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ブルガリと私の回想録 5

 旧東京店よ、永遠なれ・鎮魂の章

 

― 紀尾井町での華麗な19年の歴史にピリオド ― 

 

東京店写真誌 「Kekkai」
東京店写真誌 「Kekkai」

◇東京店はイタリアの伝統と日本の伝統、過去の文化と現代の文化の融合

 

ここに「Kekkai」と題する冊子があります。 ミラノのラルカ・エディツィオーニ社の写真撮影・編集・発行によるB3版ハードカバ ーの荘重な写真集です。  

この言葉はイタリアと日本で活躍される工業デザイナー・喜多俊之氏が巻頭辞の中で、つくば万博のイタリア館の設計を担当した著名なイタリア人建築家ピエロ・サルトーゴ設計のこの東京店を表現するに最適と選んだ言葉でした。

 

以下はその抜粋です。

「「(前略) 石の彫刻を思わせる大胆な外観、内側からの延長としての空間構成。カットされた大理石のリズミカルな陰影は、太陽の光によって時と共に表情を変える。アシンメトリー、平行線の拒絶から始まるエントランスは空間彫刻の世界である。(中略)

イタリアで生まれて、イタリアで育まれた感性は、極東にある現代の大都会の中で、そこにある過去の文化と融合した。(中略)

水と石、面と空間。イタリアの伝統と、日本の伝統。遠くになるほど小さく表現するのは、京都にある竜安寺の石庭にある表現、つまり、空間に奥行と広がりを与え、自然界のスケールを持ち込む手法に類似している。 (中略)

「結界」という決まりがある。こちら側と向う側に一つの境界を物を介してでなく、精神的な空間の仕切りを設ける手法である。日本の伝統的な空間意識をサルトーゴはうまく取り入れている。」

 

業界ではアジア最大級の654㎡、最高の建築技術を駆使した「芸術品」

 

私たちは東京店で仕事をしている。

私たちは東京店で実地研修を受けた。

私たちは東京店でイベントを催す。

東京店の存在が、社員一人一人の心意気となり、気持ちの支えでした。

 

'91年9月20日に限られた顧客を招きエレガントなオープニングパーティをし、翌21日から開業した旧東京店は、当時のブルガリがブランド・シンボルとして、閑静な紀尾井通りの一角という理想的な立地と共に、建物そのものに、原材料はじめ、壁や床、備品の一つ一つに至るまで徹底してイタリア流でこだわった、いわば最高の芸術品でした。

 しかしながら、それは一方、日本側の実施設計者として設計図書の制作と協力工場群の元請を担った株式会社フレスコにとって極限を超えるブルガリ本社との戦いでもあったでしょう。日本の法規や建築の慣習など全く無視してデザインの理想を追うサルトーゴと毎回激論の繰り返し。何とか国内事情に沿った形に落とし込んだのが東京店でありました。

しかも、イタリアでの<建築物は期限通り完成することがない>という常識を覆し、着工から僅か4ヶ月で完成。ローマ本社を驚嘆させたものでした。

いま改めてその巧緻なディテールを振り返り、それを艱難辛苦の末に完成して下さったプロたちに想いを馳せたいと思います。

 

*ファサード(外壁)石張り (錢高組、関ケ原石材、ジャムコ)

「入り口上部のオーバーハングの大理石を見る度に <そこにジーッとしてろよ!> と念じ、東京店の閉店を聞いた時には何かホッとして呪縛から解放された」とは、フレスコ・足立和夫社長(現会長)の弁です。

 ファサードの殆どはローザアジア―ゴというイタリアより直輸入されたピンク色の大理石。通常大理石は2~3cmの厚みにしたものを金具で釣るのを、デザイン的にローマが頑として譲らず60cm以上の塊を積むことに。しかし地震の多い日本では現場リスクが高く、大手は全て尻込み。八方手を尽くしたすえジャムコなる小さな会社が引き受けてくれたのですが、誰もこのような大きさの大理石を積む作業をしたことが無く、特に冒頭のオーバーハングに宙吊りされるこの石が最大の難関だったとのことでした。

’11年3月11日の大地震。落下した大理石は一つもなし。

未だにファサードがそのまま残る旧東京店、以って瞑すべし。。。

 

*入り口扉 (新和金属)

シャッターをつけない宝飾店などあるものか! 

誰もがブルガリの指示に耳を疑いましたが、それを受けて立つのがプロでした。

 弾丸も通さない複数枚の合わせガラスと分厚いブロンズのフレームの扉は500kgにもなり、今度はそれを支えて自閉する兆番がない。日本中の金物会社に当たり、最終的に防潮堤の扉に使うものを改造したそうです。

 

*壁工法とスタッコ仕上げ (フレスコ)

 

遠近法を使った内部。左側がスタッコ仕上げの壁
遠近法を使った内部。左側がスタッコ仕上げの壁

日本では通常的な金属の間柱に石膏ボードを張る壁工法は重量感が出ないとサルトーゴが拒否。工期が長くなるのを承知で殆どの壁を組み積み造りで作った結果、その後19年間、店内のどっしりとした重厚感を保つことが出来たのはさすがイタリアの強情さのお蔭でした。

 また古代ヴェネツィアの工法が’80年頃にローマで復活され、高級ブティックなどに使われ始めていたスタッコ仕上げ工法は当時日本では材料も技術もなく、試行錯誤の末、フレスコで独自の工法を完成。工事中に見学者が相当数あるなどで話題の中で、日本で初めてのスタッコ仕上げが東京店に導入されました。

 

*空調システム (日昇エンジニヤリング)

店内のショーウインドウ
店内のショーウインドウ

館内に穏やかで、気持ちの良い空気の流れを作り出すべく、天井や壁に吹き出し口がある一般的な空調は一切排し、それらを完全に隠蔽。折上げ天井と壁の巾木部分のスリットをうまく活用する斬新な方式の採用でした。当時には画期的な湿度管理機能も併用した先取のシステムでもありました。またショーウインドウの強力な照明器具による熱量を調節するのに、ショーケース内に年中稼働の専用の冷却装置が取り付けられていました。

 

*照明手法 (ウシオスペックス)

間接照明と間接空調のカギとなる天井の段差
間接照明と間接空調のカギとなる天井の段差

「闇があるから明かりが生きる」、サルトーゴのデザイン信条とのこと。

照明装置が見えないようにするために、ウシオスペックスの精鋭たちが腕を振るった代表的なものが8席のセールステーブル上部の仕掛けでした。各天井裏に4台もの強力な照明器具を隠し、天井には四角い小さな穴があるだけ。顧客の目の前にジュエリーが運ばれてくるとテーブル下のリモコン操作で照度が一挙に上がり顧客を魅了したものでした。

 

*フローリング (上谷製作所)

セールステーブルと天井のライティング
セールステーブルと天井のライティング

中世イタリアで花開いたデフォルメ透視図法(遠近図法)を東京店の入り口から奥に向かって採用。両壁、天井と併せて、床のフローリングの織り目模様も手前が大きく奥に行くほど小さくなってゆきます。現在ならコンピューターで簡単なことがすべて手作業での作図と手カット。宮大工である上谷の職人たちが二週間かけて見事に一部の誤差なく敷きつめてくれました。

 

*木製パネル (木村美装)

最初予定のベアー材がパオロ御大のツルの一声でアメリカンチェリー材に変更され、急きょ輸入するも木目柄や色合いが合わず塗装で調整することになりました。技術力を誇る大阪の木村美装の社長が病気療養中にも拘わらず、陣頭指揮で漂白と着色を繰り返し、迫る完工予定に間に合わせるべく大阪と東京を往復しながら徹夜作業の連続で遂に予定日までに仕上げて下さいました。

 しかしながら、この社長は楽しみにされていた東京店の完成を見ずに不幸にして他界された由。私たちはこの社長の心意気を忘れるわけにはゆきますまい。

 

東京店さよならパーティに50名が集結 

 

  東京店現役時の夜景
  東京店現役時の夜景

‘09年12月28日。旧東京店が静かにクローズされました。19年目でした。

 

この日、呼び掛けに応じて現役の社員やOB、大阪からも駆けつけた総勢50名がさよならパーティの会場に集まりました。

2階に本社オフィスを構えていた時もあり、社員それぞれにとって特別な場所であっただけに思い出は深く、いつまでも話が尽きないのも自然なことでした。

 

 これからの稿の中で、ここを舞台にしたエピソードやイベントの数々を紹介して行きたいと思います。        <続く>

 

                   深 江  賢 (ふかえ たかし)