NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

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特集記事 ANA

ブルガリと私の回想録 第41回

スマイル・ジャパンとブルガリ・ジャパンの接点とは?

-アイスの話は猛暑が続く今でしょ!-

少年時代の夢、憧れのスポーツ・ヒーローとのプレー

アイスはアイスでも、本稿はアイスホッケーの話です。

 

当時の野球少年にとっての王・長嶋、サッカー少年にとってのカズ・ゴンは、遠くから眺めるだけの存在で、永遠のヒーローです。その少年が大人になってからでも、この憧れのヒーローたちと同じ場で、言葉を交わしたり、握手をしたりする機会ができればどれほど嬉しいことでしょう。ましてグランドで共にプレーをするなんてことは夢のまた夢です。

 

そのような夢をアイスホッケーの世界で正夢にしているのが私ども京大洛氷会(京都大学体育会アイスホッケー部OB会)の仲間たちです。

腕に日の丸をつけた公式ユニフォームでの参戦
腕に日の丸をつけた公式ユニフォームでの参戦

旧日本アイスホッケーリーグ(注1)のスターたち、古くは札幌・インスブルック・レークプラシッド・近くは長野各冬季オリンピックの代表選手や日本代表チームの現監督、コーチなど、氷上の錚々たるビッグネームたちが、私ども年一度のOB会イベントにレギュラー・ゲストとして参加。共に氷上でセットを組んだり、相対したり、そのあとのレセプションまで一緒で、最後はエールまでと、今やバディ(Buddy・相棒)と呼ぶ仲。この8月1日、節目の第10回イベントではその縁で、世界ランク8位のソチ・オリンピック日本代表女子アイスホッケー・チーム(愛称スマイル・ジャパン)とマッチを行うまでになりました。


一人かわしてゴール寸前のショット
一人かわしてゴール寸前のショット

何故、関西の、しかも、中堅どころの京大アイスホッケー部(1934年創部、82年の歴史の中で1部在籍は通算16シーズン、最高成績は日本学生選手権ベスト8が4回)のOB会が首都圏でこのような存在になっているのか。アイスホッケーではトップクラス大学OB会の世界で、このことが羨望を含めて話題になっているとのこと。まことに光栄で、今回はそのあたりに話題を振ります。

洛氷会はアスリート系OB会の「世代間断絶」とは無縁でありたい!

恒例の京大洛氷会イベントに参加したスマイル・ジャパン(前面の6人・2015年8月)
恒例の京大洛氷会イベントに参加したスマイル・ジャパン(前面の6人・2015年8月)

体育会系運動部では学年が1年違えば「神様」と「奴隷」。これは常識です。

プロ野球でも同じ。活躍の如何を問わず、年齢の上の人には「さん付け」、上からは「呼び捨て」の様子がTVインタビューなどでよく見られます。

 

企業内の会合と異なり、運動部OB会は何の拘束力もなく、現役時代の不愉快な上下関係や、レギュラーでもなかったくせにエラそうな口調のイヤな先輩連中の顏を見たくなければ出席しなければいいだけの話。一方、直接に苦楽を共にした上下4年の先輩・後輩たちとは会えばたちまちその時代にタイムスリップできるのもOB会の大きな魅力です。

このような背景から、アスリート系運動部OB会は10年刻みくらいの世代毎で別々に開催されるのが一般的な姿で、それぞれの世代間を通しての交流はまず無いといっても過言ではありません。

 

京大洛氷会会長を通算38年務められた大先輩から私がそのポストを引き継いだのが丁度11年まえ。旧満州出身でプレヤーとして体力・技量ともに抜群、喜寿近くまでOn-Iceされ、一方、見事なリーダーシップでよくありがちな「派閥」というものに全く縁のないOB会を残していただきました。

 

氷上の格闘技といわれるアイスホッケー(注2)。寒冷地のスポーツだけに、関西などでは大学1年からスクラッチで同時に始めるのが一般的。そのうえ練習は深夜か早朝。部員が厳しい環境で切磋琢磨したという共通の強い連帯感と結束力を、僅か350人ほどのOB会の中でいい形で生かしたい。会長という立場になったのを機に、世代間の交流をもっと促進したいと考えました。

カギはブルガリのグループを挙げてのコミュニケーションUP策

一つのヒントはブルガリ時代のボス、マッシモ・マッキがリードしたエリヤ総支配人のカンヅメ会議回想録10)でした。運営の基となる関東・関西の各幹事会は、飲食しながらの「上下ナシ」会議とし、内閣の幹事長に当たる「代表幹事」には、昭和末期・平成の若手を抜擢、大幅な権限委譲で運営を進めました。その流れの中で、関東・関西・地方都市での定期的な食事会や各種ゴルフ会など、幅広いOB交流機会の増加に発展。最近では昭和30年代卒から平成20年代卒の半世紀以上に亘るOBが集うという誠に嬉しい展開となっています。

 

もう一つはブルガリが世界のグループ社員たちを一つの心に纏めたチーム・ビルディング回想録11)。私事お祝いごとに代えて10年前に新横浜スケートセンターを借り切って催したOB間のいわば氷上運動会+プリンスホテルでの食事会が、硬派運動部OB会には稀有の家族参加型のイベントとしていつの間にか定着、多くのOBが毎年の夏を家族と共に楽しみにして待つようになりました。

語り草として残る坊やの名(迷)セリフは、家族イベントの象徴

名(迷)セリフを残した坊や
名(迷)セリフを残した坊や

「あのおじちゃん、ボクより滑るの、遅かったよ!」

3度に亘る冬季オリンピック・アイスホッケーチームで大活躍した元大選手と並んで、小生意気にもアイスホッケー・スタイルに身を固めてゲームの合い間に滑っていた小学生の坊やが、ベンチで見守る父親の元に戻るや言い放ったこの一言が、この家族イベントの象徴として今も語り草になっています。


レセプションで寄付をした子供たちと握手するスマイル・ジャパン
レセプションで寄付をした子供たちと握手するスマイル・ジャパン

当初プリンスホテルのご縁で応援参加していただいたアスリートたちは、トップクラスであったがゆえに意外とアイスホッケーから離れていた方も多く、これがキッカケで、トシ相応の緩やかなゲームを楽しめるようになったと喜ばれたり、また、上下関係の厳しいクラブではありえないような若手OBの重要な旗振り役の姿に父親が子供を見るような感覚を持ったり、などと、バディたちがどこに継続参加のメリットが見ているのか、あれこれ推測している次第です。

スマイル・ジャパンにみんなでエールを!

イベントで久しぶりにOn-Iceの筆者
イベントで久しぶりにOn-Iceの筆者

鮮やかなスティック・ワークとスケート技術で大柄な欧州チームに対等の勝負を挑むスマイル・ジャパンも、ひとたびヘルメットをとれば、ハードなスポーツからは想像も出来ないような可憐な女性たち。それぞれ仕事をしながら週日6日の練習というタフな日々を送っています。アイスホッケーはOn-Iceの時間が勝負。天然氷に囲まれた北欧やリンク環境に恵まれた国々と戦うには先ずはリンクを借り切っての氷上練習がカギとなります。

 

このような厳しい環境の中で頑張るスマイル・ジャパン。18年の平昌オリンピックでの活躍を願い、みんなで物心とものエールを送りたいと思います。(続く)

2015年7

深江 賢(ふかえ たかし)

注1)日本アイスホッケーリーグ

昭和40年代の第一次高度成長期、西武グループオーナー・堤義明氏の肝入りでプロ野球、社会人サッカー(現Jリーグ)、に次ぐ3番目、ウィンタースポーツとしては初の全国規模の社会人スポーツリーグとして1966年に誕生。

その後、構成チームの統廃合など紆余曲折を経て、2003/4年シーズンから韓国・中国・ロシアなどと9チームによるアジアリーグ・アイスホッケーとなる。


注2)日本のアイスホッケー事情

アメリカ・カナダのNHL(北米プロホッケーリーグ)を頂点に、北欧を中心とした欧州やロシアなど各国、各地域では、冬季シーズンの花形スポーツとして大規模なリーグ戦が存在。

日本でマイナースポーツにとなっている最大の理由は本格的スケートリンクが都心で無いこと。アメリカのようにシートにヒーターが入り、観覧席ではTシャツで応援できる設備はともかくとして、世界中の大都会で日本の東京だけに2万人以上収容できる常設の国際級スケートリンクが不在。

この環境を改善すべく、関係者が集い、私どももその一員として「東京スケートリンク新設推進協議会」を7年前に立ち上げたが未だ成果を見るに至らず。