NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

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特集記事 ANA

ブルガリと私の回想録 28

創業から90年間、わずか1店でブルガリの名声を支えたローマ店

 - 時代は変わっても超別格の存在、そのエピソードなど -

パパラッチに狙われたスター達(V.リーシ・71年、K.ダグラス・64年、A.ヘプバーン親子・73年)
パパラッチに狙われたスター達(V.リーシ・71年、K.ダグラス・64年、A.ヘプバーン親子・73年)

「私が知っているイタリア語は‘ブルガリ’だけよ」と、20世紀のハリウッドを代表するスター エリザベス・テイラーが言ったとか、言わなかったとか。数多の結婚をした中で2度結婚した唯一の相手、リチャード・バートンとともにクレオパトラの撮影時に足繁く通ったのがこのローマ店のVIPルーム。スペイン広場からコンドッティ通りに入ってすぐ、カフェ・グレコの斜め向かい、ローマ店の荘重なファサードから少し離れた所にひっそりとある鉄柵に囲まれた狭い中庭。これが従業員用の出入口であると同時に、実はVIP用の隠れ出入口。カメラマンやパパラッチが待ち構える正面入口を避け、奥まったVIPルームに直行できるブルガリならではの仕掛けでした。

 

この伝説のVIPルーム。今年創業130周年を迎え、ピーター・マリノによりオリジナルに近い状態に改装されたものが目玉として3月20日のグランドオープニング当日にメデイアに公開され、大きな話題を呼んだようです。

 

 

今年130周年で改装されたファサード
今年130周年で改装されたファサード

ローマ店のレジェンド、 ‘セールス’の「三婆」

夕暮れのコンドッティ通り。ショップ入口のまえで、腕組みをして煙草をくわえ、道行く人々を睥睨するように立っている3人の女性。小柄ながら最年長で貫録十分のヴァレンティーナ。長い髪を巻き上げ、凛とした風情、伯爵家出身のイサベラ。


長い髪を後ろにマゲのようにまとめた最若手、美形のイングリッド。社交界のサロン的役割を果たしていたローマ店の誇るこれら3人の‘セールス’は、顔が広く、話題は豊富。このサロンの女主人としての存在感から、畏敬をこめて「三婆」と呼ばれる一方、パオロ会長からは愛情をこめて「私のセールスたち」と特別扱いをされていました。

 

91年2月にジャパン社が設立された直後、ゼネラルマネジャーとしての私の研修の最終コースがこのローマ店の4日間。店長・セールス・アシスタント・カブ―(金庫室)に付いて1日づつ。セールスの担当がイサベラ。


仕事の基本の心得から始まって、「客が気にならないように、少し離れて見ていなさい」と言いながら、実際のセールス現場まで、実に的確で丁重、グループ2社目の海外法人トップへの敬意が十分に感じられた指導でした。

Tシャツ・短パンでの入店はお断り―「社交界サロン」の矜持

「入店をお断りするのは、むしろご本人のためです。そのお客様が異次元の雰囲気に戸惑ったり、不愉快な気分になったりするのを未然に防いであげるために、最初から入店をお断りします。また、他のお客様の手前、下着姿でこのローマ店に入場いただくわけにはまいりません。」

荘厳なエントランスホール   (改装前)
荘厳なエントランスホール   (改装前)
 セールス・テーブル
セールス・テーブル
復刻版VIPルーム
復刻版VIPルーム

私の研修3日目。アシスタント兼ドア担当リーダーのトニーが、Tシャツ・短パン姿の日本人カップルに入口ドアを開けなかった理由を聞いたのに対する答えがこれでした。白いカーテンが掛けられた当時のローマ店の入口は小さく、まるでアパートサイズ。日中は外から内部が見えず、逆に中から外が手に取るように透けて見え、そのカップルは不満そうに去ってゆきました。

 

 どこのプレミアム・ブランドのショップに入店しても、店員が直ぐに声をかけず、しばらく顧客の動向を見守ります。当時のブルガリはショウケースが無く、ウインドウの展示商品に値段表示もなし、顧客の方から声が掛らなければ対応せず、応接テーブルにも案内しない。要はブルガリでは、具体的目的のはっきりとした顧客以外のブラ見には全く対応しないという方針が徹底しており、これはまた、超高価な宝飾品を扱うショップの防犯上の常識でもありました。

 

 一方80~90年代には、Tシャツに短パン、野球帽というアメリカ・ファッションが世界を闊歩しており、若者は競ってこれを取り入れたものです。しかし、ヨーロッパ、とくに、それ相応の場所で、このスタイルが通用しないことまでは中々知識が及ばなかったのは当然のことだったでしょう。

 

 勤続20年を優に超え、「三婆」は別にして、そのほかの‘セールス’でさえ一目を置くアシスタント・リーダーのトニー。常にサイズの違う靴を2足用意し、一日中の立ち仕事で足がむくみテキパキとした動きが出来なくなるのを防ぐために、午後には必ず靴を履き替えると言うプロ意識に徹したトニーの矜持を垣間見た瞬間で、現在の商業ベース第一主義とは一線を画す世界でした。

 

 ここ数年、ある大学の学生相手に一般教養科目として「ラグジュアリー・ビジネスの世界」について講義する機会があり、この入店拒否の話を例として出すと、「ブルガリは身なりで客を差別するのか」という疑問が必ず出されます。講義の内容を分かりやすく説明するのに、最適の一例として使っています。

憧れの総本山、ローマ店で5年間も‘セールス’を張ったジャパン社OG

パパラッチが待ち構えるカフェ・グレコ前からのローマ店(80年代)
パパラッチが待ち構えるカフェ・グレコ前からのローマ店(80年代)

イタリア好き、いや、大好きが高じて今や在住17年。増加一方の日本人顧客の対応にイタリア語が出来るセールスを出してほしいとの本社要望に、手を挙げたのが何と、何と、セールスはおろかショップ経験皆無、92年入社以来、商品管理担当一筋の相良敦子。こちらの心配をよそに本社は即OK。とにかくイタリア語が出来ることが優先で、セールス術はこちらで教えるとのことでした。

 

予想された通り、97年に異動してからの、しかもローマ店と言う総本山での体験は過酷なものだったようです。「三婆」はむろんのこと、他の‘セールス’からは‘セールス’扱いされず、トニーには邪険とも思える厳しい指導を受け、順番で担当したイタリア人顧客からは イタリア語が出来るセールスを呼べ と文句を言われるなど、わずか2週間で8kgも痩せるようなイバラの体験。

一方では、本当のイタリア味を知るためにはオリーブオイルとワインにはお金を使えなどとアドバイスしてくれる、実はハートのあるトニーやその部下の仲間たちに支えられ、ついに多少のことには動じない根性を醸成。5年後にミラノ店に移ってからは、日本人と入れ替わって増加した中国人顧客相手の中国人セールスたちの指導をしながら、ローマ店で培った人脈をもとに、ハイジュエリーのセールスではトップクラス、ミラノにその人ありと言われるまでになっているのは ジャパン社OGここにあり! まことに喜ばしい限りです。

 

 

ローマ店では、クリスマスにワインやチーズなど、プレゼント満載の大きな箱が社員一人一人の家に必ず送られてくる長年の伝統があり、会社の雰囲気は非常に家族的でしたが、この習慣も04年に完全に廃止されました。

 

 

現代のローマ店
現代のローマ店

「ブルガリがまだ家族的な雰囲気を残していた最後の時代に、イタリアで、それもローマ店で働くことが出来たことは、誰しもが出来る経験ではなく、実に幸せに思います。」とは相良のコメント。奇しくも04年は私の引退の年で、強い共感をおぼえます。(続く)


2014年7月

深 江  賢 (ふかえ たかし)

 

 

*写真提供・ブルガリジャパン