ブルガリと私の回想録 第39回


ラグジュアリーな‘おもてなし’の変遷は時代と共に
―「金魚鉢にナマズが入った」らどのようになるのか? ―
赤坂のスーパーダイニング・ジパングに久しぶりに足を運んで驚きました。
レセプションでいつもの通り、名指しで「お待ちしておりました」と迎えられたのは良かったのですが、一般席を予約していたこともあり案内されるままに広い奥に向かい始めるや、カウンター内の料理人や待機のウエイトレスたちから一斉に「ようこそ」と声のあらし。
昨年までは無かったこのウエルカムは単に支配人が変わったせいではなく、個人的な推測ながら、昨年12月なだ万がアサヒビールの傘下企業となってから何らかの内部示達があったものではないかと思います。
日本料理の老舗なだ万が2000年2月に赤坂見附のホテル最上階全フロアを使ってオープンしたいわば洋風居酒屋ジパングは、紀尾井町のブルガリ東京本店へ出張してくるイタリア本社の担当者たちをアテンドする手ごろで、気の利いたレストランとして大いに利用したものでした。新感覚の業態ながら老舗の何かを残す落ち着いた雰囲気と、関西人にとって安心できる味覚が気に入って、個人的にも良く利用していた中での‘大衆レストランもどき’のこの対応でした。
時を同じくして、ブルガリでは昨年来、全てのショップで来店客にスタッフ全員が「ようこそ」と声をかけるように内示があった由。しかも覆面担当員がショップを回ってその実施具合を厳しくチェックするとか。設立当時「入店されたお客さまに直ぐに声をかけるのはハシタナイこと」と厳しく指導を受けたものでしたが、商品の多角化政策によるショーケースの登場と対面販売の常態化でこの姿勢は消えたものの、顧客には何とか「私だけは特別扱い」の気持ちを持っていただくようスタッフそれぞれが工夫してウエルカムしたものでした。
いまや銀座をはじめ百貨店には中国人が溢れ、観光バスが到着するや売場に客が殺到し、ジュエリーの説明どころか値札とダイヤのサイズだけで次々と商品を購入して行くというような時代。ラグジュアリー・ブランドといえども、時代の流れをとらえ対応するのは当然のこと。なだ万のアサヒビールと同様、ブルガリのLVMHグループへの参画は老舗企業と大型企業の経営感覚の違いをまざまざと見せつけ始めています。
ショッピング・バッグに何故 BVLGARI のロゴがないの?
「ブルガリのショッピング・バッグはお客様の安全第一を最優先に考えており、外に出た時に一目でそれと分からないようにしているのです。」
ジャパン社が発足し、ショップに手配されてきた大小のショッピング・バッグを見た時に、表にロゴがない と驚いた新入りスタッフに、既に総代理店として87年からブルガリを扱っていたJ/Vパートナー・株式会社アオイからのスタッフがこのように言いながら、おもむろにバッグの中を見せました。
なんと、バッグの中底にBVLGARIの文字が!

初代と現在のショッピング・バッグ

中底に印刷されたBULGARIのロゴ
安全神話の日本にいるからこそ、そこまですることもあるまいに と思ってしまいますが、雑多人種の混在する階級社会の欧米では、一歩外へ出れば危険が一杯の世界。顧客のことを思えば当然ということなのでしょう。ただ、ブルガリで買い物をするようなお客さまが、ショッピング・バッグをぶら下げてストリートを歩くはずもなく、殆んどが車で来店のはず。仮にブラ歩きをするとしても、ロゴがなくとも一目でそれと分かるブランドカラーのバッグです。
このように考えると、これはブルガリが如何に顧客のことを考えているかのジェスチャー、いわば神話創りで、顧客の方もその説明をそのまま受け入れるだけの余裕というか器量のあるラグジュアリー層であったということでしょう。
数年経たずしてブルガリはブランドカラーを黒に変え、ロゴも変えて、このバッグは新しいブランド名入りのものに替わり、更に現在は「ROMA」の文字を加えるという強力なイメージ作戦。中世都市国家の気質が強く残り、いまだにローマに敵愾心をむき出しているミラノなどのショップでは全く不評とのことですが、これも世界を舞台にいくつもの高級ブランドを展開する経営優先の視点からはイタリア国民の些細な感情など無視、ということになるのでしょう。
チェララッカ(蝋シール)で“ヤケドして一人前”のショップ伝統
ショップスタッフを泣かせたのが、チェララッカと言われる蝋シーリング。

とにかくお客さまをお待たせしたまま、バックヤードに戻り商品のラッピングに赤い蝋で封印をします。赤いスティック状の蝋をいちいちアルコールランプで溶かしながらラッピングの合わせ目の3か所に垂らし、創業者ソティリオ・ブルガリのイニシャルSB印でシールをする。
これが焦れば焦るほどうまく行かない。挙句の果てはランプの炎や蝋でヤケドをする羽目になるということになり、それがうまく行くようになって一人前という伝統が生まれたのでした。
欧米では公文書などの密封に熔かした蝋や鉛の上に印鑑を押して封をする習慣があり、それをそのままショップに導入したブルガリ。おそらく他のブランドでは見られない手間で、ブルガリ顧客のこれを壊して開封する時の秘かな喜びにうまく訴えたものでしたが、火気禁止の百貨店インショップの展開とともに、使われなくなったのは寂しい気がします。
ファミリー企業ゆえに目指せた超ラグジュアリーな「金魚鉢」
「金魚鉢にナマズが入る」と言う表現があります。
LVMHというナマズが入ったブルガリと言う金魚鉢。その今後の姿はいずれ歴史が見せてくれることになるでしょう。

この回想録のいくつかの稿で述べてきましたように、バブルがはじけた平成の大不況の日本に彗星のように現れたブルガリ。そのジャパン社の一挙手一投足がメディアや業界、更には一般世間までの注目を集め、イタリア本社との的確な連動の下、毎年の大幅な右肩上がりの業績はグループを牽引し最高に盛り上がった時期でした。
私が勝手に名付けた「栄光の10年」(Glorious
Decade/1994~2003)。ブルガリ・ファミリー4代目のトラーパニ社長が誰はばかることなく目指した究極のラグジュアリー企業。それを金魚鉢というならば、その中の、いわば純粋培養の金魚であった社員達にとっては、たとえそれが短い期間でも、絶対に二度と得られぬ貴重な経験であったと言えましょう。私自身も金魚鉢創りの一翼を担ったことを嬉しく思うと共に、誇らしく思う次第です。(続く)
2015年6月
深江 賢(ふかえ たかし)