニール