NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

深江賢に聞く~回顧録スペシャル~
洒落おやじの青春取材記 工藤
特集記事 ANA

ブルガリと私の回想録 第50回 最終回

人と時と運に恵まれた在任の日々

イタリア共和国功労勲章・コメンダトーレ章(撮影・Takao Ohta・13・4月号・EQUUS誌)
イタリア共和国功労勲章・コメンダトーレ章(撮影・Takao Ohta・13・4月号・EQUUS誌)
同認定証
同認定証

―イタリア共和国功労勲章・コメンダトーレ章に結実―

1985812日・1856

羽田19時発伊丹行きJAL125便。

ラウンジで飲んだビールと前日フルのテニス疲れで、シートについてすぐにうとうとしかけた時、キャビン・スクリーンのNHKニュースでキャスターが、「只今入りましたニュースです。JAL123便の機影がレーダーから消えました。」

スクリーンは離陸のため直ぐに消え、深く考える間もなくぐっすりと伊丹まで。

到着口にいつもより人が異常に多いなと感じつつ、タクシーに乗るや、運転手が「お客さん、東京からでっか? えらいことになりましたなア。」

ここで始めてフラッシュバック。事態を飲み込め、途端に背筋がゾッとしたのを昨日のように覚えています。

 

84年8月、ニューヨークからの帰任先は大阪。赴任前の東京転勤で家族を帯同しており、今度は母親が一人で住む西宮の自宅からの通勤という逆単身赴任の身。本部企画統括という難ポジションにも慣れ、隔週ペースで金曜夕に東京の家族のもとへ、日曜夕に自宅に戻る、という単身赴任族パターンが出来つつありました。この時は恒例となっている仲間とのテニス大会の都合と夏休みを使って、この12日の月曜帰り。18時と19時発の両便に使える便利なJAL伊丹行きオープンチケットを常用、就寝時間の早い母親のことを考えて、主に羽田18時発123便を使うようにしていました。

当日のJAL搭乗券をバウチ加工した著者のお守り

 

何故この日に限って125便になったのか。

家内にせき立てられるように家を出たものの、暑さの最中、妙に体が重く、羽田で急げば間に合ういつもの123便に乗るよりラウンジで一息という誘惑に負け、心でオフクロゴメンと言いつつビールをのどに流し込んだのでした。

 

人の運というのはこのようなものなのでしょう。

このほか、数秒違えば、という自分だけが知る際どいことも何度かあり、運の神様に護っていただいていることはまことに有難いことです。社内で「オレは憑いているから付いて来い。ツキはツキを呼ぶよ」などと、飲んだ席などでよく言ったものですが、これはトラーパニまでにも「タカシと一緒にいるとあの御守りがあるから安全だね」と十分伝わっていました。

 

「天・地・人」のカードを揃えた “深江チルドレン”

運が時を呼ぶのか、時が人を呼ぶのか、人が運を呼ぶのか。

 

手頃なスケールのラグジュアリー・ファミリー企業に登場した理想追求型の若いリーダー。それを支える人材たち。バブル頂点時の日本法人設立とその後の平成不況。世界が注目した日本のブランドブーム。

 

はじめはさぞ親を不安がらせたであろう無名のマイクロ級企業に途中入社した個性派揃いの若者たちが、<顧客満足のためには先ず社員の満足を>というブルガリ思想のもと、同業平均を大きく上回る人的資源への投資の恩恵をフルに受けて逞しく成長。この天の時・地の利・人の和、という3枚の強力カードで、グループ内はもちろんのこと、業界でもそのパワーを発揮してゆきました。

人呼んで“深江チルドレン”。

受勲を祝う会でのブルガリの仲間たち(06.1)
受勲を祝う会でのブルガリの仲間たち(06.1)

当時、私の年齢から、娘や息子を見るような気持で接したチルドレンも、今やブランド界では大ベテラン、家庭では良きママやパパ。中には私をジイサン呼ばわりする不遜なヤカラもいますが、ブルガリのこの時代に、このカルチャーの中で共に走ることが出来たのは、私の人生の中でも最高の日々でした。

 

この勲章は社員全員に授与されたもの

05年11月、マリオ・ボーヴァ駐日イタリア大使より「長年にわたる日本でのイタリア製品の普及・促進活動に対し、イタリア共和国功労勲章(OMRI)コメンダトーレ章がカルロ・アゼリオ・チャンピ大統領により授与された」との連絡があり、イタリア大使官邸で伝達式をするとのこと。まさに青天の霹靂!

 

この時点で私はすでにブルガリを離れていましたが、この叙勲はたまたま当時私がブルガリのトップであっただけのことで、その評価された実績を築きあげたのは社員たちです。友人たちが発起人となって開催されたお祝い会にこの社員たちが大勢来場。終宴のあと、一緒に大騒ぎして喜びを分かち合うことが出来たのは実に嬉しいことでした。

 

この会で友人代表としてご挨拶をいただいた、今は10年来のゴルフ仲間でもある伊藤忠の元副社長が集まった顔ぶれを見て、「なんとまあ幅広いお付き合いをしていたんだナ」とびっくり。ブルガリの仕事を通じて得た<素晴らしい人脈>への賛辞と嬉しく受け取った次第です。

回想録を終えるにあたって

今回をもちまして12年6月の永澤マガジン創刊号以来、5年に亘り毎月連載してきました回想録を完稿といたします。長い間私の駄文にお付き合いいただき、まことに有難うございました。心よりお礼を申し上げます。

 

連載の中で何度か触れましたように、私は典型的なB型人間です。

「一般的にB型人間の特徴はマイペースで行動することが多く、客観より主観が強めとも言われる。一方で柔軟な発想が出来、感受性が豊かとも。どんな困難に直面しても決して揺るがず対処できる能力、である。」(H28.2.10付産経新聞コラム・清水満のSPORTSマインドより)

ブログやツィターの類は、言いっ放しや顔のわからない相手との交信に興味がないことと、仮にやってもすぐに炎上するであろうことが目に見えるので、一切手を出さないことにしていますが、この連載では、当事者しか書けない内容をという編集長の要請もあり、自由奔放に書かせていただきました。それゆえに、連載内容や掲載写真に付き、事前のご了承などの配慮不足多々あり、また表現においても経営者視点からの主観的なものが多く、違和感や不愉快な思いをされた方々もおられたことと思います。

改めてお詫びと共に、ご容認のほどをお願いいたします。

一方、読後感やアイデアをいただいた方々も多く、連載継続への大きなエネルギーでした。筆者冥利に尽きることで、まことに有難く、嬉しく思っています。

辻陶芸展レセプションにて妻・順子と、(03.9)
辻陶芸展レセプションにて妻・順子と、(03.9)

最後に、このような機会をいただいた永澤洋二編集長にお礼を申し上げるとともに、連載各出稿まえの辛口チェッカーであり、50年を超えるサポーターである妻・順子に謝意を表し、締めくくりといたします。(完)

2016年5月

深 江  賢(ふかえ たかし)