ブルガリと私の回想録 第44回
業界トップのベンチマーク設定がモチベーション・アップに
― 企業として同業他社からマークされる存在でありたいもの ―
ライバルの情報収集は当たり前の世界

晴やかに紅白の幕を張り巡らした屋外の式場で来賓たちと談笑する関係者たち。頭上に舞うヘリはどこかのメディアの取材か。
新工場のオープニングでよく見かける風景です。
ところが、実はこれがライバル企業契約の調査会社のヘリだったとは後で分かったこと。そういえば、開所してしばらくの間、正門の近くにいつも停まっている不審な車もそうだったのか。
例によってコンサルタント業の後輩の車に便乗してゴルフに行く途中(回想録36)、企業情報の取得手段についての会話の折に、彼が勤務していたフィルム会社の新工場建設で実際に経験した話とのことでした。
更に、社内の開発会議で、当時何とかしてその情報を知りたかったK社のある製品見積表が極秘書類として回覧されたのには驚いたとも。
熾烈な情報戦はどこの世界でも常識ということなのでしょう。
社長の大号令「C社をベンチマークとする」
どの企業にもライバル視する相手があります。少なくとも社内では社員に明言して強く意識させるのがふつうではないでしょうか。
ブルガリでもまさにそれがありました。
90年代後半のある年次幹部会で、社長のトラーパニが「今後ブルガリはC社をベンチマークとする」と公言したのです。「グループを挙げてC社に追いつき、追い越そう!」とハッパがかかり、ジャパン社としても明快にターゲットを示されたことで、気持ちが高ぶったのを覚えています。

設立時ほとんど無名の存在から、雌伏3年を経ての大躍進。錚々たるブランドが並ぶ日本のジュエラー市場でもブルガリは着実に存在感を増し、圧倒的に抜きんでた存在のC社にベンチマークとして照準を当てることに何ら引け目を感じなかったのは事実。このトラーパニ談話を伝えた時の幹部や店長たちの反応は意気軒高で、まことに頼もしいものでした。
ベンチマーク調査の内容はハードからソフトまで
その後本部から入った具体的指示がショップ数の多い日本の現状に照らして、物理的に大変なもので、そこまでやるか!というものでした。
まずは、C社のすべてのショップについてのハード面。
ロケーション・マップは当然として、ショップ・レイアウトや人員の配置。
更には、ディスプレイウインドウ、ショウケースの数と配置。
その中の宝飾と時計、高額品と売れ筋品などの展示バランス、など。
次に、厄介なのがソフト面。
ショップへ入った時の第一印象から電話応対の印象、態度。
ショップスタッフの商品知識の程度、同じく販売技術とマナー。
面白かったのは「今日は買わない」と言った時の対応、などなど
最後に、出来れば財務諸表。
この大変なベンチマーク調査が調査会社を一切使わず、全て自らの手で行われたことは実に有意義でした。如何に当時のジャパン社の社員たちが“ノッテ”いたということでしょうか。とにかく各地の‘覆面’ショップスタッフたちがペアを組むなどしてC社ショップに顧客として実際に行くとか、色々なアイデアを出しながら、いわばゲーム感覚で一つづつデータを積み上げていったものです。

「悪魔のささやき」に乗らず
グループ各地からのデータはイタリアの専門会社で2年に亘り分析され、ブルガリの強み・弱みが浮き彫りにされた一方、C社のそれも明らかになりました。
結論を一言でいえば、さすがC社。
ただ、ジャパン社として、スタッフたちが自ら行動したことで得難い経験をし、それが大きなモチベーションのアップになりました。ブルガリが研修などを通じ社員に伝えてきた企業としての考えが、この現場での自らの体験を通じて理解でき、また、ちょっとしたことで「こちらの方が勝っている」などと感じて、個々の自信に繋がったという現実の成果が大きかったと言えましょう。
財務面でのデータに関しては、当然ながらブランド各社は未発表のため、ジャパン社は毎年発行される大手調査会社の推測データをそのまま使いました。
このベンチマーク調査を知ったワンマンの調査会社を経営する親しい友人から「しかるべき手段を使えば数字は取れるよ」との誘いがありました。
まさに、悪魔のささやき。どんな手段かは言うまでもないことです。
自分の信条としてこれに乗らなかったことは、今でも正解と思っています。
(続く)
2015年11月
深江 賢(ふかえ たかし)