NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

ワインバトラー・ニールのライフワーク Part 44

「上とか下とか」

親子でいられるひと時
親子でいられるひと時

「上とか下とか」

 

9月号では、少し妄想の世界をご紹介させて頂きました。霊界があるとしたらとか、人は生まれ変わるとか、そんなお話でしたが、今月はその延長で話を続けて行きたいと思います、上手にお付き合い頂ければと思います。永澤マガジンの連載では、私は今までの自分の職歴の中で主に出会った人達の事について綴って来たことが多いと思いますが、特に上司の事は記してきた気がします。上司と言えば、自分より目上となります。今は、自分より下の者を目下とは余り言わないように感じますが、部下とか場合によっては同僚とか言います。さて、前回と同じ様に、生まれ変わるとしたら、今世、現生では、たまたま上司ではあるAさんは、前世は部下だったかも知れません。人間が「オギャー!」と産声を上げて一番最初に見るのは例外なく母親か父親の顔でしょう。(産婦人科医とか言わないで下さいね)そうしますと今世はこの方達が今世の親となる訳です。しかし前世は自分がこの親達の親だった可能性もある訳です。ちょっと可笑しな事になって来ました。

では少し話題を変えて今これを読んでいる読者の方は日本人だったと仮定します。当然日本人ですから、日本にいる訳で、大地に足をしっかり下に付けて、空を見上げれば、空の方が上で、足元が下になりますね。上とか下とかいう事が認識できる訳であります。では、同時刻に南半球にいるオーストラリアの方はどうでしょうか?朝と夜の違いはあるとは言え、やはり立っていれば、足元が下で、頭上が上になりますね。これを地球という球体の規模で見てみると、同時刻では、日本人の足元の方向は下の方に相当する方向はオーストラリアの方達には上の方向に当たりますね。又日本人の頭上の方向はオーストラリアの方には、下の方向に相当します。????ですか?分かりますか?人間は地球の磁力によって回転している地球から振り落とされることはありませんが、この言葉も振り落とすというのが正しい言葉ですか?振り投げ出される(上方に)ということもいえますね。

わかりずらいのでもう少しお話しますと、宇宙飛行士がロケットに(スペースシャトル)乗って月に行ったとします。地球から見て宇宙に向けて高く打ち上げられた飛行体は月に向かって上がって行きますが、(そのように見えますが)宇宙に飛び出したら、どっちが上でどっちが下ですか?もしかしたら、月に向かって落ちて行くのではないですか?そんな見方も出来ます。広大無辺な宇宙に出れば、どちらが上でどちらが下という事は分からなくなります。何となく分かりかけてきましたか?

そうなんです、この世の中は、上とか下とかいうのは本当の意味では存在が無くて、自分の立ち位置、暮らす所、働いている場所によって仮に、立場が上とか下とか、こっちが上とか下とか言っている、若しくは決めている世界なのではないのかな!と言うことなんです。

昨年の5月に私は母親を亡くしました。又今年の初めに家内の父、義父を亡くしました。昨年の6月号で記しましたが、親子になるのも何かの縁、十字の教えということでご説明申し上げましたが、出会いは別れの始まりであり、上と下、縦横が交わり子(四)が出来てやがて時期が来れば、十字の先を見ればわかるように4方向に、4=し=死に分かれるようにできていますので、一緒に暮らしたり過ごしたりしている時はいたわり、慈しみ、助け合うという事を記しました。出来ればもう一度、読み返して頂ければと思います。

更に今回は、上と下、上司と部下、親と子のようになるのも、今世の立ち位置、立場、状況がそうさせるのでありますから、それが今、取り組まなければならない何かの課題であり、勉強しなければならないことなのではないでしょうか?

生まれたばかりの人間は何も知りません。幼稚園→小学校→中学生→高校生などと年齢を重ねると同時に勉強も進みますが、同時に歳も取るということを考えて見ると、振り返れば教えてもらっていた立場がだんだんに教える立場になっている。子供の頃は親から教わったのに、今度は自分は結婚して親になり教えなければならない立場になる。つまり下から上になる訳ですね。その人生の過程に於いて、多岐に亘って勉強をしないと上(本当の意味で親)にならない。私の親は、私に教育の機会を充分に与えてくれましたが、自分達の子供に(つまり私や弟)常識的な事や人間関係、時間の経過に伴う世間の流れなどを教えることは下手だったように思います。これは戦後、高度成長期に〇教組の影響で教育が曲がった方向へいったからかもしれません。

私の経験から感じることは、今の時代は、会社勤めをしても辛抱が出来ない子達が多いかと思いますし、特に私達の時代は上司や親から何かしら認められたいという承認欲求がありましたが、今の子達は、自己の承認欲求はなく、自分が楽しければ良い、楽しいことが仕事に出来る時代なので、ユーチューバーになりたいとか、通勤列車に乗った、レールに敷かれた人生を拒否する様な傾向が強くなった様に思います。

私はそれはそれで結構なことだと思いますし生き方はそれぞれですから構わないとも思いますが、何かが足りないと,ここ数年考えていました。そして最近何となく感じることなんですが、それは上とか下とかいう上下の関係は実は礼を尽くす、礼儀があるとかないとか言う様に、礼儀やマナー、押し広げて人、他者をリスペクトする気遣いが希薄になる事に繋がるのではないかと考えています。大地に足を付けている以上は上とか下とかいうことが存在します。(本当の世界?宇宙?は上とか下とかはないので、究極はその事実を踏まえた上で、上下ある世界に生きていますから)

礼儀を尽くす。礼儀は秩序に通じます。秩序が希薄になりなくなったらどうなると思いますか?この世界で勉強する意味が無くなりますね。意味が無いということは極端なお話、地球もいらない訳ですかね!今回も妄想の世界を楽しんでもらうために記しました。

ではまた、11月号でお会いしましょう。

by ニール