NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

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特集記事 ANA

ブルガリと私の回想録 19

「シアター型メガ・ショップ」大阪店の誕生と終焉

 

― ブランドイメージと経営効率をどう共存させるかは永遠の課題 ―

 

トラキチの縁から生まれた旗艦ショップ候補地の最優先チョイス

2階から俯瞰したショップ
2階から俯瞰したショップ
入り口付近からのショップ全景
入り口付近からのショップ全景

2階売り場からショップ全景を俯瞰するように15段の階段を降りると、そこは広々としたメイン売り場。更に奥には半地下の売り場とカフェコーナー。巨大な9m余の吹き抜けと半地下をフルに生かしたショップで、正面入り口から見るとパノラマのように広がる美しいショップデザイン。実に顧客をシアターの舞台に立って観客席を見渡すような感覚にさせるブルガリの大阪店でした。


優勝祈願ダルマに目を入れたばかりの筆者(03.9)
優勝祈願ダルマに目を入れたばかりの筆者(03.9)

順調にショップ網を拡大してきた私には、大阪に路面の旗艦店を作る課題が残っていました。ブランド店が次々と出店する新開発の地域は大阪出身の私には、高級品の売れる「匂い」の無いところばかり。そんなところへ02年頃、旧阪神電鉄から西梅田再開発計画の話が持ち込まれ、熱心な担当部長の話で強く惹かれた点がありました。ビルの地階から2階まで三層吹き抜けという今まで聞いたこともない構想と761m2(旧東京店は654m2)という広さ。これにはイタリア本社も大乗り気となったのです。担当副社長(当時)に会うと、何と同じ神戸の中高一貫校の2年後輩で、野球部で私の親友に散々しごかれたとか。更にこちらが甲子園在住で「職業野球」時代以来のトラキチとあれば、話がトントン拍子に進まないはずはありません。競合する数社を差し置いて、最優先チョイスで選んだのがこのハービスエント大阪の西側の一角でした。

 

 

通りに面した大阪店正面
通りに面した大阪店正面
代表的時計「ブルガリ・ブルガリ」を模した時計台
代表的時計「ブルガリ・ブルガリ」を模した時計台

旧大阪店での貴重な体験、強もてクレーマーとの電話対決

大阪ヒルトンプラザにあった旧大阪店は、前社からの引き継ぎ事情と地域性もあって、ジャパン社発足後数年ほどは何かと課題の多いショップでした。いずれも問題発生時における店長の対処姿勢がポイントでしたが、実は私自身もそれで在任中一度限りの貴重な経験をすることになりました。

 

店長から禁断の役員席への苦情電話の転送。逃げも出来ず受話器をとると、

「おまえ、誰や? 専務? おまえんとこは客をナメとんのか。ワイが言うとることのどこがアカンのや!」 いきなりわめき声です。苦情対応の基本中の基本で、徹底して聞き役に。相手を意識して大阪弁で相槌と合いの手を打っているうちに、だんだん相手のトーンが変わってきました。ブランドトップのイメージは当然スマートな東京人。勢い込んで突っかかった相手にコテコテの大阪弁で喋られては肩スカシもいいところだったのでしょう。そこからは思いもかけぬ浪花節の世界が展開。「今度大阪へ行ったらご挨拶させてもらいますワ」で一時間ほどのやりとりはチョン。運良くクレームも最終的に収束しましたが、これで大阪店を抜本的に改革するハラが固まりました。

 

 

大阪ヒルトンプラザにあった旧大阪店は、前社からの引き継ぎ事情と地域性もあって、ジャパン社発足後数年ほどは何かと課題の多いショップでした。

いずれも問題発生時における店長の対処姿勢がポイントでしたが、実は私自身もそれで在任中一度限りの貴重な経験をすることになりました。

 

店長から禁断の役員席への苦情電話の転送。逃げも出来ず受話器をとると、

「おまえ、誰や? 専務? おまえんとこは客をナメとんのか。ワイが言うとることのどこがアカンのや!」 いきなりわめき声です。苦情対応の基本中の基本で、徹底して聞き役に。相手を意識して大阪弁で相槌と合いの手を打っているうちに、だんだん相手のトーンが変わってきました。

ブランドトップのイメージは当然スマートな東京人。勢い込んで突っかかった相手にコテコテの大阪弁で喋られては肩スカシもいいところだったのでしょう。そこからは思いもかけぬ浪花節の世界が展開。「今度大阪へ行ったらご挨拶させてもらいますワ」で一時間ほどのやりとりはチョン。運良くクレームも最終的に収束しましたが、これで大阪店を抜本的に改革するハラが固まりました。

 

最若年店長の誕生と同一店最長キャリヤへの成長

まずソノスジ専門の弁護士先生への依頼。そのご指導のもと、先生と主なショップをホットラインで結ぶとともに、講義やロールプレイなどを通じスタッフに自信を植え付けました。次は人事の一新。多少時間がかかりましたが、思い切って役職基準年齢に未達の若手を店長に指名することにしました。

 

その駆け出しの頃の話。時計ベルトが壊れたとの強硬苦情で、指定された場所に駆けつけた店長に、天照大御神の掛け軸と一対の象牙の置物をバックに、晒しを巻いた紋紋の若い衆を左右に従えたそのお客さまが「ここで付け替えろ」。

 

初めは作業の手が震えたがやり通したとのこと。彼女はこの強烈な洗礼に臆することなく、以降、名うての関西顧客を相手に15余年。最若年の店長はベテランたちのよきサポートを得て、今や同一店では最長の店長となっています。

 

最近では、業界でも札付きのクレーマーが、大阪店で「店長を出せ」

との常套セリフを叫んだ時のこと。スタッフに呼ばれてバックヤードから出てきたこの店長の顏を見たとたん、「オレ、帰るワ」

とそそくさと店を出て行ったという今だに語り草となっている逸話がありますが、そのキャリヤの中にはさぞ色々な体験が凝縮していることでしょう。

環境が激変

イメージより効率経営優先の流れに沈んだメガ・ショップ

06年、阪急電鉄による阪神電鉄の吸収合併から端を発して大阪北地区の環境が激変、さらにリーマンショックによる世界経済の破綻、日本の景気が落ち込む中で、自信を持って後輩たちに遺した大阪旗艦店は経営効率の観点から厳しい立場に立たされ、ブルガリのLVグループ参画を機に、この9月23日にわずか9年足らずで閉鎖コンパクトな新店舗に移転となりました。

 

芸術的な紀尾井町の東京店に続くこの大阪店の閉鎖は、私には5~60年代に隆盛を誇った華麗な大型アメリカ車が、わずか2~30年の間に効率優先の日本車に取って代わられた運命と重なって見えてきます。創業以来120数年、ブルガリが企業ヴィジョンとして追い求めた「プレステージの高いジュエラー」というイメージは、如何にブランドビジネスといえども効率経営に優先しない、という時代になったということなのでしょう。

「LVグループへの参画でファミリー企業としては終焉を迎えた」ブルガリ社の背景の一端が見えるようです。

ラグジュアリービジネスに携わる社員の「心の豊かさ」の重み

ブルガリのVIP顧客でも、特に大阪の顧客は新しいもの好きで、何でも一番が大好きとか。オープンから1年を過ぎても接客待ちの顧客が絶えず、スタッフ連日の残業で残業代が基本給を超えていた由。「何といってもこの大阪店は世界の店の中で最高よ」と口々に言っては、長い時間ショップにいるのを楽しむ方々が絶えなかっただけに、この閉鎖のショックは大きいはずですが、「お客様の言葉とこのショップの姿をしっかりと胸に刻み、誇りを持って新店舗に移りたい」と言う店長・スタッフたちの心意気。喝采!!です。

掲げたヴィジョンを追求する中で、その顧客層にふさわしい社員をつくるために、「顧客」より「社員」を大事にし、充実した会社生活による「心の豊かさ」から自然に生まれる社員の「笑顔」を期待したブルガリ。

これこそラグジュアリービジネスの真髄でしょう。

90年代の大躍進はこの純粋な姿勢あってものであり、その真ん中に身を置いたことは何にも代え難い最高の経験でした。ただ私には富裕層の世界は、時代を、先進国・後進国を、更には国体や主義を問わず存在するもので、それほど単純ではないような気がします。いずれまた、このブルガリの姿勢が優先される時が戻って来るのではないでしょうか。(続く)

 

 

2013年9月

深 江  賢(ふかえ たかし