「若き靴職人・匠に挑戦」
靴の修行にフランス、パリに行った若いロッカーがいる。
通常・靴の作り方を勉強するには、多分イタリアが理想だろう。
それを、あえてフランスを選んだ理由がある。
仙台で生まれ高校を卒業した若者は今の若者と同じようにロックに嵌っていた。
3人で結成されたグループだ、若者はボーカル担当。
そして勇んで、成功を夢見て都に上る。
しかし、誰もが直面する問題の発生だ、仕事がない、食べていけない、様々の困難が若者を襲う、ロックの華々しいデビューが遠のいていく。
しかし、夢は捨てない覚悟は出来ている。
とにかく、仕事探しからスタートだ。
街の中を歩きながら割と率のいいアルバイト先を探していく。
街で看板を見つけた「靴の修理」募集と書いてある、給与は率はいい。
早速、応募してみる。
ここはロックの仕事が見付るまでだ。
食べることが先決、答えはデビューまでと心に決めた。
ロッカー遠藤光志(ENDOU KOUJI)
高校での恐れを知らない今の若者の一人だ。
未来の路は自分の前に広がっている、心は躍る。
アルバイトで始めた「靴の修理屋」の仕事は割と効率がいい、アルバイトなのに、何故か靴の魅力に嵌っていく。
毎日靴との対話が面白く感じ始める。理由はない、靴をいじる事好きになる。
このままだと、ロックのデビューは遅くなる、かも。
靴に対する思いはますます心に広がる、とどめなく興味が湧いてくる。
どうしてだろう、汚れた靴を手にして踵の修理をしている時でも、靴の構造に入り込む自分がいた。
そんなあるとき、先輩の職人がお前には靴の心が分ると言った。
靴の学校にいって基礎から学んだらいいとアドバイスをくれた。
ロックから、靴の修理か何故か迷いはなかった。
靴の全てを学ぼう、靴の学びに飛び込んでみよう、それも自分の運命かも。
何故か、靴に対する思いがどんどん膨らんでくる。
「修理」から「制作」に自分が進んでいく過程が心に刻まれていくのが分る。
面白い、楽しい、頭の中にオリジナルの自分の靴が沸いてくる。
手探りで、靴を作り始めた。
難しい靴の製作過程、細かな機材(ハンマー・木型用ナイフなど)を揃えていく楽しさにロックの世界がますます、遠のいていく。
学校とアルバイト、実はアルバイトから正社員にいつも間にかなっていた。
いままでのロックの世界にとっぷりつかっていた毎日が何故か靴の世界に入り込んでいく自分がいることを普通のように思えてきている。
靴を学ぼうから靴を作ろうに変わってきている、そんな自分にワクワクしている。
そんななか世界の靴事情をネットで調べている自分がいる。
不思議ではない、そんなあるときネットで見つけた気になる靴職人がいた。
アントニー デロス・ANTHONY DELOS・に魅せられた。
フランス人だ。
通常、靴を習いに行くコースは、先に述べたがイタリアが本筋だろう。
有名靴メーカーは殆どがイタリアだからだ。
しかし青年遠藤は迷わなかった、フランスに行こう。
お金は少し貯まっている。
だが、長い期間は無理だ。
フランスにメールを送った。
返事か来た一度来て見たらというアントニーの嬉しい言葉が書いてあった。
半年でもいい、行くことだ。
東北人は頑固だが決断は固く強い。
会社には事情を話した。
先輩の職人達は応援してくれた、会社も理解をしてくれた。
しかし、もう一人理解をしてもらわないといけない人がいる妻だ。
以前からフランスに行きたいとは話していたが急にいくとなるとどうなるか、しかしそんな不安はなかった、妻も彼の頑固さと決意の強さは知っていた。
フランス郊外ロジェ・シュール・ロワール(Les ・Rosiers ・Loire)がアントニーのアトリエがある場所だ。
アントニーのショウルームはパリにあるが、アトリエは別の場所にある。
その場所がロアールだ。
心はもうロアールにある、自分は既に30歳を越えている。
自分に与えられた時間は少ない、得ようとするなら今しかない。
海外の旅は初めてだ。
フランスそれも、パリ、美しい都を見る時間などない。
やっと、ロアールにたどり着いた。
アントニーが快く迎えてくれた。
さあ、学ぼう。
一から、スタートだ。
だが、ここではまだ素人に近い。
しかし、実際は靴のノウハウは既にプロだ。
即、アトリエに入れると思った自分の甘さにきずいた。
日本では、職場(アトリエ)で学ぶということは当たり前。
しかし、ここフランスでは、新人はアトリエに入ることは許されない。
勿論、入れる可能性のある人はいる、職人としての内容が備わっている人のみだけが、先輩の傍で仕事を見、言われた作業を手伝う事を許される。
しかし、そう簡単にはいかない。
だが、遠藤はアンソニーの特別の計らいでアトリエでの作業の参加を許された。
日本での遠藤の仕事を認めてくれたからだ。
靴作りの作業は、日本で経験した作業とはいささか違う、基本は同じでも流れは、まるで新しい感性が渦巻く集団に放り込まれたような雰囲気を感じた。
新しい自分に挑戦だと言い聞かせた。
靴の魅力ばかりかフランスの文化に触れる喜びと震えが身体に伝わる。
アンソニーの技を捉えられるか、自分の能力との勝負が始まる。
フランス人と日本人の感性ばかりか体形も違う、当然足型もまるで違う。
それを踏まえて青年遠藤は靴に挑んでいった。
半年の修行予定が三ヶ月に短縮された。
理由はアントニーが靴の宝石といわれているイタリア名門靴「ベルルッティ・BERLUTI」から誘われたからだ。
アンソニーの靴は、それまでパリの彼のショップで収まっていたが理由があって閉店した。その彼の靴技能を高くかっていた「ベルルッティ」が彼を引き抜いた。
遠藤は当方にくれた、まだ、まだ、未知数の自分に自信がない。
どうしたらいいのか、途方に暮れた。
悩みは尽きない、まだ技術も未熟だ。
だが、アントニーの事情も理解しなくては、一度日本に戻ろうと決心した。
積み重ねてきた大きな財産を持って日本に戻った。
しかし、心はまだフランスパリにある。
フランスで学んだ技術をもっと磨こうと帰国しても心に誓った。
遠藤現在34歳、1979年生まれだ。
現在品川不動前に小さなショップを出している。
名前はShoerpain「Gentille」(フランス語で、優しい靴屋)だ。
遠藤の人柄が、そのまま店の雰囲気を作り上げている。
フランスから戻り、元の職場で働く事になったが自分は納得できなかった。
職場は歓迎してくれ、大切にして扱ってくれたが心は自分の"靴"で一杯だ。
フランスに戻りたい、心は自分の靴を作りたい、悩んでいた。
そんなとき、友人達の助けでアトリエ、兼、ショップがオープン出来た。
自分の靴も一足一足とショップの店頭に並べることに喜びを感じ始めた。
まだ、少ない自作の靴だが自信はある。
確かに美しい、形ばかりか丁寧さもずば抜けている。
アトリエに並べられている遠藤の靴は紛れもないメイド・イン・フランスだ。
彼の靴には、ブランドネーム、"79"が靴裏のどこかに押されている。
フランス語で、Soixante-deix-neut "79" だ。
何か意味がありそうだが、彼に聞くと、
自分の誕生が1979年だからだそうだ。
これから何年かで、"79"この靴は確かな答えを出す筈だ。
"匠"に向けての若き靴職人の挑戦は始まったばかりだ、"79"は注目だ。
「NAGASAWAMAGAZINE」はこの先も、彼の手元の動きから目をそらせない。
企画・取材・文・永澤洋二
フォトグラフィ・五頭輝樹