ワインバトラー・ニールのライフワーク Part 33
正直に綴ります

今年も早や11月となりました。私の住んでいる箱根は紅葉が始まりました。箱根と言いましても、宮ノ下の上のエリアで小涌谷(小涌園があった所、現在は小涌園天悠、ユネッサンのあるところ)に挟まれた二ノ平というところにいます。
ここには彫刻の森美術館がありましてこの隣の駅が強羅となり、箱根登山鉄道の終点となります。強羅は開発された時が高級別荘地として開かれて行きましたがここには実は温泉はありませんでした。ご存じの方は少ないのですが強羅には自家源泉というのは殆どありません。あっても強羅の白濁した温泉ではなく透明の温泉となることが基本で、ボウリングして温泉を掘った宿というのは本当に数えるくらいしかないと思います。強羅という地名は昔、大涌谷が噴火して岩が飛び散り大きな岩や石がゴロゴロした荒地だったので、ゴウラという地名が付いたとか・・・。そして地表だけでなく岩盤も堅いので、温泉はボウリングして容易にでるものではなかったわけです。
では、どうして温泉があるのか?というと2キロ程離れたところに大涌谷があります。大涌谷の湧き出る噴煙に加水して温泉としてまぜ合わせて温泉としてのお湯を人工的?人為的?に造りだし強羅に供給しています。大涌谷に行くとその混ぜ合わせている塔の様な機械のようなものが見ることが出来ます。では、温泉ではないじゃないか?と言う方もおりますが温泉が地下で出来る原理と同じやり方ですから温泉と同じであるので、そんなに目くじらを立てることではないとは思います。
正直に綴りますと、現地の方達はこの混ぜ合わせた温泉を合成とは言わず造成と呼んでいます。この人的に造った温泉を開発当時は木管(木の中心をくりぬいた管にしてつなぎ合わせて)を通して強羅エリアに運んだ訳であります。現在はもちろん木管ではありません。強羅温泉組合が各宿やホテル施設に管理販売しています。高級別荘地として開発し販売する目玉として、大正10年から大文字の送り火と、又地形が登り坂なので別荘に住まわれる方用にケーブルカーが早雲山まで敷かれました。
別荘地として売り出したときの区画の広さは1区画500坪だったそうです。
又ケーブルカーはいわば別荘族にエスカレーターとしての役割を担っていたのが始まりです。鉄道の開発を見越してすなわちこの地に鉄道を引くことありきで別荘が作られて行きました。
ちなみに私はこのケーブルカー沿いにウォーキングをします。結構、きつい坂です。有酸素運動にはもってこいの坂ですし体幹が鍛えられます。私は箱根に着任してから3年が経ちましたが、改めて月日が経つのは早いものだと実感しています。
さて、ワインバトラーも随分と連載を重ねて来ましたのでそろそろ、私が20代の頃にソムリエになりたかったか等のお話を今回はしたいと思います。
おそらく、そんなに大した理由は無いのですが、サービス業の特質等織り交ぜて綴ろうと思います。

1.正直に綴ります。新卒で横浜のあるホテルに入社したての頃、もちろん、ウエターから業務を始めたのですが、周りに流されるのが嫌だったんです。
私は、デイリー業務を早く覚えて、色々な事を先輩、上司から習いたかったんです。だから誰よりも早く出勤しデイリー業務を片端からかたずけました。
先輩や上司は「君は早くから仕事して感心だね!」なんて誰も言ってくれませんでした。むしろ、早めに出勤すると、うとましい奴のような眼で見られました。
又諸先輩が出勤すると料理の知識やサービスの技術面を教えてくれる方は居ませんでした。では出勤したらどんな話をしているかと言うと、昨日、パチンコで勝った!!!負けたとか、あそこの飲み屋は安いとか不味いとか、車はどんなのがいいとか、あそこの花屋の女店員は可愛いとか、そんな話や、他スタッフや顧客の悪口ばかりでした。まぁ、年柄年中そんな話ばかりではありませんでしたが。
兎に角、嫌だったんです。
こういう環境下に長くいるとたぶん、バカになっちゃう!と真面目に思いました。
2.正直に綴ります。コックさんが大嫌いだったんです。
まず、私達、ウエターを人間扱いしませんでした。又「ウエターは人間じゃない」とまで言われました。ゲストも今ではアレルギーや好き嫌いで食せないものがあれば、現在では、どんどんサービスやコックさんに伝える良い時代ですが、私の20代の頃は違いました。「すみません!お客様がもう少し子羊肉に火を入れて下さいと仰ってますが、お願い出来ますか?」と言えば、「お前!馬鹿か!子羊肉を加熱したら、カチンカチンになっちゃうんだろがよ!ちゃんと説明してんのかよ!」私、「ハイ、ご説明申し上げましたが、少し血が滴るような感じが苦手とのこと・・・」シェフ「お前は人間じゃないから黒服呼べ!(黒服=マネージャーや責任者)」私、上司に「シェフが呼んでます」上司、「なんだ、そんなことでイチイチ呼ぶな!」と渋々、キッチンへ。
すると手のひら返したように加熱してくれます。なんで私が言ってダメで上司が言うとOKなのか?良くわかりませんでした。こんな環境下にいたら気違いになってしまうと真剣に思いました。

3.正直に綴ります。ワインのことをそれほど分からなくても、ワインを売ることが出来てしまうなんちゃってん、ソムリエや中途半端な知識や味覚が無いのにゲストの前にたってそれなりにプロだぞって!恰好して手抜きのサービスするウエターも大嫌いだったんです。
クレープシュゼットって今では殆ど見かけませんがクラニュー糖を加熱して溶かしバターやレモンジュース、オレンジジュース、リキュール、ブランデーで下地のソースを作りその中でクレープを一枚一枚、味をしみこませて折り畳み、3枚仕上げたら、お皿に盛りつけてバニラアイスを載せて提供します。熱いクレープにバニラアイスが溶けて何とも言えない贅沢なデザートですが、最初から折りたたむと充分クレープに味が染みませんが、そのことをゲストが分からないことをいいことに、最初からクレープを折りたたんで放りこんでしまう、所謂、手抜きの方法でつくるのです。ゲストを馬鹿にしすぎています。こんなことしていたら自分やゲストを偽った詐欺師になってしまうと心から思いました。
4.正直に綴ります。ソムリエをしていた上司がカッコ良かったんです。
一緒の休憩時間になると、断片的でしたけどワインの事を色々と教えてくれました。最初に「ほら、お客さんが残したワインだ、味を一緒に見ようか?」って優しく言ってくれました。手にしたワインは今でも忘れません。ルイジャドーのコルトンシャルルマーニュ1982年ものでした。黄金色をまとったワインは輝きを増し、芳醇な香りの広がりは私の心はすっかり魅了されました。「どう?」って聞かれましたが答えられませんでした。先輩は最初に勤務したホテルの唯一のソムリエでした。「蜂蜜やノワゼット香、樽からくるバニラの風味・・・・。」と言葉を淡々と続けてくれました。あ~、自分はこういったことが分かる世界に行きたいと強く願いました。

私が、ソムリエを目指した主な理由は1~4の理由です。これらの理由があったからこそ、本物を目指そうと思いました。本物って?そう、1の様に職場でクダラナイ話をするなら勉強した料理名やワインの話しをしよう。2の様に、コックとは一線を画すもっとゲストと接するサービスできるソムリエを目指そうと。ここで一言、追記しますと、コックさんは、特に新人ウエーターや若い人間を教育の一環として上記の様な罵声を浴びせて?仕込んでくれるのですが普段は優しいのです。
しかし、こと仕事モードに入ると気違いのようになるので、そこは読者の方もご理解下さい。3の様に、これなら誰だってお皿の持ち方やサービスの方法を習うだけならアルバイトでもできる。インチキなサービスマンにはなりたくない。きちんとした基礎がきっとあってこの職場だけでなく何処のホテルに行っても通用する立派なサービスマンの礎を築きたいと思いました。4の様に、専門職として生きてみたい、継続できることを仕事にしたいと思ったのです。
ネガティブな理由がポジティヴな心根を引き上げて、いつもこうありたい、こうなりたいと思って2年、横浜のホテルにいましたが、ついに時期が来て東京のシティーホテルに移ることが出来ました。東京のホテル(900室を超えた部屋数)の9つのレストランバーを有したホテルのソムリエとしてのスタートを切ることになる訳であります。ここからが又壁、壁、壁がありました。
ところで皆さんは1~3の理由、動機についてどのように思われたでしょうか?私のこういう気持ちを仙人は、「不足の心」と教えてくれました。こんなところにいたくないとか、こんな上司とは働けないとか・・・兎に角、観う、考えようによっては確かにそうですね。「不足の心」とういのは「満足の心」とは違うので、不足の心で働いていると不思議と不足、不測の事態が起きてきます。この世は、不思議な世界です。
ところがもう一つの不思議な世界というものがあって、それは「引き寄せの法則」という言葉をお聞きしたことがあるかとは思うのですが、ナポレオン・ヒルに代表される「思考は実現する」ということです。こんな職場は嫌だといって、何処か他の場所に転職して私は兎に角、ソムリエになりたいと願い、実際、ソムリエになりました。ここまでは、「思考は実現する」ということにも合っています。しかし、上司がバカだから、自分を分かってもらえないから嫌だと言って、若しくは強く願ったために、その「不足の心は」、大きな「不測の事態」を同時に引き起こしていました。それは、もっと凄い(自分にとってマイナスのベクトルという様な意味での)上司が大手を広げて待っていました。
まずは、年齢だけ重ねてプライドのみ、やたら高いソムリエ上司。又、私のやることなすことが全て気に入らない料飲部長の上司も追加で現れました。
つまり良い面と悪い面と二つ同時に、しかも悪い方は増幅されていましたので事あるごとに、お客様やゲストよりも気を使わなければならないことが現れ、それは現在でも事あるごとに続いています。
仙人は教えてくれました。不測をしたことを良く思い出して反省しお詫びを形に表しなさいと。形ある世界なのだから形に表さなければ解決の糸口にもならないということです。
又別の意味でこうも、教えて下さいました。「鉄は、火の熱い中にくべられて、溶かされて柔らかくされて、尚且つ、ハンマーで何度も何度も打たれて形を造られて、やがて磨かれてそれぞれの使える製品になるんだよ!
人間も同じ。叩かれて批判されて、否定されて、そして心が鍛えられていく。心はコロコロ転がってやがて丸くなる。」と。又「山の中に入って瀧に打たれたり、野山で瞑想したりしても何も悟れない。人間は、世の中に出れば、嫌味をいう上司もいれば意地悪する人もいる。お嫁にいけば怖い?姑や小姑もいていじめられる。そういうところを通って人間の粋も辛いも経験して心は成長するのだ」とも。自分にとって悪い上司、姑はハンマーだった訳ですね。
とはいっても、時代はもうそんな昭和以前の頃とは変わりましたが、変わらないものがあります。そう、それはどう考えてもあなたや私の心根の本質、あなたや私が実際にごくごく自然に感覚で思ってしまうこと、感じてしまうこと。これだけは変わることはないはずなのです。今のそれぞれの人生は、過去に抱いたそれぞれの心が造りだしている世界でもあるのだと最近は実感しております。
続きは追って連載致します。
紅葉深まる秋の箱根から20代を顧みて、正直に綴りました。
By ニール