NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

ワインバトラー・ニールのライフワーク Part 41

「私が関わって来たシェフ、板長さん達1」

私が外食の世界に入ったのは、大学2年生の頃のアルバイトが始まりでした。大学1年生の時は、自宅から大学まで通っていましたが通学に2時間30分かかっていましたので2年生の時に大学の近くに間借りをしたのです。定年退職し、娘さんが二人いた本当に良い、おじいちゃん、おばあちゃんがお嫁に行った娘さん2人の部屋が空いていたので学生に間貸ししていたのです。確か1か月、2万3千円で朝食付きでした。横浜の岸根公園のそばで大学には歩いて15分くらいでした。その当時、親から仕送りをしてもらったのは2万円でしたので足りない分はアルバイトで賄いました。どんなアルバイトをしたのかというと、中学生の家庭教師で知り合いの伝手でしたので週一で1万5千円、後は桜木町にある青少年会館で夜警の仕事で、一泊して2.300円、その他、ブライダルで披露宴の時にキャンドルサービスが終わった時に高砂に戻った新郎新婦にドライアイスの煙をタイミングよく出す仕事、時給1.200円と3つ掛け持ちでやっていました。しかしながらどのアルバイトも定期的ではなかったのでやりくりが大変でした。何が大変かというとやはり食べることに不自由したことでした。したがって、食事が付く外食のアルバイトに必然的に目が行き以上の3つのアルバイトは辞めて、一番最初に横浜の駅そばのビアレストランでアルバイトを始めることになりました。業務の内容はというと、ビアレストランというのは今ではほとんど見かけなくなりましたが、簡単にいうとビアホールでビールのほかにカクテルや洋酒も楽しめて食事もおつまみも出来る大人向けのこじゃれたレストランです。そこでカクテルの作り方を教えてもらいバーテンの見習いみたいな仕事をしていました。

ここでのコックさんが私が経験した最初のコックさんです。シェフの方はホテルでの経験があり街場のレストランに移籍してきた方で、今考えると大体、洋食なら何でもこなすオールラウンドプレーヤのような方でした。ただお店自体は暇でしたので、あの頃は、よく遊んでいました。遊びにはいろいろあるかとは思いますがこのシェフは女性が大好きでしたので良く職場のレストランに彼女を呼んでいました。

もちろんこのシェフは妻子持ちです。大学生の私から見たら、不思議な世界でした。彼女だとか愛人だとか言ってはいますが、何だかんだ言っても、奥さんがとても綺麗な方だったんで、綺麗な奥さんがいても浮気はするのだなとも思いました。言葉使いは乱暴ではありませんでしたが、口癖は気に入らないことがあると必ず「顔に出そう!」という言葉を使っていました。このころ、学んだことは、調理場のスタッフとサービスのスタッフというのは仲が良くないんだなということでした。つまりシェフはいつも「顔に出そう!」と言っていたからです。ちなみに読み方は「かおにでそう!」です。「かおにだそう!」ではありません。こういう言葉とは何回も耳にしているとついつい自分も使ってしまうことがあります。私もこの「かおにでそう!」って頻繁に使っていた記憶がありますから。

やがてこのビアレストランは利益が出ないためにオーナーは業態変更し焼き鳥屋にしてしまいます。私たちアルバイトスタッフは残れますかと聞かれたので、そのまま残りました。ところでそのころのアルバイトの時給っていくらかご存じですか?信じられないくらいな金額で時給450円でした。さて次は洋食ではなく和食となりました。焼き鳥屋さんといってもオーナーが横浜では老舗の実力者でしたので鳥割烹のような焼き鳥屋さんでした。和食の世界というのは特に調理人には独特な世界であります。それは会とか派とかがありまして例えば新〇会という会があって、そこの会長さんみたいな方が人材を調達します。この時、オーナーは力のある方でしたのでその新〇会からおそらく金額を積んで腕の良い板長さんを派遣を依頼しました。私たちはビアレストランからいきなり焼き鳥屋さんになるわけですから相当抵抗がありましたが、アルバイトの身ですからそんなに気にはなりませんでしたが社員の方がたはかなりの抵抗感があったようでした。しかしながらこの板長さんは本当に凄い方で、料理のことやとりわけその技術には感服させられました。鳥の刺身というメニューがあったんですが、フグの刺身のようにお皿いっぱいに薄~く、鳥のささ身肉を引いて盛り付けていました。他の2番手の方がやるとどうしても真似ができません。知識も豊富で、あるとき、板長に「焼き鳥のこのつくねというのは語源は、鶏肉を突いて練るからつくねというのですか?」と聞きましたら、「それはね、つくね芋という芋の種類があってその形に似せて作ったので、つくねというのだよ!」と教えてくれました。人格も穏やかな方で本当に尊敬していました。この方の唯一の癖はギャンブルでした。競馬が好きでしたし仕事が終わって自宅まで帰るのが面倒になると、よく伊勢佐木長者町にあるサウナに行ってみんなで徹夜マージャンをしました。私も良く付き合わされましたが始めたばかりでも大人のレートで給料日は現金支給でしたので高い授業料?を払っていました。先ほど時給450円で大体月12万円稼いでいましたが多いときで半分は持っていかれました。【涙】全員が全員そうではありませんが私の経験からすると洋食のコックさんより和食の板前さんの方がギャンブルが好きなようには感じています。又飲酒も和食の板前さんの方がかなりの量を召し上がると思います。昔は「飲む、打つ、買う」という言葉がありましたが最近の子たちに行っても「何ですか?それ?」と言われてしまいますが、飲む=飲酒、打つ=博打を打つ=ギャンブルする、買う=女を買う(今では使ってはいけない言葉?)の三拍子がそろわなくとも、家をつぶす位にやってしまう、体を壊す位飲んでしまうといった言葉がありましたが、その頃のコックさんや板前さんは必ずどれかに当てはまるような気はしていました。真面目な方にはすみません。私の個人的な意見です。何年か後になって料理の鉄人という番組があったんですが、それにも出ていましたので見ていてびっくりしたのを覚えています。

ホテルの朝食は魅力的です、思わず沢山手に取ってしまいます。

しかし、礼儀だけは忘れないでね、

さて次に、ホテルに新入社員で入るわけですが、今まで何度か記させていただきましたが、最初のフランス料理のホテルのコックさんは、私たちを人間じゃないとはっきり言いきりました。これは主に営業時間中で戦闘モードに入っている場合です。職場は山下公園の氷川丸や大さん橋を見下ろすロケーションの最高のレストランでしたので毎日が本当に多忙でした。料理が遅れて催促や請求をすると「あ~わかった、わかった!」といい、いざ出来上がると「早くもってけ!馬鹿野郎!」」ですから。又多少ゲストが無理を言い、それを伝えると最終的には対応してくれるのに「おまえは人間じゃないから黒服(上司)を読んで来い!」と怒鳴り散らします。そんな環境にはホトホトこまりましたが、不思議なくらい普段は優しいのです。要は職人気質ということなんですね。このシェフは家族思いの強い、いい方でした。ギャンブルもタバコもやりませんしお酒も適量。話すときは相手に「ユー、今日は調子よさそうだな!」「ユーはちゃんと飯食ってるのか!」「ユーは・・・・」と話し初めに必ず「ユー」をつけるのが特徴でしたがこれは私には真似ができませんでした。(笑)何年か前に他界されたようでご冥福をお祈り致しますが、「お前は人間じゃない」は言い過ぎですからあの世できっと閻魔様に怒られていると思います。

次は東京のホテルで鉄板焼きのシェフに出会いました。このシェフは新宿の有名なシティーホテルから移籍した方で鉄板焼きが専門でした。私は初めてこのコックさんには可愛がられました。24歳でソムリエになった私をきちんと職業人として扱っていただけました。又鉄板焼きという業態は今ではそんなに珍しくはないですがその頃は珍しい方でしたのでお店も毎日満席でした。またバブル期絶頂、ロケーションも貿易センタービルと東京湾が見えて最高でしたので30席のお店はいつもにぎわっていました。業態としては和食と洋食の中間のような感じで和食の前菜、魚介類、野菜、お肉を焼き、和風のソースやポン酢、わさび醤油で食べて最後にご飯とお味噌汁、デザートと続きます。コックさん達もお客様の対面でサービスするので、サービスマンの気持ちはわかるのだと思いました。すなわち、そんなに頑固ではないということです。

ソムリエは6人いて複数のレストランを回るので、フランス料理のお店と、テーマレストランと呼ばれれば和食やお寿司、中華、バーなどそれぞれ交代で出入りします。フランス料理のお店はシェフソムリエというソムリエの長と一緒に働きますからかなり気を使います。常連顧客はシェフソムリエが大概は対応接客し、それ以外のお客様を下のソムリエが行います。フランス料理のシェフは物腰の落ち着いた方でいつも冷静でしたし人格者でしたから、今思うと、反対に印象があまりありません。それまでは何かしら癖があったケースが多かったのですが反対にこの方は無さ過ぎました。テーマレストランというのは2か月ごとにテーマを決めて行うレストランでイベントレストランみたいな感じのレストランでした。例えば、今回は地中海がテーマ、その次は、アジアンテーストというように毎回テーマが違います。ここのシェフは唯一、地方のホテルの総料理長がセクションシェフになった方でしたが、完全調理品、略して完調品を多く使っていたようでした。つまりはレトルトやソースは缶詰品ということです。ここで面白いのはフォン(だし汁)を最初から作ったり、食肉を丸のまま仕入れて下した経験がないということです。こういう方がシェフになるとどういうことが起こると思いますか?実は深刻なことでレシピが書けないということなんです。彼の下に配属された都内の一流ホテルからきた人達がよく言っていたのは、このシェフのレシピ通りにメニューを作ると別物ができるということでした。つまり料理は下積みが重要で完全調理品に、ちゃっかり手を加えて作った料理は、基礎から学んだコックさんには通用しないということです。ではどうしてシェフとして東京のホテルに入れたと思いますか?そうなんです、口が上手いのです。私は初めて知りました、腕がなくとも口だけでこの職人の世界に入ってくる人もいるのだと。ですから言い訳はすごく上手です。

こんなことがありました。お客様に提供したサラダから小さな虫が沢山出てきたことがあったんです。そして「どういう管理をしているんだ!」とレストランの担当部長が会議で問い詰めましたら、「このレタスは有機野菜なんです。味を損なわないようにどっぷり丸ごと水に漬け洗いして契って出すだけです。それが本来の味わい方であり有機栽培で薬品を使っていないので虫はいて当然です。」と言い切りました。凄いですね、こんな言い方したのを聞いたのは私は初めてでした。レシピが書けない、言い訳はする、強引に乗り切る、凄い技です。

「どうもすみませんでした。」といえば済むことなのに。やがて数年後、この方は異例の扱いで、そんなに口が上手いならコックさんより企画に行きなさいと言われて営業企画に行き数年後に早期退職しました。今ですか、今は色々なところで食品会社のコンサルタントを掛け持ちでやっているようです。

このことはソムリエでもいえることなのですが、シェフソムリエという肩書がありながらワインリストを書けない方がいました。それでは通用しないと思うでしょう?でも通用してしまうんですよ!どういうことか説明しますと、このレシピが書けなくても通用したシェフも同じなんですが、こういう専門職の基本的なことができない方に限ってその直近で働く優秀な部下がいて必ずこの部下が仕事をこなして助けてしまうのです。世の中は上手く出来ています。身近にそんな方いませんか?何であの部長、いつもあんなにお茶らけているだけなのに部長なの?って思ったことありませんか?

仙人は教えてくれました。「仕事が出来なくとも上司でいられるにはその人の徳があるからだよ、徳は目に見えないから人を馬鹿にしたりしたりできないよね、その人にどんな徳がついているのかわからないから。」と。「でも実力もなくいつまでも上の立場にはいられないからやがて実力者が現れた時、その人は引きずり降ろされる運命にはある。」

また、こんなことも教えてくれました。

「人生の土俵は相撲と同じで勝った方が勝ち、負けた方は負け、負けるが勝ちというのはないのだよ。」

8月号に続きます。

 

by ニール