NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

編集長 永澤洋児
深江賢に聞く~回顧録スペシャル~
洒落おやじの青春取材記 工藤
特集記事 ANA

ブルガリと私の回想録 第49回

「良き時代」のレビュー(後編)

-陰りの見えるブランド・ブームの中で、独り意気軒高-

躍進期(97~00年)、まさに“疾風怒涛”の時代

銀座店増床改装グランドオープン 02、9、
銀座店増床改装グランドオープン 02、9、

「百貨店におけるブランド品の売れ行きにかげり」(99.1.4付日経朝刊)と言われる中で、ジャパン社にとって、世界史授業で学んだ「シュトゥルム・ウント・ドランク」(和訳:疾風怒涛―18世紀後半のドイツでの革新的な文学運動)とでも表現したいような時代でした。

グループの他エリアが軒並み98年売上前年比で100%を割り込む中で、日本を軸とした北太平洋エリアへの期待は一段と高まり、00年ジャパン社では、会長トラーパニ・社長深江の新体制が発足。パートナー・伊藤忠とそのソウル支店に全面的にお世話になってきた韓国ビジネスでは、01年に現地法人が設立され、深江が初代社長を兼務することになります。(回想録23

 

この期はグループとして、経営体制の充実と共に、ブランド力の強化に注力。先ずは、新しい商品群次々と繰り出します。

時計では発売日に長蛇の列が出来、一般紙にまで取り上げられた97年ソロ・テンポ、時計を巻いたジャンボ機で注目された98年アルミニウム(回想録26)、今も基幹商品としてシリーズが続く99年Bゼロ1、初めての角形00年レッタンゴロと話題作が続々。アクセサリー類では98年サングラス、革製品の投入、99年シルクのトリバーレ・シリーズ発表。そして、発売以来5年間、オ・パフメ唯一種で業界にブルガリの名を確立した香水部門が、満を持して97年HTV、98年ブラック、00年BLV(ブルー)と次々と新商品を発表しました。

 

新作の発表がなかったジュエリーで特筆すべきはジャパン社提案のブライダル。99年に発表した日本限定ラインは大きな話題を呼び、01年の銀座ブライダル・サロン開設で更に輪を拡げ、最終的にはグループ他社もこれを扱うようになったのです。(回想録25

ネガッティ駐日イタリア大使御夫妻とジャパン社幹部たち 99、4、第一回BDA大使公邸にて
ネガッティ駐日イタリア大使御夫妻とジャパン社幹部たち 99、4、第一回BDA大使公邸にて

この展開の陰の立役者がのちのベンチマークC社出身で、ジュエリーのエキスパート濱夛田万子。私の直轄スタッフとして1年余り、ブルガリのSWOT分析をした結果での提案で、この大成功。トラーパニは99年のグループ表彰で、「ブリリアント・ドリームス特別賞」を贈呈し、その功績に報いたのでした。

 

次には、堰を切ったような日本の出店ペース。

97年12月に銀座、それも中央通りに念願の直営路面店を(回想録24)、99年には福岡のモールに大型店をオープン。インショップについては、抑えに抑えながらも、髙島屋基幹5店への出店完了で優先約束を果たしたこともあり、他百貨店との取り組みを開始。97年3月大丸神戸、98年4月同福岡、5月同心斎橋。99年4月松坂屋名古屋、5月そごう広島、そして6月に伊勢丹新宿、00年3月JR髙島屋名古屋。一方この間、シルク・皮物などを中心にした小型ショップを98年9月東武池袋、99年9月三越札幌、10月髙島屋玉川SC、00年11月髙島屋立川、12月松屋銀座とオープン。外から見ればサイズの大小など関係なく全てブルガリ・ショップ。さぞ派手な印象があったことでしょう。

 

そして仕上げはマーケティング。前の期で本社から大きな信任を得たジャパン社の活動は、有能な人材たちの入社と、99年初頭赴任されたメネガッティ駐日イタリア大使の絶大なバックアップを得て、この期に大輪の花を咲かせます。

新しい商品の紹介や新ショップの開店には顧客への披露が伴います。ほぼ毎月のように、場所を変え、手法を選び、イベントを開催。(回想録35)その頂点がブルガリ・ブリリアント・ドリームス・アウォード(BDA)で、99年創設を発表するや予想以上の大反響でした。(回想録13

大使の在日イタリア商工会議所の活性化方針で何かと増えた催事や、日本におけるイタリア年(01年)行事では常に筆頭ポストに指名され、一方BDA披露会では大使公邸をフルに使わせていただいたばかりか、ブルガリ主催の殆んどのイベントにご出席いただき、ブルガリの活動はあたかも“イタリア大使公認”の印象。これは北京に異動される03年までの丸4年間続きました。(回想録14

2000年BDA受賞・松阪大輔君と00、5、大使公邸
2000年BDA受賞・松阪大輔君と00、5、大使公邸
2001年BDA受賞・浜崎あゆみさんと01、5、大使公邸
2001年BDA受賞・浜崎あゆみさんと01、5、大使公邸

更に管理部門が充実。膨張する資金と事務処理、ショップオープンの度の人員採用と研修、さらには評価システム、アイテムが増える一方の商品管理と配送、本社や内部でのコンピュータ対応や知識など、財経・人事総務・ロジスティックス・ITに、有難いことには、実に優秀で、熱い人たちが集まりました。

落ち込む日本景気と世界情勢の変化

97年4月の消費税5%引上げは消費の落ち込みに拍車。四大証券の一角、山一證券の11月の自主廃業で環境は暗くなるばかりでした。次の期にまたがりますが、01年、完全失業率は戦後最悪、失業者数は過去最多、倒産企業は戦後2番目という中で、ついに戦後初のデフレの公式認定。適切な手を打てない政府に業を煮やした国民の小泉旋風が起こり4月に小泉内閣が誕生。日経平均は03年4月の20年前の水準値7,607円を底としてやっと上昇に転じます。

サングラス発表会でのインタビュー  98、2、東京店
サングラス発表会でのインタビュー  98、2、東京店

海外では98年1月決済通貨ユーロが誕生し、02年よりEU12カ国で統一通貨として流通開始。01年9月11日には、世界を震撼させたNYでの同時多発テロ発生し、これが引き金となって03年3月アメリカはイラクと戦争に突入しました。

激動期(01~03年)、次代への引継ぎを模索

9・11の影響でラグジュアリー市場はたちまち停滞。94年以来の圧倒的な売上げの伸びも遂にストップかと諦めかけた02年決算は、12月最終日に前年比103%に到達、03年引退まで無事“右肩上がり”を続けることが出来ました。

 

この期の新製品の投入は01年7月ジュエリーのLUCEAライン、03年同ALLEGRAライン、6月香水のOMNIAのみと、本社でも静観の時期でした。

 

出店ペースは変わらず、01年8月大丸京都、9月東急渋谷、9月阪急梅田、10月伊予鉄松山、02年10月銀座店増床・改装、11月三越日本橋、西武池袋、03年3月大丸札幌、4月三越名古屋、そごう横浜と活発に続きます。

大丸・札幌では北海道進出報道の一環として、当日夕方のニュースで私のTVインタビューがOAされたのはブルガリの勢いゆえのことだったのでしょう。

 

私個人として、親分肌のボス・マッキ(回想録33)の退任で潮流の変化を感じ、トラーパニと相談して後継者の模索を開始。引退では何かと我が儘を通しながら、03年末ステファン・ラフェイにバトンタッチしたのでした。(回想録22

“ブルガリ紀尾井クラブ”に集う人々

ブルガリ紀尾井クラブの集い ⒕、⒓、ホテルニューオータニ
ブルガリ紀尾井クラブの集い ⒕、⒓、ホテルニューオータニ

「あの頃はトップとの距離が近かったですね」09年12月28日の紀尾井町・旧東京本店の閉鎖(回想録5)を機に、その後毎年12月に集まることになった、いわば同窓会。名付けて“ブルガリ紀尾井クラブ”。昨年、NY在住から帰国し、この会に始めて顔を見せた元大阪店セールスのコメントがこれ。相づちを打ちながら、思わずうれしさに浸ったことでした。

 

最近、ジャパン社の人からこんな話を聞きました。

ここ数年、ブルガリ勤続20年社員の表彰が続いていることについて、今の親会社LVMHグループの人事担当が「自分たちは入社して5,6年目でベテラン感覚なのに、ブルガリにはこれだけの社員がいるとは、」と感嘆していたとのこと。

ブランドに対するロイヤルティ(忠誠心)とその自己への矜持の高さの差とでも言えましょうか。(続く)

平成284

 

深 江  賢(ふかえ たかし)