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ブルガリと私の回想録 21

 幻と消えた日本を代表する時計メーカーとの業務提携

 

― わずかミリ以下の厚さの差が最後のネックに ―

メカ時計が「革新」を謳ったブルガリの泣きどころ 

96年になって間もなく、本社のプロダクション担当のトップから電話があり、日本のS社の工場を見にゆくことになったので、同社の誰某と連絡を取って欲しいと言ってきました。まさに寝耳に水とはこのことで、逆に直ぐにその方よりコンタクトがあり打合せをして分かったことですが、ブルガリがS社の新開発のメカ機構に興味を持ち、メカそのものの供給を含む業務提携を打診して水面下で話が進んでいたとのことでした。

 

 

 銀細工師から創業して、世界のトップ・ジュエラーの一角を占めるようになったブルガリは早くから宝飾時計をラインに加え、さらに腕時計へと展開していったわけですが、すべてがクオーツでオートマティックなどのメカを駆使したものはジャパン社発足時の90年代初めでもまだ登場してなかったのです。これが若いトラーパニ社長の宝飾と時計の両輪を軸にした拡大戦略の中での泣きどころで、何とか自前のメカ機構を装着した時計を天下に発表し、スイスはバーゼルの時計フェアに大きな顔をして「時計メーカー」としてブースを構えたいところでした。常に「革新」を謳いながら、次々とメカ時計を発表する世界の時計ブランドの後塵を拝していたわけです。

スイス・バーゼル時計フェアでの筆者(99.5)
スイス・バーゼル時計フェアでの筆者(99.5)

 一方この頃日本では、芸能界や有名スポーツ選手の間で華やかな話題になり、業界の寵児となっていたブルガリの存在は、「機能は一流だが・・・」との世評のS社にとって、ブルガリとの業務提携のメリットは十分にあったはずでした。

 

 

◇最初のメカ時計「Plastic & Gold Watch」は超レアな存在

 

メカ時計ではブルガリは色々試みはやっていました。その一つが後々オークション市場で売出し価格の十数倍の値がついて話題を提供することになった93年登場の 初のオートマティック時計「Plastic & Gold Watch」でした。

 
93年限定発売のPlastic & Gold Watch    (ROMA 003/999)
93年限定発売のPlastic & Gold Watch    (ROMA 003/999)

いかにもブルガリらしく、代表的なモデルをそのまま踏襲した黒のプラスティック・ケースに純金の3針と文字盤、シースルーの裏には金色のメカが見えているという瀟洒な作り。そのうえショップの在る都市名を文字盤に入れて限定を示すナンバーつき。日本ではショップ間のバランスから、都市名を使わずに「Giappone」(イタリア語で日本)を入れ、1,100個の限定でした。

 

更に<らしい>のは、いきなり市場に投入せず、販売促進用として、世界の各店が顧客だけに声をかけて注文を取り販売するという凝りに凝った限定発売をしたもので、その破格の価格と併せて、取り合いになったのも、また、いつまでもオークション市場を賑わしたのも当然だったでしょう。

 

◇上諏訪の工場訪問、あとの旅館でひと騒動 

 

 同年3月、この提携の詰めで来日したのが、上述のプロダクション担当上席副社長のアンドレア・モスキーニ、時計部門統括マネージング・ディレクターで私と職責上同格のミシェル・シャントール、時計技術部長ピエール・ベサーナの3人。いわばブルガリの時計製造部門の幹部が集結した形で、いずれとも旧知の仲、本社でよく打合せをしたり、食事をしたりしている仲でした。

 

 早速翌日は上諏訪に出張。工場で幹部同士のミーティングの後、精密機械用防塵作業服に着かえて工場見学。こちらは同伴だけで技術的なことはわかりませんが、彼らの目を瞠らせる工場であったことは確かです。

上諏訪の工場訪問1(96.3)
上諏訪の工場訪問1(96.3)
上諏訪の工場訪問2(96.3)
上諏訪の工場訪問2(96.3)

上諏訪の工場訪問3(96.3)
上諏訪の工場訪問3(96.3)
旅館での会食後のひととき
旅館での会食後のひととき

その夜は諏訪湖畔の温泉宿が手配されており、旅の疲れを癒すことになりましたが、なにせ純日本式の旅館。それぞれが部屋で浴衣に着かえ、いざ温泉に、という段階で大騒ぎが持ち上がりました。アンドレアが真剣な顔で私の部屋に掛け込んで来て、「タカシ、ヘルプ! メイドさんを何とかしてくれェ」。宿の担当仲居さんは、いつものように、丁寧に着ているものを脱がせ、浴衣を着せようとしたわけですが、これがアンドレアには青天の霹靂。女性に着衣を脱がされる上に、下着姿で女性と正対するなんて! と逃げてきたわけでした。

 

 このアンドレアは2メートルを超す上背で恰幅もある大男、そのうえ見かけによらず気立てが優しいナイスガイ。会ってハグをする時など、小柄な私がすっぽりと彼の両腕の中に包み込まれてしまうような有様で、傍から見ればさぞケッサクな光景だったことでしょう。私が引退してからも、彼が他社のジュエラーに異動後、日本展開について相談を受けたり、来日時に会ったりで、コンタクトが続いているのは嬉しいことです。

 

 

◇メカの厚さが合わない!

 

 この工場見学を機に纏まる方向に進むと見えた話でしたが、持ち帰ったサンプルのメカ機構がブルガリの想定している機種に、男性用はピッタリながら、女性用が少し厚くて合わないことが判明しました。色々経緯もあったようですが、最終的に、ブルガリはケースを厚くすることは出来ない、S社側も目一杯の薄さに仕上げていてこれ以上は不可能ということで、ひとまずこの話は保留と言うことになりました。

 

 その後、ブルガリは03年、私の引退の少し前にダニエル・ロート社、ジェラルド・ジェンタ社というスイスでも有数のメカ時計会社を傘下に収め、長年の泣きどころを克服。今では先行ブランドと引けを取らない「時計メーカー」を謳えるようになって、S社との話は永遠の幻と消えたのでした。(続く)


2013年11月

深 江  賢 (ふかえ たかし)