NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

ワインバトラー・ニールのライフワーク Part 24

目上、上司からうける教育

「目上、上司からうける教育」

 

私は東京都新宿区で生まれました。その後、幼稚園から高校までは埼玉県川口市というところに住んでいました。今月はちょうど誕生日月になり、56歳になりますが、幼稚園にあがる頃のこの川口、と言っても、丁度、蕨市と浦和市に挟まれたエリアの川口市でしたので、キューポラ(鋳物の炉)の街というイメージではなく、蕨駅から降りて数分もしないうちに田んぼや畑だらけで道路も舗装されておらず、雨になると道はぬかるんでドロドロになりました。夏は夜は、うるさいくらいカエルが合唱していましたし、道端には牛ガエルが車に轢かれてペシャンコになっていたり、良くスルメの足でアメリカザリガニを捕まえました。私は仏教系の幼稚園に入れられたので悪いこと(授業中のおしゃべり、悪ふざけ)をすると、先生に本殿で正座させられたり、口にセロテープを貼られたりしました。小学校に上がると、落ち着きのない子だと言われ先生には抓られたり叩かれたりしました。その頃は田んぼの畦道を使って通学もしていました。又、京浜東北線も車両の床は未だ木造の時代でしたので荒川を挟んで東京でしたが『蕨→西川口→川口→(荒川)→赤羽』本当に田舎でした。梅雨の季節になると床下浸水したり、汚いお話で申し訳ありませんが、お手洗いも水洗式ではなく汲み取り式でしたし、田んぼのや畑の横には肥溜め等もありました。蕨の駅から自宅まではバスが無く徒歩で20分はかかりました。父は新橋の会社に勤務していましたのでドアTOドアで1時間20分位はかかったと思います。蕨の駅から線路沿いに歩くと「日本車両」の跡地である(現在の昭和初期の電車は皆、此処で造られました)広大な空き地がありましたが、やがて私が中学生になる頃、現在のマンモス団地の芝園団地となりました。中学校にあがると少しはまとも?になり始めましたが担任の先生が新任の女性の先生だったのも幸いしてか殴られはしませんでしたが、良く怒られました。少し長々と記しましたが要約すると生活は現在と比較すると不便で田舎であったということと、私達の小中学校の時代は、簡単に言いますと教育は厳しかったですし先生には、悪いことをすれば当たり前のように平気で殴られましたし蹴られたこともありましたということです。親にもよく叩かれました。学校にはいじめっ子はいましたが、いじめられても自殺までしてしまうような陰湿なものは無かったと思います。高校は都内の私立に通い始めた頃に漸く道は舗装されましたし京浜東北線は車両に冷房が入り始めました。私が通った高校はボクシングで全国で有名な高校でした。ある日、ボクシング部の子が習った技術を友達に見せつけて怪我をさせてしまい顔が腫れあがったことがあり一日、欠席した時、その被害にあった子の親が学校に申し出た時、加害者となった子は、担任の教師に皆のいる前で、往復ビンタを何回もしていました。見ていた教室の生徒全員が、悪いことをしたのだから当たり前と思いましたが今では考えられない程凄まじいものでした。教育は今で言うのであるならば暴力は体罰として当たり前にありました。今はそんなことはないのでしょうが、私たちの親の時代は戦時中でしたのでもっと厳しかったとは思います。親はよく疎開した先の辛い話やゼロ戦で特攻隊になったお兄さんの話をしてくれました。

現在、職場で若いスタッフが入って来ると、私達の若いころでさえ「今の若いやつは・・・」とよくいわれたものでしたが、それ以上の子達が多いのではないのか?と思います。成人式をテレビで毎年、流していますが一例にとれば私達の時代からは想像も出来ませんよね!しっかりとした教育(学校でも家庭でも)がされていないのが現状のなではないでしょうか?私は教育者ではありませんから何とも言えませんがそんな気はいつもしています。人が間違えている、叱られている、そういったことを見て、「人の振り見て、我が振り直せ!」って育ちました。

都内のホテルに勤務していた頃、巣鴨にあるホテル学校から講師の依頼が来たのでサービスの教育を受け持つことになりました。携帯電話が普及し始めた頃でしたので皆、授業中でも携帯電話を机の上に出していました。2年生は就職活動の内定通知を携帯電話で受けるため授業中も連絡が取れるように出して良いという規則になっていましたので許されていましたが、明らかに違う用途で使っている子もいました。まぁそれよりも居眠りする生徒が多かったので、起こそうと思い寝ている生徒にはそっと肩に手を置いて起こしたりしていました。夏休みになる前に学校側から、生徒から先生の授業に対する評価表というのが渡されるのですが内容は、「この先生の授業は分かりやすいとか、丁寧とか、為になるとかがアンケートによる数値で示されたもの」が手渡され、教務指導の参考にしてくださいといったものが渡されます。そこの備考欄を見たら、驚きました。評点はともかく、この先生(私のこと)はベタベタ体に触るので止めてほしいとありました。気持ちが悪いと書かれていました。殴りはしないものの、こ突いただけでもそんな風に書かれる。あの時でさえそう感じたので今はもっと大変なのだろうなと実感できます。その後、寝ている子は放置し、成績を落としました。その時はそうすることしか思いつきませんでした。

ソムリエをしている頃も、新入社員で入って来る子達もそうでした。全員がそうではありませんが、目上、年上のものに対しスペクトするという精心が足りない子達が以前に比べて増えてきています。直下の部下で前回も紹介した女性ソムリエールのNもある時、私がある用事をメールで頼みましたら「ラジャー!」と返って来ましたので、厳しくこう言いました。「あなたは私の友達じゃないんだから、ラジャー!はないでしょ!私は了解しました!でもその人が何処でどういう育ち方をしてきたか見ていますよ!目上に向かって了解しましたなんていう言葉使いは本来ありえないし、ましてラジャー!とは何事か!!畏まりました!が正解でしょ!」と。厳しく育てると、ふてくされる。優しくすると、つけあがる。教育とは難しいけれど自身の自戒も込めて感じるようになりました。

ソムリエの仕事は、資格の時代になりましたので、ソムリエの試験に合格すれば「ソムリエ」を名乗って良いことになります。しかしながら今の資格だけ有していて実際現場に立たない、つまり運転しないからゴールド免許を持っているようなドライバーと一緒の「ソムリエ」も増加しています。例えば現場で、「ワインをシャンブレして置いて!」と頼むとどういうことかも分からない。「シャンブレとは室温に戻すということ」なので一旦、大きなセラーから日常のディセラーに移すとワインをデイセラーの温度に落ち着かせるためにワインを立てて置く作業のことです。でも今は、デイセラーが主流で在庫数は持たない時代になりましたのでそのまま納品直結で冷蔵庫というパターンも多くなってきている様です。教科書で学んだことは覚えているけれど、現場では現場でしか習えないことが沢山あると思いますが、昔のしきたりや作法は古い言い方かもしれませんが、やはり、師匠みたいな存在の先輩がいないと何だか残念と感じるのは私だけでしょうか?良きも悪しきも先輩から習ったことはあった方がいいのです。

例えば、シャンパーニュのサービスでは、通常、何℃でサービスされると思いますか?教科書、マニュアルでは、辛口の表現をする表記のbrut(ブリュット)では10℃くらいとなっています。何故ならば、これ以上冷やすと香りが立たないからです。しかしこれを現場でやったらどうなるか?きっともっとちゃんと冷やせ!となる訳です。すなわち、教科書で習ったことは現場では通用しないということです。又最近では、シャンパーニュをデカンタージュして強い泡を和らげるのです等という事を誠しあかに謳っているワイン生産者がいます。これをセミナーとかでやられてしまうと、教科書から誕生したソムリエは真に受けてしまうので危険です。あのシャンパーニュの泡は瓶の中で生成されて造られたものなのでそれを和らげるために、デカンタージュ(他の容器に移し換えること)をしたら折角、何年もかけて付けた泡が消し飛んでしまうからです。もちろんゲストがこのシャンパーニュは元気が良すぎて泡がきついから和らげてといった時のみ有効な手段だということでそれ以外はするものではありません。つまりそういったことをきちんと教える上司、先輩がいないといけない訳であります。野球でもゴルフでもバッティングセンターや打ちっぱなしに行って素振りや練習をしても、実際にバッターボックスに立っ

て玉を打つことや、ゴルフ場でラフから玉を打つのでは雲泥の差があります。理論理屈は分かっていても、あ~きたら、こ~打つんだよねと考えているうちに玉はミットの中に納まってしまっています。アイアンなら芝の深さや風の向きで番手を間違えてしまうようなものです。つまりは実戦に勝るものはなく、実戦を経験した先輩からの教育なくしては上達は見込めないということになりますね。

最近のソムリエ資格制度は資格をとることに重点が置かれ始めたので、協会は懸念も考えてしきりにフォローアップセミナーの実施に取り組んでいます。ここが重要なところだと思います。

私達の時代のソムリエは、教科書も教本もしっかりしたものがなく、アカデミー・デュ・ヴァンの英語の教科書を読み込み、サービスは現場の先輩から習いました。人間が絡んでくると必然的に礼儀も習いますから、どういうサービスが非常識で、ゲストに対して不親切か等も学べた訳です。ワインでの一例ですが、ある程度ソムリエとして成長したころ、ある先輩が(教科書からのみ学び先輩のいうことを絶体に聞かない方でしたが)ムーラン・ア・ヴァンという赤ワインをサービスしていました。このワインはボジョレイのワインですが、ボジョレイワインは伝統的にパニエ(ワインを入れるカゴのこと)には入れないということになっています。しかし教科書では赤ワインはパニエに入れてそっと注ぐと書かれていますから、彼はパニエに入れてサービスしていました。それを見た上司は私に、「いいかい、非常識で恥ずかしいよ、あんなサービス。お里が知れてしまう。」とつぶやきました。実際に私がソムリエコンクールに出場した際、このワインがサービス実技として出ましたが、準決勝で知識がある現在では有名になったソムリエさんもパニエに入れてサービスし当時、準決勝で敗退して残念なことになった方がいます。彼は独学でコックさんからソムリエに転換した方ですがやはり実戦での現場上司はいなかったので仕方無かったのかも知れませんね。後に優勝して有名にはなりましたが。

教える方も習う方も礼儀が無くてはいけません。礼儀なきところに正しい教育はありません。子供の頃から怒られながらも学んだ礎が無いと大人になってから技術を習得し成長するスピードも変わってしまうことがあるかとは思います。これは何もワインのサービスに限ったことではありませんね。私も皆さんにもこういったことはままあること思いますが如何でしょうか?

私は、2月で56歳になります。厄年ではありませんが・・・。

そういえば厄年ってどんな年だかご存じですか?仙人が教えてくれました。「厄年はね!世の為人の為、一層、役に立たなければいけないよ!という年なんだよ!あたかも災難が起こるとか、悪い年なんて脅かしているけど違うんだ!騙されちゃいけない。」・・・私は、誰かの役に立つなんて大げさなことでなくても良いと思います。誰かが私のしたことで喜んで頂ければそれだけで嬉しいですね。笑顔にしたいし笑顔になりたい。幸せは相手に合わせることから始まります。相手に合わせて素直に聞くこと。さらに、愛(アイ)とは、相手に合わせる(アイ)なんだと仙人は教えてくれました。

 

by ニール