NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

隠れ匠の技  五十嵐 司 1

 

       ルーヴァー 服仕立て職人 五十嵐 司

 

       ”グループサウンズのユニフォームを

            仕立てる時の緊張感はたまらない”

 

最近、匠という言葉が多く使われ始めた。

匠とは、”手先や道具を使ってものを作り出す”とある。また、”美しいもの、新しいものを作り出す技”ともいう。

 

ここに、匠と呼べる一人の男がいる 

”五十嵐 司”だ。

洋服職人だ、仕立て屋と呼ばれている。

数十年前、日本の若者達が熱狂した、ワイルドワンズ、スパイダース、ゴールデンカップ、テンプターズ、そして、沢田研二のタイガース、などのグループサウンズのユニフォームを作った男だ。

1970年代、日本は高度成長期の真っ只中。新しい経済の風が人たち巻き込んだ。

音楽、ファッションという文化も超スピードで若者達の心を掴んだ。

洋服仕立て人、五十嵐 司もその一人だ。

向島の伯父の洋服屋で修行を重ねていた五十嵐は若い友人達の服も仕立てていた。

当時男性向け雑誌「男性専科」のモデルたちの服のデザイン制作も担当していた。

新しい感覚の服を仕立てる喜びを感じ始めていた。

あるとき、飯倉にあるレストラン”キャンティ”(当時若い人たちの人気レストラン)の隣のブティック”ベビードール”に勤務している友人に服の仕立てを頼まれた。

仕立てた。新しい感性の五十嵐の服はたちまち、友人達の間で評判を呼んだ。

”ベビードール”を経営していたマダム川添は、五十嵐の仕立てた服にひらめきを感じた。

川添はすぐさま、五十嵐を呼び寄せた、そして言った「いま、勢いのあるグループサウンズのユニフォームを作らないか」持ちかけた。

 

 

五十嵐は考えた、まだ僕は若い、そんな大きな仕事は出来ない。

まして、アトリエも無いフリーの仕立て屋だ。

マダム川添は容赦しなかった「貴方は自分の才能を知らなすぎる、貴方はいまが勝負よ」そして言った。

「グループサウンズの服を作りなさい」五十嵐は、新しい素材に震えた。

相手は時代を揺るがす勢いの最高のグループサウンズだ。

五十嵐は自分に賭けた、毎日が勝負だと思った。

ステージ上での彼等の期待を外したら、五十嵐の人生は終わりを告げる。

胸が高鳴った、五十嵐の腕を上げていった。

タイガース、スパイダース、彼等の人気は恐ろしいほどの勢いを見せていた。

同時に五十嵐のユニフォームも人気を博した、仕事は順調だ。

しかし、グループサウンズの嵐は少し陰りを見せ始めていた、人気の盛りが過ぎようといていた。

五十嵐は焦った、その時、34歳を迎えようとしていた。

 

霞町に新しい小さなビルが出来た。

友人が勧めた。ビルの一階が空いている、そこにアトリエを作らないか。

五十嵐は思っていた。このまま、ユニフォーム作りで終わりたくない、新しい自分を試したい。決断した。勝負はこの場所に決めた。

 

アトリエの名前を、”Boutique LOUVRE”(ルーヴァー)とした。

1975年、現在の南麻布だ。五十嵐は心に決めていた。今までを自分を全部捨てよう、一からのスタートだ。いつの間にか、今までにない人たちがドアを開いてきてくれる。政治家、企業家、勿論一般の人たちが、絶え間なくこの店を訪れる。五十嵐の仕立てを愛してくれる人たちが。匠の技はますます、冴えていく。

 

そして、五十嵐はこう感じた。

「僕は服の仕立て職人だ、死ぬまでこの場所で服を作りたい」

いつの間にか、お客がアトリエを埋めた。

 「当たり前だが、何年着ても崩れを感じない、着易さは抜群」

長い付き合いが始まる。

 

 

 

取材・文・永澤 洋二

カメラ ・五頭 輝樹