ブルガリと私の回想録 第29回
記憶に残るサプライズ・パーティ3話
- 20年に亘る社員たちとの絆 -
グループ国際幹部会のコーヒー・ブレイクで、突然のスポットライト

「タカシ、ちょっと、こちらへいらっしゃい!」インターナショナル・コンベンション3日目のコーヒーブレイク。前方で女性たちが何か集まっているなと思っていると、女性たちのリーダー的存在のローマ店店長パオラ・ソージオから声がかかりました。
グループのジュエリー・ウオッチ部門長が93年に前NY支店長の陽気なマッシモ・マッキに替わり、謹厳実直型のブロゼッテイ時代とは一味違った明るい雰囲気が部門内に流れ始めていました。
それに輪をかけたのが、欧米におけるバブル崩壊からの明らかな回復の兆し。
各地のヒヤリングを済ませたマッキの打った最初の手が
「ファミリー意識」の高揚のためのコンベンションの招集でした。
94年4月末、イタリア・マジョーレ湖畔のストレーザに
世界各地の店長や本社幹部たち約60名が集まり、連日の食事会と
相互交流の企画。初対面同士でもすっかり打ち解けはじめた時でした。(回想録11)
突然はじまったバースデイ ソング

パオラの声のする方に進むと、
いきなり「ハッピー・バースデイ、ディア・タカシ・・・・・」のみんなの歌声。
エェッ? 何で? と考える間もなく、入れ代わり立ち代わりのキスとハグの嵐。
ケーキにナイフを入れたのも覚えていないほどの、まさにパニック状態。
とにかく、それまでサプライズ・パーティの体験は全く無く、どう対応していいかも分からず右往左往。
仕掛けた彼女たちからすれば、まさに“してやったり” ではなかったでしょうか。
実はこの年の正月休み、パオラがご主人と日本に遊びに来た時に、ご所望の神戸ビーフの鉄板焼きに案内したのです。その時に色々話した中で、誕生日のことをしっかりと覚えていてくれたのでしょう。そしてコンベンションが佳境に入った3日目が、その当日の4月30日。鮮やかな「お返し」でした。


ジャパン社のV字回復と躍進が始まる
この年央を底としたジャパン社のV字回復と、
その後の驚異的な躍進はグループ間で話題の的。
その後、サルデーニャ島、ヴェニス、ラパーロとイタリアの景勝地で
ほぼ毎年催されたコンベンションでは、ジャパン社の店長たちは、
各地の店長から引っ張りだこでそのノウハウを聞かれたとか。
私は私で、パオラのサプライズ・パーティのおかげでカオが売れ、
すっかり“ハグ慣れ”。
コンベンションだけではなく、本社役員フロアへのフリーパスを良いことに、
うわさの役員秘書たちとも積極的に?ハグを交わすようになり
『日本人の顔をしたイタリア人』と冷やかされるようになった理由は、
むしろこの面からであったかもしれません。
東京本店内での還暦パーティ
~多少(?)のハメ外しが許された『良き時代』~
スケジュールを空けておくようにと事前に言われていた97年満60歳の誕生日の翌日、秘書に伴われてカーテンの下りた閉店後の東京本店に足を踏み入れたとたん、「還暦、おめでとうございます!」のみんなの声。東京店だけではなくオフィスの面々までがそろって、大きな拍手で迎えてくれたのでした。

導かれるままにステージへ。
イベント慣れしたMCのアナウンスに登場したのが何と、ボスのマッキ・・・の背ネーム入りのシャツと高い付け鼻のニセモノ。
吹き出したいのをこらえてセリフを聞くと、
「これはイタリア本社公認の還暦祝いである」と。

あれやこれやとお祝いの言葉をいただくうちに、突然のハワイアン・ミュージック。
前職エアラインのそれぞれの制服に身を固めた女性たちに、首にレイをかけられ、ハワイに案内するという趣向。
同時に、アロハシャツ、サングラスに身を固めた男性陣、フラダンス用のパウスカートを巻いた女性陣が一斉に入場、たちまち東京店チームとマーケティング・チームの競演会に突入しました。
描写できないほどの抱腹絶倒、また迫真の演技のオンパレード。
さぞ綿密な事前の打合せとハードな練習をしてきたことでしょう。

豪華なバースデイ・ケーキと、最後は、元応援団長だった財経部長のシメで
お祭りは終わり。これに先立つ3月初め、ヴェニスでの3回目のコンベンションで、業績の勢いをそのままに20人近くが参加。大いに存在感を見せた
ジャパンチームがその流れをそのまま東京本店に持ち帰ったような
この還暦祝いでした。
演出の立役者
この企画と演出は当時の東京本店店長のすばらしいリーダーシップによるもの。
彼はその後営業部長に昇進、縁あって、
三大ジュエラーの一つ、米の超高級ジュエラーの
日本法人に転身。
今やショップの末端まで熟知すると上司・部下から畏敬の目で見られるNo.2の立場で、既にこのあたりに十分なベースがみられるところでしょう。齋田陽児。私にとって一生忘れることのできない素敵な思い出をプレゼントしてくれました。
これには後日談があります。
その秋、ボスのマッキ来日の折、このパーティのアルバムを見て、
「これぞ自分の進めるチーム・ビルディングだ!」(回想録11)と絶賛。
特にご本人のニセモノには大笑い。
これでこのハメ外しの大パーティは晴れて「本社公認」のお墨付きを得たのでした。
喜寿+還暦のWパーティを企画してくれたOB・OG・現役たち
今年の2月初めの某日、ブルガリOB・OGたちの纏め役から「岡部さんと久しぶりに天現寺の『寅』で飲みましょう」との誘いがありました。
岡部俊行。ラグジュアリー・ブランドにおける内外での経験豊富で、
私にとってブルガリで全幅の信頼を置いた右腕。
イタリア語、英語に堪能、イタリア本社の信任も厚く、
ことショップ運営に関しては絶対的な存在でした。私の引退2年ほど前に、
米国を代表するバッグ社からのハントの相談があり、その内容に納得して快く送出。
着任以来、営業本部長として日本中を走り回り、驚異的なエネルギーと交渉力で、
同社の脆弱な百貨店戦略をほぼ一人で再構築。現在の人気ブランドとしての
ゆるぎない地位と繁栄の基礎を創り上げたのは業界通のよく知るところ。
その後はスイス最大の時計メーカーのGM、イタリアのアパレル・ブランドの
日本法人トップを経て、現在は独立。時間が比較的自由になることもあり、
今も何かにつけてお付き合いいただいている仲間の一人です。
『寅』はこだわり野菜と魚肉で名を馳せる炭焼き小料理屋。
巨大な長火鉢スタイルで大勢がそれを囲めることもあり、また、ブランド業界筋では名の通った店長のキャラもあって、何かにつけてよく利用しました。
本社からの出張者も誰彼なく引っ張り込み、新鮮なネタと冷やの日本酒にみんな大喜び。
マッキなどは青竹の銚子と猪口をもらって帰ったほどです。この名物店長も代り、まして引退後はご無沙汰だけに、このお誘いは懐かしく、勇躍でかけました。
二人が入ると、ほぼ貸切り満員の30人ほどの仲間から一斉に拍手。 ゴルフ部、テニス部、ダイビング部などのOB・OGの懐かしい面々を中心に、現役たちまで加わった喜寿と還暦のW祝いパーティだったのです。
引退して10年。
まさか、まさか、の嬉しいサプライズでした。
2014年8月
深江 賢(ふかえ たかし)