ブルガリと私の回想録 第40回

メタモルフォゼ(変容)
可視的演出家・ダヴィデ・ピッツィゴーニ・
パステルカラーによるメルヘン調ポスターで重いイメージを一新
92年に発表されたブルガリのポスターは内外に大きな衝撃を与えました。
それまでは <抜けるような青空をバックにいかにも高価そうなジュエリーが真っ白な架台の上に置かれている> というもので一般庶民にはずいぶん縁遠い世界を象徴していました。
それが水彩のパステルカラーで描かれたメルヘン風の世界の中で、ブルガリのネックレスが橋や船の碇チェーンに、リングがドア・ノッカーやサーカスのアザラシ芸の小道具に、時計が門柱の留め錠や送油管のパイプ締め などに使用される “メタモルフォゼ”(変容・変身)と名付けられた一連のポスターへ。ジュエリーのクォリティを強調する姿勢から、身近で使い易いイメージを打ち出そうとする意図が十分に見て取れる、まさにブルガリ自身の拡大路線を象徴した革新的なビジュアルでの転換でした。
メタモルフォゼと名付けられたブルガリ・ポスター
85年にフランチェスコ・トラーパニが4代目社長に就任して打ち出した拡大政策。80年代後半には販売拠点を世界に拡げ、91年に2番目の海外法人を日本に設立。さらに商品の多様化と百貨店販路への進出など、グループを挙げて各エリヤ、各国で具体的に動き始めたのがこの92年です。
92年パフューム、96年スカーフやネクタイなどのシルク製品、97年レザーグッズやアイウエア、この間にホームデザインと言われた陶器。本筋のジュエリーでは91年WWFとタイアップしたナチュラリア・ライン(回想録2)を皮切りに毎年のように発表される新ライン。時計では市場に強烈なインパクトを与えた97年発表のソロテンポ(回想録26)ほか角型や楕円などの数々のライン。
この流れを目に見える形で演出したのがダヴィデ・ピッツィゴーニでした。
ダヴィデ・ピッツィゴーニのプロフィール

彼はローマ大学で建築学を学び、建築事務所勤務を経て独立。オペラの舞台美術からテキスタイル、陶器等、幅広い分野のアートを手がける芸術家で、建築物のプレゼンテーションに水彩画を表現の手段に取り入れ、それを活かしてオペラ衣装に始まり、ブルガリの広告やシルク製品、陶器・ホームデザインなどに発展させ、独自のピッツィゴーニの世界を確立したものです。「色」を芸術の核として、自らの情動を色に託して重ね合わせるその世界は、一目で彼の作品と分かる独創性に溢れ、一方、素材の「質」やデザインする「形」にも強いこだわりを持ち、相乗効果を追求するのが彼のスタイルとなっています。(04.11付NILE’S NILE誌・抄)
なぜネクタイなどの低額商品に手を出すの?
特徴あるネクタイ柄と7つ折りネクタイと氏のサイン
そのような折、古くからのお客さまからこのような質問を受けたとあるセールス・スタッフから連絡がありました。
ブルガリの“知る人ぞ知る”時代からの顧客にとって、ブルガリはラグジュアリーそのものであってほしいとの心情は十分に理解でき、グループの拡大方針など関係のないことだけに返答に窮したとき、折から来日中のトラーパニに話をしたら、実に明快な一言。
「ブルガリはネクタイでも最高の‘ジュエリー’を目指す」
うーん、さすがフランチェスコ! と思わず唸ったものです。
確かにジュエリー創りは精密な手づくり。ブルガリは全て自家生産で、仮に量産商品にしても最終工程は自家工場でやることにこだわり続けてきました。トラーパニはこのジュエリー創りの精神を言っており、どのようなジャンルの商品にしても製作姿勢は変わらないとの心意気を言ったのでしょう。
ブルガリのシルク製品は市場でブランドが上昇気流に乗り始めたこともあり出足は上々。スカーフはギフト需要で対応に追われ、ネクタイはピッツィゴーニによる可憐なメルヘン調デザインと、「セブンホールド(七つ折り)タイ」が市場の話題を集めました。
ブルガリが特にこだわったのがネクタイの古典と言われる七つ折りネクタイ。
厳選したシルクの布を七回折り曲げてタイにするもので、これを胸元に如何に嵩張らずにスッキリと納めるかがポイント。すべては最高級のシルク素材と、細かいステッチによる縫製技術が決め手となります。
これぞネクタイの‘ジュエリー’を目指すにふさわしいものでしたが、それなりに販売価格は高く、一方予想もしなかったクールビズの常態化でブルガリ商品ジャンルの一角を占めるには至らなかったのが正直なところです。
異次元のライセンス商品
ブルガリのジャンルの中でも異色なホームデザイン(陶器)
ブルガリの商品ジャンルの中で異色なのが、ホームデザインといわれる陶器とアイウエアといわれる眼鏡、サングラス類です。いずれもライセンサーのブルガリがデザインと品質などをチェックしたうえでブランドの使用許可を出し、ライセンシーが販売責任を持ちます。
商社におけるライセンス・ビジネスの経験から言えば、これはブランド力を借りた販売量の拡大で初めてメリットが取れるもので、逆にライセンサー側はブランド価値の維持をとるか、ライセンス・フィーによる収入の拡大をとるかのスタンス次第。最初の高度成長期に日本のライセンス・ビジネスの走りとしてスリッパやトイレマットの日用品にまでブランドを付けて売りまくったフランスの三大デザイナーたち。ブランドの価値を知る心ある人達の眉をひそめさせながら、当のデザイナーたちは巨額のライセンス料収入で大いに潤った由でした。
ブルガリはイタリア企業ルクスオティカと組んだアイウエアこそ、サングラス類中心にいい形で展開していますが、ローゼンタールとのホームデザインについては在庫維持が大きなネックとなり本体のショップでの販売をギブアップ。結果として大きな話題になることなく、今ではネットショッピングのメダマに使われるケースが多く、ライセンス・ビジネスの難しさを見せています。(続く)
2015年7月
深江 賢(ふかえ たかし)