NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

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ブルガリと私の回想録 第30回

『人を育て、人を信じ、人に任せる』という人材政策

- 急成長を陰で支えた、生え抜き人事担当役員F・スペーナの退任に想う -

「桐一葉、落ちて、天下の秋を知る」 (読人不知)

1. ブルガリ・ブリリアント・ドリームス・アワード2003に本社代表として来日(右端) 左端は筆者(03.5)
1. ブルガリ・ブリリアント・ドリームス・アワード2003に本社代表として来日(右端) 左端は筆者(03.5)

930日付でブルガリCFO(最高財経責任者)のフラヴィア・スペーナが退任するというブルガリ社内公報が流されたそうです。

 

1884年創業以来ほぼ100年、1985年に社長に就任するや、一握りの富裕層しか知らなかったブルガリを覚醒させ、一挙に世界に認知せしめた創業家四代目のフランチェスコ・トラーパニ。2011年にLVMHグループに参画し、ファミリー企業『ブルガリ』が実質的に消滅してからは、徐々に、そして確実に、その存在感を失っている中で、当時の役員クラスで唯一生き残っていたスペーナも遂に姿を消すことになりました。

 

90年代半ばから21世紀初頭にかけてのブルガリの世界的な大躍進を人材育成面で支え、後にはマーケティングから財経部門まで掌握することになった彼女の退任。私を含め、この時代を共に過ごした仲間たちはこの一句にそれぞれの想いを寄せるのではないでしょうか。

潤沢な研修費と攻めの人材政策

912月ジャパン社が設立された直後、GM研修でローマに長期出張をした時にまず訪ねたのがスペーナ。当時はベテラン人事部長のアシスタント。
大学でこの分野を専攻した彼女は、やる気満々の若いトラーパニ社長の既定路線で
2年足らずで彼と交代。以降、グループの主力たる宝飾・時計部門トップと密に連携しながら、積極的な人事政策を展開。こと研修費に限って言えば、同種企業平均の10倍近い予算を投入、長期的な戦略のもと、人材コンサルタント企業と提携し、上はトップクラスから、店長、更にはショップスタッフまで、毎年のように、形を変えて、海外研修、或いは国内研修を行い、強い絆に結ばれた人材集団を作り上げたのは、今までの稿で述べてきたとおりです。
回想録
361112など

大阪店にてスタッフたちと(93.5)
大阪店にてスタッフたちと(93.5)
同、北の新地を散策
同、北の新地を散策

毎年春にグループ全社を歴訪し、店長以上の全員と面接をした行動力

15稿の再掲載、新潟月田温泉のLACへ二度目の参加(01.6)
15稿の再掲載、新潟月田温泉のLACへ二度目の参加(01.6)

フラヴィアのフットワークは素晴らしいものでした。HRHuman Resources=人事総務)担当役員になってから恒例行事となった春のグループ各社めぐり。ジャパン社には必ず一週間は滞在、主力ショップを訪問し、現場で店長たちと面接するとともに、ショップスタッフたちを交えた食事会など、ブルガリが最も重視したグループ内のコミュニケーションを自ら率先垂範したものです。

 

その最たるものが、以前の稿で述べたジャパン社のLACLocal Annual Convention・地域年次総会)への同行。(回想録15) 95年から、全社員を2班に分け6年に亘り社員間のコミュニケーションの実を最高に挙げた社員旅行。フラヴィアは彼女のHR活動の展開と軌を一にするように催されたLACの最終の2回にタイミングを合わせてくれました。先稿と重複を承知の上で、敢えて新潟・月田温泉での写真を再掲載します。グループ・トップ役員と社員たちがこのような和気藹々の場を共有できたことは、今でも誇らしい思いです。

店長クラスの給与ベース一律引き上げに抵抗し、大激論

順風満帆で進んだフラヴィアとの関係の中で、一度だけ、大激論を交わしたことがありました。

 

それはジャパン社がV字回復を果たし、拡大路線に入った90年代後半。グループ内のショップ・マネジャーの給与水準を共通レベルにしたいとの提案があり、その水準が日本ではサラリーマン平均給与を上回るものだった時です。それでなくても高騰する人件費。日本法人を預かる身としては、ショップ・ネットワークの拡大に合わせて、次々と採用する店長、或いは店長候補の給与を如何に抑えるかがウデの見せどころ。全員が途中入社だけに、それぞれ前職の水準を見ながら、いわば+αの水準で決めて行きます。それを一挙にそんな水準に統一しろと言われても、簡単にハイ、ソウデスカで引き下がれるものではありません。久しぶりの本社との喧々諤々のやりとり。最終的にはしぶしぶ本社方針に従いましたが、結果的にフラヴィアのこの方針は大正解。そのほかの人材政策と併せて、ショップのモチベーションは高揚。ヘッドハント会社各社から「ブルガリの店長は落ちない」という評価をいただいた(回想録3)要因の一つは間違いなくここにあり、後に素直に兜を脱いで謝ったことでした。

京都でのオフ、清水の舞台でのツーショット(97.6)
京都でのオフ、清水の舞台でのツーショット(97.6)
同、三年坂で
同、三年坂で

個性の集まりが強いチームワークを作り、当時の大躍進の原動力に

伊東温泉でのLACに初参加、中央に筆者と(00.5)
伊東温泉でのLACに初参加、中央に筆者と(00.5)

フラヴィアがブルガリで目指したのは「自己完結できる能力」をもつ社員創りでした。いちいち上司に相談せずに、自分で的確に判断して、期待される結果を導く能力を持つ人材のことで、各種の研修を通じ、<人を育て、人を信じ、人に任せる>、いわば「大人の会社」のすがたを求めたのです。

 

一方ジャパン社では、設立以来、ショップでの「販売マニュアル」なるものは一切作らず、顧客対応は基本路線を踏まえた上で、ショップの自主性に任せてきました。内外のラグジュアリー小売ビジネスに精通する営業トップの岡部俊行の持論で、千差万別の顧客、特にわがままな富裕層の顧客に対応するにはショップでの臨機応変な姿勢が不可欠とし、何事にもマニュアルを優先する弊害を避けるためでした。結果的にフラヴィアの掲げた方向だったのです。


このような経営姿勢のもと、ブルガリには本社、ショップを問わず、個性のある面々が揃いました。任されれば、人は意気に感じるもの。信頼に応えるために、アタマを使い、的確な判断力を駆使する。その個性集団があちこちで、色々なエピソードを作りながら、いつの間にか強力なチームワークを作り上げて行く。言い換えれば、上位者には、部下に任せることにより発生する大小のリスクをいつでも取れる覚悟、下位者には、任された以上は結果をつくる自信、の備わったツワモノたちが揃っていたと言うことでしょうか。


冒頭に述べた90年代半ばから21世紀初頭にかけての、ブルガリの世界的なブレイクはこのような個性集団あってのもので、フラヴィア・スペーナの存在抜きには語ることができません。トラーパニ以下、人材に恵まれた当時のブルガリ。ラグジュアリー・ビジネスの理想をあくまで追及するという企業姿勢は、確かに経済優先の世の中にあっては異色の存在だったのでしょうが、そこに身を置いたものにとっては実に幸せな体験だったと言えましょう。(続く)

20149

深 江  賢 (ふかえ たかし)