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深江賢に聞く~回顧録スペシャル~
洒落おやじの青春取材記 工藤
特集記事 ANA

2014年12月

ブルガリと私の回想録 第33回

ボスに見るリーダー像

- 90年代のグループ大躍進を陣頭で仕切ったマッシモ・マッキ 

夜空に現れた彗星のように輝いた10年

マッキと筆者(95.3)
マッキと筆者(95.3)

ブルガリは今年創業130周年を迎えました。


このブルガリの歴史の中で、日本を中心として、あたかも夜空の彗星のように燦然と輝いた時期がありました。日本法人が設立されて3年を経た94年頃からの約10年間。バブル後の平成大不況の日本で、ブルガリというブランドがメディアの注目を集めました。


連日のように新聞、雑誌に採り上げられ、一地方ショップの出店までTVにオンエアされるという有様。右肩上がりの業績はグループを支え、社員達のモチベーションも大いに高ぶった時でした。


それを牽引したのがグループのジュエリ-・ウオッチ部門のトップ、マッシモ・マッキ。前任のジャンルカ・ブロゼッティが新設の香水部門へ転出したあとを受けて、ニューヨークより93年2月に着任した私の2番目のボスでした。

いつも肩を組み合った写真が語るその人柄

ソウル総支配人会議、肩を組むマッキ(99.10)
ソウル総支配人会議、肩を組むマッキ(99.10)

5月のローマ本社での年次幹部会のあと、マッキは部下の総支配人、当時は私を含め3人と製造と販売の長をテラスに集めてこんなことを言い出しました。

「我々は仲間同志。これからはお互いをファースト・ネームで呼び合おう。」

ビジネス面では厳しいブロゼッティ時代には中々そのような雰囲気ではなかっただけに、この提案は新鮮でした。

さ すがNY出身!これはNYでは当たり前のことで、私の短い経験でも、日本人は自分のネームを自分で決め、マイクとかヘンリーとかジョーとかを名刺にまで入 れたものです。ちなみに私は名前の音読みからケンと称し、いまだにアメリカの友人などからは、このファースト・ネームでクリスマスカードが来ています。


マッ キのこのスタンスは在任中、どの局面でも変わることはまったくありませんでした。直属の部下だけではなく、誰にも同じ仲間扱い。その最たる証拠が写真で、 彼は必ずと言っていいほど誰かと肩を組んで写っており、「仲間意識」の公言が単なるジェスチャーでないことを示していました。

グループ全社を高揚させたコミュニケーションの場の設営

淡島総支配人会議、ワインセラーでのマッキ
淡島総支配人会議、ワインセラーでのマッキ

マッキの時代ほどグループ内での交流が盛んになった時はありません。

先ずは、部門の経営会議ともいうべき総支配人会議。

グループを6つに分けた各エリヤのトップ同士がお互いを理解し合い、親密になることがグループの結束と興隆に繋がるとして、彼の在任中、それぞれのエリヤを持ち回って都合13回。

私にとっては全く未体験の、そして、経営の実務とコミュニケーションの実を挙げた会議でした。(回想録10)

参加全員がミックスしたコンベンション、筆者(前列赤丸)と向かって右がマッキ(97.5・再掲載)
参加全員がミックスしたコンベンション、筆者(前列赤丸)と向かって右がマッキ(97.5・再掲載)

次に、彼が発案し、95年から都合4回にわたって催されたインターナショナル・コンベンション。(回想録11)グループ発展のカギとなるべきマネ ジャー・クラスを対象に、人事の研修チームとタイアップして、イタリアの最高のリゾート地に世界の幹部を招集、決められたテーマの下で、研修と称して思 いっきり羽を伸ばさせてくれました。

渡航はビジネスクラス、泊りは 最高級ホテル、一日の半分はゴルフ、テニス、サイクリングなど自由行動、夕食会のあとは趣を凝らしたエンターテインメントなどなど。これを体験して、ブル ガリへのロイヤルティの上がらない者がいるはずもありません。ジャパン社の店長やマネジャーたちは、イタリアは勿論のこと、アメリカ、ドイツ、スイスなど の仲間と顔を合わせばハグし合い、いろいろな話題に花を咲かせるなどしながら、自身の仕事への自信を高めていったものです。

ビジネス拡大路線をバックアップした「白紙委任」

東京店でのB01ライン発表会(99.9)
東京店でのB01ライン発表会(99.9)
ロッテ・ソウル店オープニング(99.3)
ロッテ・ソウル店オープニング(99.3)

トラーパニ社長の販路拡大路線を受けて、日本で百貨店にアプローチを始めたのが93年。

まさにマッキが部門トップに着任して、この百貨店戦略が始まりました。3月にはトラーパニとともに早速来日。12月の髙島屋京都店への出店を皮切りに、次々と百貨店への出店が続きます。

この成功のカギは「すべて任せる」という本社のお墨付きでした。(回想録17)

外資企業にありがちな「社に戻って本社と相談する」というセリフを吐くことなく、交渉時に オレがここで決めると啖呵を切れたのはこのコミットあってのこと。いわば白紙委任をくれたのがマッキだったのです。


彼がNY出身で百貨店事情を良く知っていたことも幸いでした。ロンドンやパリ、ミラノと異なり、NYでのいくつかの限られた百貨店のステータスは非 常に高く、明らかに富裕層対象。その中でショップ・イン・ショップのスペース確保にはそれなりのノウハウが要ることも良く知っていました。

その結果、向こう約10年に亘る大躍進。30店舗超の直営ショップのネットワークでグループを牽引し、オーバーに言えばジャパン社無くしては、という一時代を築くことになったのも、このマッキの存在あってのことでした。

リーダーの要件:三つの  『C 』

マッキの退任する99年末まで、まさに蜜月時代ともいうべき7年間を共に過ごし、リーダーとしての彼から吸収したことは多々ありました。数えれば枚挙に暇がない中で、私はここに述べてきた3つのことをCで始まる言葉として腹に納め、ジャパン社の経営で実践し、機会あればリーダーの要件として人に話しています。

✓ Commitment
   (口外したことの遵守)

  ✓ Communication
     
(交流による意思疎通) 

✓ Colleagues

   (仲間、同僚)
  

最高のボス・マッキ退任時、総支配人たちに配ったプレート
最高のボス・マッキ退任時、総支配人たちに配ったプレート
淡島送別会議でのマッキ、やはり肩を組む (99.10)
淡島送別会議でのマッキ、やはり肩を組む (99.10)

マッキの退任前、ジャパン社幹部と総支配人会議と同じ淡島ホテルで送別会議を開催。その後バーでしばし時間を二人で過ごした時に、彼がしみじみと言ったことがあります。「タカシといると、ふとオヤジといるような気がすることがある」と。何をもってそのように感じたのかは聞けるものではなかったですが、けっこう言いたいことを言い合っていたのだなと、嬉しく受け止めたことでした。(続く)

201412

深江 賢(ふかえ たかし)