NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

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特集記事 ANA

ブルガリと私の回想録 第38回

日本人の三大苦手、スピーチ・討論・パーティ

長年に亘る“モノ言わぬ”習慣で、今の世界に対応できるのでしょうか

 場所適応のスピーチ(JR新宿駅前でのBゼロ1発表会・99.9

新聞のコラムに同感

先日の新聞のコラムに「日本人はスピーチや討論が下手だとよくいわれる。ことに昨今の政治家は、勉強はそこそこできるのに、<正義>で相手をやりこめようと勢い込みすぎるあまり、言葉ばかりが激しくなって聴衆の胸になかなか響かない。-以下略」(H27・3・21産経新聞・産経抄)とあり、参院予算委員会の中で某党の議員が閣議決定や安倍首相を「口を極めて罵って」予算委員長から注意され、さすがに謝っていたなどと続いていました。

 

スピーチしかり、討論しかり。日本人の大の苦手に、私は更にパーティを加えたいと思います。先に話題にしたビジネス会議(回想録36)と違って、これらについては勘案の余地なく本当に下手。私自身、NYやブルガリで揉まれて、それなりに努力もしましたが、やはり大の苦手であることに変わりはありません。

スピーチ下手の背景に、「揚げ足取り」の悪習癖

まずスピーチ。圧倒的に多いのは原稿から顏を上げずに棒読みのタイプ。

これはスピーチに限らず、討論においても、日本の「揚げ足取り」の悪習癖に起因するのではと考えます。

 

その典型が国会。本来ならば最高のスピーチの応酬があり、高い次元での討論が期待される場で、揚げ足取りが常態化しています。

別のコラムに「国会で野党のつまらぬあげ足取りが目に余る。もっと他にやることがあるだろう。週刊誌も同じ。たとえば(中略)遅刻問題。遅れたといってもたった2分ほど。(中略)目クジラ立てる方がおかしい。」(H27.4.4 産経新聞・花田紀凱の週刊誌ウオッチング) 

 

かくして上は国会から下は企業の株主総会まで、喋る方はとにかく失言を避けるために、あらかじめ準備された原稿を顔も上げずに棒読みにします。せめてアメリカ式に透明のアクリルボードを使って、目線だけでも聴く側に向ければ多少ともイメージが変わるはず。聴衆を見渡し、ジェスチャーを交えて演説する故田中角栄元首相の姿を今の時代に期待するのはどうも難しいようです。

 

ジャパン社の規模拡大に伴いスピーチの機会が増えた私の場合は、次元もケースも異なることでもあり、まずは原稿を読まないことを心掛け、来場の方々に話しかける意識でスピーチをしました。事前に話すべきポイントをしっかりと頭に叩き込み、いざステージに上がると何かが抜ける。中々簡単ではなく、原稿を用意してくれたマーケティング担当によくお叱りを受けたものです。

日本人には道遠し、討論における三つのキーポイント

次に討論。これには苦い経験があります。

ボスのマッキ主催の各エリヤを移動する定例総支配人会議。欧州担当・ユルグのアドバイスで積極的に発言を始めたころ(回想録10)、日本がらみのことで内容的にイケルと踏んで異論を唱えた相手が北米担当・アリーゴ。冷静に考えれば、我々総支配人たちのプレゼンや討論の指南役でプロフェッサーのニックネームを献上したご当人。まさに蟷

各自にマイクが用意された会議(ミラノ研修会・91.10

螂の斧もいいところで、軽くあしらわれて最後は自爆した形でおしまい。直後のコーヒーブレイクで、アリーゴに詫びを入れ、うまく納めてくれたマッキにも頭を下げたことでした。

 

これをきっかけとして、別の席でアリーゴから総支配人たちが基本的討論テクニックとして教えられたポイントは三つ。①相手の発言を認めそれに敬意を払う ②一点だけそれに意見を付け加える了解を得る ③自論を展開しながら最終的に相手に完全反論する で、MBAなどでディベートを通じて身に付ける手法とのこと。それ以降、総支配人会議でも同じような形が頻出し、逆に大笑いを誘うこともありました。

 

ところで、ここに言う反論すべき相手に敬意を表すなんてことは、日本人にとってはまだまだ不慣れなところ。日常の生活から自然体でそのような習慣が身に付くには今からいくつかのジェネレーションが必要でしょう。

パーティ習慣のない日本人の悲哀

最後にパーティ。

仕事関係のパーティでも、ついつい日本人が集まりがちになります。まして私がNY時代に仕事上経験した外人ばかりのパーティとか、現地ファミリー主催のホームパーティなどになると、行く前から拒否感が溢れて大変でした。

 

そもそも喋ること自体が不自由のうえ、政治、宗教、またひいき筋の強いスポーツ、特に欧州ではフットボールの話はタブーとあっては、何を話ししていいのかを考えるだけで凹みます。これも欧米人などの場合は幼時から機会が多く場馴れしているわけで、一つの輪の中でのみんなが興味を引く話題の出し方、自分の持ち時間(例えば5人の輪なら5分の1見当)での喋り方、更には人の話の聞き方、などごく自然体。こちらの拙い話でも耳を傾けたり質問をくれたりで、上手く振舞うのはさすがです。

 

もっと上級編はジョーク。頭がいい人ほどジョークがうまく、自分を強く印象付けるにはこれが一番、と私の先輩・烏賀陽正弘氏が「世界がわかるアメリカ・ジョーク集」(三笠書房)で述べておられますが、凡人にとって全く次元の違う世界のようです。

 初対面同士の歓談(宝飾工房見学・94.5)
初対面同士の歓談(宝飾工房見学・94.5)

日本の若い人々への切なる期待

前にも使った表現を使えば、四海に囲まれた単一民族の日本と、道路一つ隔てた向う側が人種も言葉も法律も異なる他国という環境の違いから、謙虚さを美徳とする日本と自己主張を子供の時から身に付ける欧米。

また「戦後の日本は世界でも稀な一国平和主義の国として、安寧の眠りの中ですごしてきた。(中略)主張もせず、議論もせず、反論もしない国が日本だった。」(櫻井よしこ・花田紀凱共著「正義の嘘」)とあるように、国際ルールや協定を身勝手な理屈で無視し、甘言を弄して既成事実を作り上げ、譲れば当然のように踏み込んでくる国々が周辺にゴロゴロしている時に、清く正しく行動すれば黙っていても世界は理解してくれると信じる日本人のお人好しメンタリティ。


目線を上げたスピーチ(アルミニューム時計発表会・98.5


モノ言わず、カネさえ出せばという姿勢ゆえに「世界のATM」として“重宝がられる”日本。人口減少の上に、領地、利権など、日本国の存在そのものの縮小が垣間見えるいま、この意識面の覚醒が大いに必要ではないでしょうか。

 

就活など目先の理由で海外志向がどんどん減少している日本の若い人々。広い世界にもっともっと目を向けてほしいと切に願うばかりです。(続く)

2015年5

                     深 江  賢(ふかえ たかし)