NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

編集長 永澤洋児
深江賢に聞く~回顧録スペシャル~
洒落おやじの青春取材記 工藤
特集記事 ANA

ブルガリと私の回想録 7

グループ各地で“暴れん坊”と悪名を轟かせた
副会長ニコラ・ブルガリが遂に日本に来る!!

 

 ― 実は、芸術家肌の、ピュアで、きめ細やかな心の持ち主であった ―

 

◇京都駅での「活劇」が日本への挨拶代り !?

場所はJR京都駅八条口のタクシー乗り場。運悪くタクシーが一台も来ない。
それに苛立って、ニコラが突然大声で叫び出しました。
目の前にずらりとタクシーが並んでいるのに、なぜオレを乗せないのか
と。実はこれ全て事前にチャーターされたタクシー群ですが、そんなことは知るはずもなく、巨躯をゆすって、わめきながら赤鬼のような顔でニコラが近づいてゆくものですから、ドライバーも腰を抜かさんばかりだったでしょう。

これが日本での最初の「活劇」で、そして最後でもありました。

◇ニコラの初来日に、秘書から色々細かい注文が。

トップの人となりは誰でも知りたいものです。
ブルガリの社長・トラーパニは最初から、会長・パオロもジャパン社設立後、早い時点で来日し、身近に人となりを知ることが出来ましたが、NY在の副会長・ニコラについては、とにかく我が儘で各地でヤンチャの限りを尽くし、そこのトップを泣かせてきたと言う噂ばかりでした。

そのニコラが満を持して遂に日本に来る! ’94年5月のことです。
さすがにビビリましたね。

彼の秘書からは事前に色々と細かいアドバイスと注文が来ました。

◇京都はまかせておけ ! 自信満々の案内スケジュール

チャンドラ・ラインのジュエリー発表会でニコラと  (東京店 ’94.5)
チャンドラ・ラインのジュエリー発表会でニコラと  (東京店 ’94.5)

初日の東京店にメディアや関係者を招待してのチャンドラ・ラインのジュエリー発表会では至ってスムーズに進行。ニコラとのコミュニケーションもよし。なかなかナイスガイじゃあないか、噂はあくまで噂だったんだと思うとともに、「よし、これでもう大丈夫。京都に行けばこっちのもの。4年間の京都での経験と個人ネットワークにモノを言わせて十分に満足させられる」と。

 即ち、京都ではMKハイヤーをチャーターし、・泊りはニコラ好みの 京都ブライトンホテル・夕食はお茶屋関係で知らない人がいない祇園の 開業医の先輩に紹介 願った祇園の「一見お断り」の割烹料亭と、あ とはお座敷バーでシガー                       ・翌日はまず 京都国立博物館・西陣工房

西陣工房のショップで帽子を試着するニコラ
西陣工房のショップで帽子を試着するニコラ


石灯篭のある「うなぎの寝床」のお庭にて
石灯篭のある「うなぎの寝床」のお庭にて

・京都の代表的な住まい“うなぎの寝床”の個人宅 訪問
・お寺は絶対に 左京区・蓮華寺
・極めつけは京都店のVIP顧客で、油滴天目で著名な陶芸家・原太楽先生の
山科の合掌造りの居宅 訪問
という自信満々のラインナップでした。

ところが、冒頭の一件でした。
JR京都駅にはいつでもタクシーがあると知っているもので、ここだけはハイヤ
―の手配をしていなかったのが裏目に出たのです。
でも意外とクールでしたね。
「ああ、これか。まあまあ、ワガママ坊や だわ。」
トシのなせる業か、B型の強みか、一瞬は焦りましたが、済んだことはしょうがないと開き直りです。ホテルへのタクシーの中でもわりとケロッとしていたようで、ニコラも張り合いが無くなったのか、その中に納まったことでした。

◇京都観光、大満足の証しは最後に「31アイスクリームを食べよう」

戦では先手必勝が常識。とにかくニコラに関する情報は集めました。
NYでは、多くの若い芸術家のパトロンとして名を馳せ、業界のパーティには欠かせぬVIP。一方クラシック・カーの収集家としても有名な存在。NYでは小ぶりのホテルのペントハウス住まいだけに類似のホテルは必須条件。また食通で、特に朝食は非常にこだわり、好みのパン、卵料理やベーコンの焼き方、ティーの温度まで。好みのシガーはモンテクリスト。土地の博物館、特に近代美術館は絶対。その土地の“らしい”ものは外せず、人の少ない静かな場所には目が無い
などなど。

あまり知られてない蓮華寺は京都を知るものの切り札。小雨が幸いして人は殆どおらず、長い時間を庭を眺めながら二人で過ごしました。ニコラがあまりにも陶然としているので帰る声をかけるタイミングが難しかったほどです。

蓮華寺の庭をバックに
蓮華寺の庭をバックに
お茶を喫み、庭を眺める
お茶を喫み、庭を眺める

最後に訪問した原太楽先生には、感激したニコラが先生の油滴天目の陶器を使ったカフスボタンの制作を約束。工房では絶対に受けないブルガリ素材以外の特注をニコラの圧力で可能にし、それでも一年がかりで先生のもとに届けました。

山科の原先生邸でご夫妻と
山科の原先生邸でご夫妻と
陶芸家・原太楽作・油滴天目茶碗
陶芸家・原太楽作・油滴天目茶碗
京都河原町にてご機嫌のニコラ
京都河原町にてご機嫌のニコラ

河原町に帰ってからは、大好物という31アイスクリームを食べようとのお誘い。写真を見るまでもなく十分に満足したニコラでした。

◇ケネディ空港からの車に、ローマからサプライズの電話

その年の秋にNYに出張した時のこと。手配してくれた社用車で、ケネディ空港を出て間もなく、ニコラから電話がかかってきました。エッと言う感じです。
「ふかえ、済まない。急用でローマに来ている。NYでは(面倒を見ている)若手の絵画展があるので見ておいてくれ」
時差を計算したうえで、タイミングよく車への電話。実に感激でした。

◇役員廊下での大声

「おぉ マイフレンド、ふかえ!」
廊下の端から私を見つけたニコラが声を上げるや、つかつかと歩み寄ってきて楓のような手で握手をします。ブルガリ本社の役員フロアを歩き回る小柄な東洋人は私しかいないので、いつもこの調子。秘書たちもよく笑っていました。
ニコラの態度は、私が引退するまで、いつ、どこで会っても、ずっと変わらずでした。全ては最初の出会いから始まったと言う事でしょう。

◇ニコラの初来日を機に、ジャパン社はV字回復の軌道へ

ジャパン社はこのニコラの初来日を機に、その翌月、’94年6月からV字回復の軌道に乗り、以降10年間、平均年率25%(前年比)の成長期に入りました。
手前味噌的な見方ですが、これも愛すべきニコラとの縁と信じています。

ニコラはその後すっかり日本びいきとなり何度も来日。ジャパン社の社員から愛され、いかにもピュアなニコラらしい楽しいエピソードをいくつも残してゆきました。
                     

                                                               <続く>

                   深 江  賢 (ふかえ たかし)