NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

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ブルガリと私の回想録 26

ジャンボ機に巻いたアルミニウム時計のサプライズ

 

― 「ソロテンポ」発売日の百貨店に待ち行列 ほか 時計のエピソード ―

 

◇新型アルミニウム時計の発表会が成田空港の格納庫で!?

 

世界に一つしかない、社長公認のFUKAEネーム入り時計
世界に一つしかない、社長公認のFUKAEネーム入り時計
アリタリア航空機に巻いたアルミニウム時計
アリタリア航空機に巻いたアルミニウム時計

案内状を受け取ったメディアの方々はさぞ驚かれたことでしょう。98年、ブルガリが自信を持って世に送り出したアルミニウム+プラスティック素材の自動巻き時計。これを6月の世界同時発売の前に、当時遠距離フライトの花形だったB747・ジャンボ機に巻いたのです。アリタリア航空世界一周便AZ001。NYから西回りで成田空港に飛来する5月29日に合わせて、そのお披露目に遠路はるばる格納庫にお呼びしたのでした。

誰がそんなところまで来てくれるのか。そんな心配も杞憂でした。

航空機はもちろんのこと、電車にまでベタベタ広告が氾濫する現代と違い、当時機体広告はほとんどなく、私の記憶が正しければ、デイズニーのキャラクターが描かれたものがあって子供を喜ばせていた程度。それを登り竜のブルガリが時計を巻いたとあって、マーケ部を率いて絶好調の5年目、鳥羽秀子の案内状に殆どのメディアが応えてくれたものです。

 そのあとで、改めて東京店で発表会。今度は本物の時計を披露し、その斬新な素材と機能は高い評価をいただきました。

 

◇世界で唯一、ルール破りの時計がトラーパニにバレてしまった!

 アルミニウム時計発表会(98.5) レギュラーMCの中村江里子さんと筆者
アルミニウム時計発表会(98.5) レギュラーMCの中村江里子さんと筆者

「タカシ、その時計をちょっと見せてごらん」

 ローマ本社で会議のあとの総支配人仲間たちとの会食。飛び入りで加わったトラーパニが私の腕の時計を見てのこの一言。

91年ローマでの最初の研修以来、トラーパニとはお互いにファースト・ネームで呼び合い、社長室にも秘書を通さずに入るというような非常にいい関係で来ていたものの、この言葉に シマッタ!! 一瞬、凍りついた感じでした。

 

 実はこの時計はスイスの時計技術部長、ピエール・ベサーナが来日の折、社員達が企画した私の還暦サプライズ・パーティの愉快なアルバムを見て、「そのような意義あるお祝いなら、私も素敵なものをプレゼントしたい。」と<KANREKI・T.FUKAE>と書かれたダイバー・ウオッチの文字盤を作ってくれたのです。個人名を入れないというブルガリのルール破り。大いなる越権行為でした。

 

 「ピエールに悪いことをした!」というのがまず脳裏に。私の不注意でせっかくの彼の好意が逆に失点になってしまったか、と思ったのです。

 
ダイバーズウオッチは黒の文字盤がスタンダード
ダイバーズウオッチは黒の文字盤がスタンダード

ところが、トラーパニの口から出た言葉は意外なものでした。

「これは違反だよ。ダイバー・ウオッチは黒の文字盤でないといけないんだ。」と200メートル耐圧を謳う時計は光の薄い深海でも文字が良く見えるように世界共通ルールでそのようになっているとの説明。肝心の?ネームには、「それはよかったね」とおおらかな笑顔。ホッとすると共に、それ以来、私の時計に黒の文字盤がつけられることは一度もなく、ずっと “違反時計”のまま。ひょんなことから社長公認の世界唯一のネーム入り時計となりました。

◇2つ目の事例は、横綱の昇進祝い

 

 

 往時の相撲界を席巻した若・貴人気。何をしてもマスコミは大騒ぎ。二人とも若かっただけにファッションの流れに敏感で、紀尾井町に東京店がオープン以来、しばしば来店してくれました。貴ノ花がプレゼントしたリングがTVで「ブルガリ」と放映されるや、まさに燎原の火。日本におけるその後のブルガリのブレイクは若・貴から始まったと言っても過言ではありません。

東京店での若乃花関と筆者 (98.10)
東京店での若乃花関と筆者 (98.10)
 同、横綱昇進祝いのアルミニウム時計
同、横綱昇進祝いのアルミニウム時計

 貴乃花は95年1月に65代横綱に昇進。ブルガリから足が遠のきましたが、若乃花は愛用のメルセデスを自ら運転して相変わらず東京店通いが続きました。弟に遅れること3年半。晴れて98年7月、66代横綱に。長年のご愛顧と昇進お祝いに贈ったのが人気沸騰のアルミニウム時計。名前入りと独特の文字体にイタリアと一悶着。それを勢いに任せて強引に押し切った2例目でした。

 

 

◇画期的な時計「ソロテンポ」がデビュー、発売日の早朝から長蛇の列

 

開店前の日本橋・髙島屋に長蛇の列。インショップがある他の百貨店も同じ。ブルガリが満を持して97年6月に発売した時計「ソロテンポ」は想像以上に大きな反響を呼びました。

 

97年8月27日付日経流通新聞・ヒット分析・<伊・ブルガリの腕時計「ソロテンポ」 予約待ち1000個以上>というタイトルの記事を以下抜粋します。

 
「ソロテンポ」発表会(97.5)
「ソロテンポ」発表会(97.5)
同、時計
同、時計

<<「ソロテンポ」は97年6月の発売からわずか一カ月の間に日本国内だけでも予約を含めて約1,500個が売れた。予想をはるかに上回る人気に生産が間に合わず、8月中旬現在で予約待ちが1,200個以上という状態だ。発売前から反響は大きく一部ファッション誌に発売の告知広告が掲載されると、各店舗には問い合わせの電話が殺到。発売当日は各店で開店前から行列ができ、整理券を配ったほどだ。インショップのある百貨店でも開店前から客が並び、東京・日本橋の髙島屋東京店などではわずか一時間半で完売したという。(以下略)>>

「ソロテンポ」は若い消費者にもブルガリの良さを知ってもらう意図のもと、価格を抑え、ブランド入門のための製品と位置付けたものでした。製作の手間とコストを抑えながら、品質・デザイン・価格とブルガリの魅力を十分に揃えた結果、いつかそれを手に入れたいと考えている人々の心にマッチしてこの大ヒットとなったのでしょう。

 

 一般紙にも数々取り上げられるなど、業界ではブルガリの<14万円時計>の話題で持ちきり。ジャパン社の歴史の中で、華やかなスポットライトで輝いた一時期でした。(続く)

 

 

2014年5月

 

                    深 江  賢 (ふかえ たかし)