NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

ワインバトラー・ニールのライフワーク Part 39

思う事+行う事

「思う事+行う事」

 

皆さんの中にはこんな経験をされた方がいるかも知れないので少し書き記したいと思います。

以前にも記したかもしれませんが重複したらすみません。

新入社員で横浜のホテルに勤務した時、私のすることに何かにつけて文句というか、気に入らないというか、そういった所に目を付けては、厳しく?指導する上司がいました。この上司は私の私生活にも大きな影響を与えた方ですので今でも忘れられません。よく蹴られたり殴られたりしました。今ではこんなことしたらご法度ですが。顔も見るのも嫌でした。そして2年後、違う先輩の誘いもあって東京のホテルに転職しました。

うるさい上司
うるさい上司

この東京のホテルに転職しましたら、直属の上司である部長に嫌われました。理由は若くしてソムリエになったので生意気だったという事でした。

このことは、ハッキリと別の上司から伺いましたので事実でした。横浜の時と比べて、殴っられたり蹴られたりはしませんでしたが、陰湿な苛めを経験しました。未だ昭和の日本のホテルであったからかも知れませんが、ホテルの人事も緩慢で、年齢を重ねれば定期昇給昇格する時代でしたので粗相や特別なことがない限り皆さんと同じように昇格するはずでしたが、「あいつは気に入らないから主任にはしない」と26歳の時に言われました。

この当時は、「自分の仕事は自分が責任をもってやる業務だから別に昇格しなくてもいいや!」と軽く考えてその部長を無視し続けました。面白いもので、無視し続けると相手と言うのはとことんやってやる!みたいな姿勢で接して来ます。そのことは彼が定年退職するまで続きました。しつこい方でしたね。しかしながらソムリエというのはコンクール等、対外的なチャレンジがあり、ある程度結果がでてしまうとその実績、功績を認めざるを負えないので私は彼に気に入られていなくても順調?に昇格、昇給を果たして行きました。

36歳の時に結婚をしましたが、もちろん私はこの部長を主賓に呼びました。

私の場合、好き嫌いは関係ないですから、大きな気持ちになって「今度、結婚することになりましたのでご報告させて頂きます。又披露宴には主賓としてご臨席頂きたいので、ご挨拶も合わせてお願い致します」と言いましたら、「どんな人なんだ?」と聞かれましたので素直に「ハイ!以前は女優をしていたこともありますが、レポーターや生コマーシャルに出ていることが多く今ではその程度のタレントです」と言いましたら、事務所で「ほぉ~そうか!AV女優と結婚するのか!」と周りにいたスタッフ全員に聞こえる大きな声で言いました。皆さんはこの部長がどのような方かは存じ上げないと思うのですが、兎に角、行き当たりばったりで物事を行動に移したり、平気で人を傷付けるようなことを言う方でした。さすがに私も常識を逸脱した言葉でしたので、心の中では「こいつ調子に乗りやがって、首でも〆てやろうか!」と心の中では思いつつも、作り笑顔で接していました。

その後、「ところで、式、披露宴は当然うちのホテルでやるんだろうな!」とマジ顔で言われましたので「ハイ!」と答えました。そう答えは、したものの実は自分の勤務しているホテルの隣が割安で改装してリニューアルしたばかりの結婚式場がありましたので、本当はそこにするつもりだったんです。理由があって予算がぎりぎりだったのでそうしようと思っていたのですが、その部長の前では、勤務しているホテルでやりますと言いました。何故?自分の勤務しているホテルを推奨してくるのかというと、親会社(全面出資)から運営を託されているので、更に親会社に勤務する方達にも、是非、子会社の当ホテルでお願いをしている手前、私たちは、半強制的に自分の勤務しているホテルで冠婚をやらないとダメというルールというか、お達しがあったのです。でも本当は違います。こういう小さな積み重ねで親会社に売上や自分を上げてアピールして、この部長は総支配人になりたかったのです。

実際、彼は何年後かには総支配人になりました。

私はこの部長のやり方は充分熟知していましたので素直に聞きましたが、自分がやりたい自分に関係するセレモニーですら強要されるわけです。私の後輩でやはり、無謀にも他の式場やホテルで結婚披露宴を行ったものが数名いましたが、この部長はそういうスタッフの結婚式には呼ばれても一切、出ませんでした。また、この様な不届き者?がいると担当のマネージャーも呼ばれて「何考えているんだ!」と徹底していました。さらにこういった自分のいう事を聞き入れないスタッフは昇格させませんでした。徹底ぶりは見事なもので、自分の保身や出世には敏感な方でした。又好き嫌いもはっきりしていました。

 

結婚してから、私の気質を理解した家内の実家の父つまり義父からある時、こう言われました。「お中元、お歳暮とかどうしてるの?出さなくて大丈夫?」と心配するように聞かれました。寄る年波の御心配ですが、有りがたいとは思いつつも、「うちのようにグループホテルの業界では転勤も多くありお中元、お歳暮などあんまり関係ないから心配しなくて大丈夫」と言いましたら、義父は、築地のマグロ問屋をやっていましたから「いいから部長さんに送ってあげるから」と言って私の言う事を聴きませんでしたのでまぁ仕方なく「それではお願いします」といってお金を渡して、お中元とお歳暮にはマグロを送ることになりました。

2~3年たったある日の事でした。いつもそういったものを送っても何も言わなかった部長でしたが、ポロッとこんなことを言いました。「おまえのことは気に食わないけど、おまえの奥さんは良くできた人で盆暮れの付け届け(マグロの事)もきちんと送ってきてるからなぁ、感謝しろよ!かみさんに!」と言いました。

あたかも付け届けがなければ、「おまえなんかどうにでもしてやる!」としか私には聞こえませんでしたので、この部長がホトホト嫌になりました。

世の中は実力だけでは渡りきれないときもあると実感しました。

         昭和のデパート食堂

その後、親会社が勤務していたホテルを従業員ごと、まるごと外資のホテルグループに売ってしまった関係で再度、25年間勤務したこのホテルを辞めて転職しました。ソムリエ職の色が強かった私は本格的にマネージメントをしたかったので、あるヘッドハンターに伊豆にあるワイナリーとホテルを管理する仕事を頂きましたので喜んで転職しました。しかしながらグループ内にレストランマネージメントという会社があって、そこが、ジリ貧だったので立て直しを図ってくれといわれたので都内に直営15店舗、関西にフランチャイズ含め23店舗の事業本部長をやりながら月に2~3度、中伊豆のワイナリーとホテルも担当しました。ここでの上司は服飾関係から来た頭が切れる上司でしたが、飲食は未経験でしたので全面的に任せて頂けました。

本当に、信用して頂き任せて頂いたので、赤字は随分解消しましたし組織も活性化しグループ会社の横のつながりも強化して着任から1年目は利益改善が進みました。しかしながら2年目から3年目は3・11の震災のこともあって回復には至らずズルズルと後退を余儀なくされました。その時に直属の上司は変わり実質経営トップの副会長の直下になりました。この方も強引な方でした。

 

私はこの方にヘッドハントされましたが、業績の雲行きが危うくなると完全に数字のみの話しになり毎週土曜日には呼び出され、経営陣のいるオフィスのスケルトンの部屋で至近距離での説教を毎回くらいました。

スケルトンの部屋ってところが凄いんです。だって回りの役員が沢山いるのにそこで頭ごなしに彼が納得するまで怒鳴られ続けるのですから。

怒鳴られる方も嫌でしょうが観ている方も気の毒で見て見ぬふりしないといけません。中伊豆ホテル、ワイナリー事業とレストランマネージメントの事業の兼任ですから一日に約60通を超えるメールは着ていましたし、現場では何かしら事件もありました。そんな中、もうこの副会長の相手はしていられないと腹をくくった時、彼に面と向かって逆らいはしませんでしたが、相手に悟られたのでしょう!それから嫌われ始めました。年度末に「お前はもう降格、来年は契約もしないつもり」と。私が嬉しかったのはこの話が出た時に、私の部下である課長達が、「ニール(仮名の私)を今、辞めさせたらダメージがもっと深刻になります、どうか寛大なるご処置を!」と社長に直訴してくれたのです。結果、部下達が嘆願してくれたお蔭で、降格、100万円の年棒減額でした。その時の部下には今でも連絡を取り合っていますが、本当に感謝していますし感謝していましたが、私の腹は決まっていました。ここでは働けないと。

この副会長という方も服飾関係から転職をして来ましたが既に70歳を超えていました。当然、飲食、外食等わからない訳ですから好き勝手な感覚でものを言ったり行動したりします。服飾関係のステイタスってこの頃の時代の方にとって、何だか読者の方はお分かりですか?それはデパートや百貨店に売場を持つことなのです。

今ではネットや通販でも購入できますがやはり、〇▲百貨店とか、■越、◎島屋とか、そのような老舗百貨店に、輸入や自社ブランドを陳列することがステータスだった訳です。

そんな訳でそれらの百貨店やデパートの上層階に、うちのレストランマネジメントが持っている店舗をコネで無理やり押し込みます。古くからのお付き合い、コネがあるので・・・。

戦後のデパートの上層階にあるレストランって行ったことがありますか?本当に食堂に毛の生えた程度の施設で長いテーブルに醤油や塩、こしょうのカスターと割りばしが突っ込んである箸入れがあってお子様ランチやハンバーグやスパゲティーナポリタンがメインの洋食レストランですね。

スプーンの先は紙ナプキンで覆われていました。(今はこれを知っている方はかなり少ないと思いますが・・・)私も幼い頃、両親や祖母と行きました。きっとこの副会長はこの頃のデパートの食堂への憧憬の念や又自分がこのデパートの管理体の方達と親しい、懇意の中なのでデパートにレストランを出したがる訳です。収支等もちろん考えてませんので、大概は赤字でした。赤字になる理由は本当に簡単で、家賃が売上の20%~25%はデパートに持って行かれます。お客様もデパートのレストラン等、今は使いません。じり貧でしたが改善が私の仕事でしたので、グループを挙げて協力を求めた結果、トントンと何とか、ぎりぎりの運営まで行きましたが、このデパートとの家賃の交渉はシビアでしたので二度とデパート更にはオフィース商用ビルにはレストランは出したくないとも思いました。

さて何だかんだ行っても利益が出ないと週次で数字を追いますから毎回呼び出されます。また違う事業部の本部長も狙い撃ちに合った方達も良くスケルトンのお部屋に呼ばれました。

この部屋はやがて「お仕置き部屋」と命名されました。この頃、テレビ番組で半沢直樹というキャラの銀行員のセリフが流行っていて、お仕置き部屋から帰ってきた部長クラスの方々は「倍返しだ!とか、やられたらやり返す10倍返しだ!」といって興奮していたのがいい思い出です。この番組の中で「部下の手柄は上司の手柄、上司の失敗は部下の責任」とかいったセリフがあり、皆で「ほんとにその通りだよ!」と言って笑ってました。もう時期が来たと思い、その3年後に今度は箱根の強羅にあるペットと泊まれるホテルに転職しました。ここでも同じ様に理不尽なことをいう上司しかも今度は社長と対峙することになりました。この方は、輸入菓子専門で財をなした社長さんで、ペットと泊まれるホテルをサイドビジネスで始めました。確か2007年位が初めでその後次々と3件立て続けにホテルをオープンして来ました。ホテルといっても、所詮は素人経営ですから20室にも満たないペンションみたいなホテルでした。ここでは収支改善というよりはどちらかといと、労務管理が酷いところで本当に朝から晩まで寝る間も削られて働きました。新しくもう一軒オープンするからというので採用されましたが、それでも求人が足りていません。入社前に気がつけばよかったのですが、リクルーターを通して入社するはずでしたが、こういう人材派遣の紹介を経由すると、手数料が発生しますが、この社長さん、「手数料を払うのがバカらしいから、不採用と通知を出すけど、個人として採用するから、この人材会社には不採用になったと口裏を合わせてくれ!」と言われました。

そうなんです!ケチなんですよ!ここで気がつけば良かったんですが、前職場から早く抜け出たかった一心でしたから見過ごしてしまったのです。又私だけでは到底、人員は間に合わないので、「君の誰か紹介しなさい!」と言われたので、30年来の後輩がいたので声を掛けたら来てくれました。ここでも社長さんに「私の紹介したA君は面接の結果どうですか?」と聞きましたら「採用はするよ!でもあいつ、チャラ男だな!」と言いました。私は「チャラ男?そんな言い方ないだろう!」と内心思いましたが口にしませんで「そうですか!採用有難う御座います」とだけ言いました。

もう結果はお分かりですね。今更ですが、当然、うまく行きませんでした。戦略もなく人の扱いも酷くこんなのでは続きません。私は飲食、外食の世界に長く勤務していますので、食事される方達の食事の仕方を観察する癖がついてます。この社長さん食事の仕方が粗野でご飯をすするように口に入れます。食べ方も汚いですし品がありません。社長さんとか立場のある程度高い方でこの様な方は初めて見ました。大勢の方との会食やビジネスランチとか全く経験のないような方でしたので今思えばもっと良く観察すべきだったと反省しています。

箱根の春の花、躑躅(つつじ)
箱根の春の花、躑躅(つつじ)

話は戻りますが、後に大涌谷が噴火して一時的に箱根強羅観光協会から営業停止を食らったようですが、地元の方達と随分もめたと聞きました。又その後、労基署が入ってずさんな労務管理を指摘されたようですが又今は何とかやっているようなので頑張って下さいとだけ記します。ところで自分の親しい懇意にしている後輩を「チャラ男!」と呼ばれたらあなただったらどう感じ、何を思いますか。人生の粋も辛いも味わって勉強なんですがね。さて、読者のみなさんは、何だか今回は、「酷い上司シリーズ」みたいな内容だな!とお気づきかとは思います。

長々と綴りましたがここからが本番です。似たような経験をお持ちでしたら、何故?転職する先々でこの様なことが起こるか真剣に考えたことはありますか?私は30台で既にこのことを悩み苦しみましたので、仙人から教えて頂きました。「全ては自分の身の不得であって、種を蒔いたのだから生えて来ただけの事」と。最初に上司を嫌って転職をしました。自分では上手くやった(逃げた)つもりでも上司、目上の方を嫌いぬいた種は蒔かれている。従って、逃げても次のところでもっと大きくなって大手を広げて私を待っている。あたかも試練の様に。でも試練ではない、蒔いた種はやがて眼が出て葉が出て茎が伸び、花が咲いてその後枯れた花の中に一粒万倍という種をさらに宿しているのだよと。逃れるためには、お詫びをしなければ消えない。相当、上司を嫌った種は大きな花を咲かせている。お詫びは中々、できませんが、私はこうして出会った方達を嫌わないようにすることにしました。よく考えてみれば本当に高ストレスの中にさらされますが、命までは取られません。最近は上司や職場の環境で心を病む方が多いと聞きました。そうなったのは私のせいじゃない!意地を張っても今、目の前に現れている現象は過去に強く「思う事+行う事」の積み重ねの種が生えて来たと私は教えられましたが皆さんは如何ですか?引き寄せの法則に少し似ていますね。

 

5月は「5月病」とかあるそうです。お互いに心身健全で通りたいですね。5月の箱根は躑躅がきれいですよ!

by ニール