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深江賢に聞く~回顧録スペシャル~
洒落おやじの青春取材記 工藤
特集記事 ANA

ブルガリと私の回想録 27

一味違う採用システム、社員入社までのあれこれ

-社員はすべて正社員、中途採用者たちが強いチームワークに結束-

 JAL機内誌WINDSでの岡崎ゆみ氏対談(2002.1)
JAL機内誌WINDSでの岡崎ゆみ氏対談(2002.1)
JAL機内誌対談 同左ページ
JAL機内誌対談 同左ページ

採用選考は企業説明会から始まっていた

「この人は社長の話を聞いていなかったから、面接対象から外しましょう。」

企業説明会のあと、応募書類にもとづいて一次面接候補者を絞っていた時に、採用担当からの一言。

 

ブルガリの認知度が飛躍的にアップした90年代後半、毎年2~3店ペースでの出店に合わせて社員のニーズが増加。初期の頃とは大違い、大勢が来場した広いホールでの企業説明会。その“仕掛け”は指定された着席にありました。ここで最初のチェックが始まっていたというわけです。更に重ねて、面接受付での態度。実はこの採用のプロ自らが受付をいつもさりげなく務め、こちらもその意見を必ず参考にしていました。

 

 ジャパン社の採用スタイルは少し変わっていたかもしれません。殆どが転職組ということもあり、社員となる人をこの目で確かめたいという私の考えで、徹底して面接にこだわりました。どんなに人数が増えても最終面接は必ず実行。それも営業・マーケティング・財経の各長と取締役と私の5名がズラッと並んで、矢継ぎ早に質問を浴びせます。いつしか、<私が質問をしなくなったら脈ナシ>、逆に<採用が見えたら厳しい質問でホンネを引き出す>という暗黙の了解が出来、受験者が泣いて帰宅しダメだったと報告しているところに、採用決定の電話が入ったというエピソードが一度ならずあったようです。

 

 

とにかく「ブルガリファミリーの一員」を念頭に置いて、面接では徹底して「人物」を重視。いくら販売経験があっても社会人として不足ありとか、ブルガリ色に染め直すのに時間がかかりそうなどで、同業他社や小売業からの転職希望者は意図的に敬遠。大企業が社会人としての初期教育をしっかりと施したエアライン関連や商社・証券・銀行などの接客関係の人を、‘トンビの油揚げ’感覚で決めることが多くなりました。95%を超える途中入社の社員達。バラバラの履歴の彼らが入社後の研修を通じて、いわゆる「ブルガリイズム」に染まり、築いたチームワーク(回想録11)がブルガリ大成長の原動力となったわけです。この一味違う面接スタイルがそれを引き出せたと今でも思っています。

週刊ダイヤモンド誌のインタビュー(2000.3.25)
週刊ダイヤモンド誌のインタビュー(2000.3.25)
 芸術新潮誌でのイタリア貿易振興会東京事務局長キャッピーニ氏対談(2001.8)
芸術新潮誌でのイタリア貿易振興会東京事務局長キャッピーニ氏対談(2001.8)

トップといえども人の子、自分で直接面接した社員が活躍している姿をみると嬉しくなるものです。20年近く経た今でも、OB会などで会うとその時の印象が蘇り、お互いにその話題で盛り上がります。これも規模の拡大とともに、採用は人事部任せ。トップのこの人間的な喜びのチャンスはなくなり、さらには個々の販売力が優先されるようになり、同業他社からの転職や小売経験者の受け入れが常態化してきたのは時代の流れというものでしょうか。

 

 

◇「店長以外はパートで十分」という小売経営の常識の非常識

 

 「何を今さら! 社員はファミリーの一員。正社員であることは当然だよ。」

 ジャパン社の設立に際し、トラーパニに勢い込んで言ったことに対する反応がこれ。パートで人件費の削減を図るという小売業界の常識はブランドビジネスでは採るべきでない、などとは言わずもがな。その後のブルガリの姿勢を見るまでもなく、同業他社の数倍ともいえる莫大な人材への投資対象は正社員であるべきでした。

 

 今、離職率が急進、人材使い捨てのブラック企業との風評に、契約社員を正社員に切り替えようとする動きが大手小売企業にみられるようです。曰く、店長中心の上意下達組織から、販売員のチームで自主的に問題を解決する組織への改革を図る。曰く、専門職としての販売職の研修や教育制度を充実する。曰く、販売員のスキルアップやキャリアパスの制度を整える。曰く、契約社員の正社員登用を拡大する。いずれも、全くその通り! 優秀な人材確保には当然すぎることです。安い時給でいくらでも人が集まる時代を享受してきた企業がこれからの少子高齢化に向けての方向転換とか。すべては対外的にアナウンスするこれら政策への投資の「本気度」次第でしょう。

 

 

◇PR専任のヘッドハント、引き抜き先の社長に挨拶も、キツーイ一言

 

 97年の秋ごろ、鳥羽が私にヤッカイな話を持ってきました。

 

少数精鋭でガムシャラに進んできたマーケティング部も兼務々々では増加一方の仕事をこなせなくなり、一方ローマ本社からは専任のPR*マネジャーを探せと矢の催促。そこで目をつけたのが、前身のアオイ時代から取引のある中堅広告代理店の看板営業ウーマン。本人の了解は取ってあるから、社長に‘仁義を切ってくれ’とのことでした。

ハーバード・ビジネス・レビュー誌のインタビュー(2001.1)
ハーバード・ビジネス・レビュー誌のインタビュー(2001.1)
文芸春秋誌(1999.7)
文芸春秋誌(1999.7)

スジを通すのは商い道として当然のことながら、この社長が業界でも評判のコワモテ。まさに、エライことをしてくれたな という正直な思いです。一方、彼女は有能、経歴は言うことなし、そのうえ体育会ゴルフ部出身のキュートな美人とあれば、人材確保のためには弱音を吐くわけにもゆきません。ハラを括って出かけました。

 

「深江さん、今日は何用ですか?」用件を分かっていながらの第一声。

こちらは正面突破以外に道ナシ。幸いは、ここでも共に関西出。更には共に体育会系。学生時代はサッカーで鳴らしたとのことで、直ぐに心よく移籍を認めていただきましたが、最後に一言。

「今日こうして来られなかったら、ひと言申し上げに行くところだった」と。

 

鳥羽の目は的確でした。ファミリー以外で唯一のOKを得ている私のメディアへの露出がターゲットの有力紙・誌中心に一挙に増加。また、多方面に亘る活発なPR活動にイタリア側の評価はうなぎ昇り。「JALで機内誌を開いたらお前の顏が出てきてビックリした。」という友人達からの電話やメールがあったのもこの頃。マーケティング部は夜明け期(回想録9)から充実期に向かいます。


型にはめない集合写真が自主性とチームワークのもと。 (2000.5 LAC・伊東温泉)
型にはめない集合写真が自主性とチームワークのもと。 (2000.5 LAC・伊東温泉)

一方で彼女にはこんな話も。1年足らず遅れて入社したAD**マネジャーの男性。現在は英国を代表する陶磁器ブランドのマーケ要職ですが、今でも飲み会などでボヤくことは、「超ミニで高々と足を組み、タバコをふかしながら電話を掛けまくるあのコには、目のやりどころに困りましたワ」と。今で言う肉食系?(かどうか、今はフランスのブランドジュエラーの要職にあり、家庭では1児のママさんの本人と当時の仲間たちに改めて聞いてみます。)

あれやこれやで日本主導のマーケティング活動***は黄金時代に入り、私の引退後、全てがイタリア本社主導に戻されるまで続きました。(続く)

 

 

 

2014年6月

深 江  賢 (ふかえ たかし)

 

 

 

 

  <脚注>
*PR
Public Relationsの略称。AD活動と異なり、自社の商品や代表者を各種メディアに記事として取り上げてもらうための活動。活動範囲が非常に広い。

 

**AD
Advertisingの略称。広告宣伝を中心とした活動。

 

***マーケティング活動
通常はPR・ADとSP (Sales Promotion) 活動の総称。MD(Merchandising)を含めるところ
も多い。

 

 

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