NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

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ブルガリと私の回想録14

イタリア大使館をめぐる話題あれこれ

 

― 人生最高のハプニング、両陛下との夢のような時間も体験 ―

 

 

◇大使館は大使公邸、治外法権の、いわば「外国」

 

 

イタリア大使館は伊予松山城主・松平隠岐守のお屋敷跡にあり、広々とした庭はうっそうとした樹木に囲まれ、その奥には池、築山を配し、典型的様式を備えた有数の名園と言われています。1703年3月20日、江戸幕府の命により大石主税など10名の赤穂浪士が切腹した終焉の地として知られ、1939年、当時の大使によって碑が建立されて以来、命日には歴代イタリア大使により供養が行われているとのことですが、そのたたずまいは周りの高層アパート群から視界が完全に遮断され、まさに都会のオアシスと言える存在です。

 

 イタリア大使館中庭
イタリア大使館中庭
同・奥の池と築山
同・奥の池と築山

とは言うものの、ここは治外法権の「外国」です。それ故に、この場所で、私にとって人生最高のハプニングや、数々の体験をすることになります。

 

 

◇イタリア大統領主催のレセプションでの、長い、長い3分間

 

イタリア共和国オスカルルイージ・スカルファロ大統領が国賓として98年4月に来日、天皇陛下・皇后陛下の公式行事に対しての答礼レセプションを催されることになり、私たち夫婦は在日イタリア商工会議所(以下ICCJ)メンバー企業として招待されました。

スカルファロ大統領主催のレセプション招待状(98.4)
スカルファロ大統領主催のレセプション招待状(98.4)

 

我々がお待ちする所に、両陛下はじめ皇太子殿下や直系の皇族方がご到着。ところが、なんと、なんと、大統領と挨拶されるや直ぐに分かれて、我々の中に入ってこられたのです。

 

それもガードなど一切なしで、です。日本人の常識として、やんごとなき存在であり、勲章の授章式や園遊会でのご様子をTVで拝見しても、常に一定の距離を置くべきと心得ていただけに、先ずこれが大きな驚きでした。メインゲストがホストに挨拶した後は、ホスト側の友人たちに挨拶するという欧米ではごく自然のスタイルをお採りになったのでしょうか。

私たち夫婦のいた方には、天皇陛下と皇后陛下が別れてそれぞれ入ってこられ、立ち止まって一人一人と声を交わしながら進んで来られました。私たちは皇后陛下の方向の丁度5、6番目くらいでしたか、順番はあっという間でした。おそらく、そこの皆さんも何を話していいか判らない方が多かったのではと思いますが、とにかく「ブルガリと言う企業で仕事をしております深江と申します」と自己紹介をしました。が、ここから驚きの展開となりました。



「どのような仕事ですか」

(ローマに本社があるジュエラーとのこたえに対し)

「ローマといえばアッシジの地震(97.9.26)で被害はなかったですか」

(崩壊した聖フランチェスコ教会の話をし、一方、ローマは殆ど影響なしとおこたえしたあと、

  家内を紹介、関西出身と申し上げて)

「関西はどちらですか」

(家内が神戸とおこたえして)

「神戸も地震は大変でしたね」

(家内が、妹が被害に遭ったとお話しして)

「それはご心配でしたね」



記憶だけですが、ほぼこのような内容。あのゆったりとしたお語り口と、更には、思いもかけぬご質問にお答えしているうちに、エアポケットに入ったように周りから遊離。後ろに待つ他のゲストの方々に申し訳ないと思いながらも、恐れ多くも皇后陛下を独占させていただいた実に長い、長い3分間でした。このあと、天皇陛下とお話しする機会もあり、同じように自己紹介と家内を紹介させていただきましたが、圧倒されてと申していいのでしょうか、我ながら硬くなったものの言い方で、ご挨拶だけに終わりました。


それにしても、両陛下と、同じ目線で、このような会話が出来るなんて、戦前生まれの私たちには夢のようなひととき、天にも昇る心地でした。

 

 

◇大使館との蜜月時代

 

ブルガリは90年代後半からの急成長期に、次々と催す大型店舗や新製品のお披露目会には、大使のお時間をいただくように大使館の担当の方におそるおそるお願いしたものですが、99年の大使異動に際し、アントニオ・ベルナルディーニ事務局長が着任されてからは状況が一変しました。新任大使のご意向として 有力企業との取組みを通じて 在日イタリア企業の活動を促進したい旨の提案があり

こちらとしても勿論願ってもないこと、実に磊落なメネガッティ大使のお人柄のもと、フットワーク良く、フレンドリーな事務局長の差配で、02年末までブルガリはまさに蜜月時代を迎えます。


ICCJガラデイナー&コンサート舞台での筆者左2番目     (02.11)
ICCJガラデイナー&コンサート舞台での筆者左2番目     (02.11)
新パフューム発表会来賓のメネガッティ大使と筆者(02.2)
新パフューム発表会来賓のメネガッティ大使と筆者(02.2)

 

まずはICCJの活性化として、あまり目立たなかった活動を大幅にスポンサーを募ることにより規模を拡大。例えば、年末のディナー会は、一流ホテルの会場、ブラック・タイのドレスコードで、表彰式や抽選会、更にはブルガリが冠スポンサーとなったコンサートなどでガラ・ディナーとして衣替え。

 

また大使ご自身も各企業のイベントに活発に足を運ばれる一方、公邸を開放と言ってもいいほど企業に提供されました。ブルガリも、回想録13記載の<ブリリアント・ドリームス・アワード>を全面的にサポートいただいたことをはじめとし、基幹ショップやホテルなどでの殆どのイベントにはご来場いただき、「ブルガリのイベントにメネガッティ大使あり」を強く業界に印象付けたものでした。

 

 

◇東京タワーがイタリアの三色旗カラーにライトアップ

 

同・イタリア国旗3色に輝く東京タワー(01.2)
同・イタリア国旗3色に輝く東京タワー(01.2)
日本におけるイタリア年プレビュー・ステージのブルガリ点灯ボタンと筆者(01.2)
日本におけるイタリア年プレビュー・ステージのブルガリ点灯ボタンと筆者(01.2)
同・発行された記念切手(01.3)
同・発行された記念切手(01.3)

 

 

01年には日本国とイタリア共和国間で<日本におけるイタリア年>が設定され、3月より1年間、各方面でいろいろな事業が行われました。その発足式と言うべき2月8日夕の東京タワー展望台でのプレヴューには、大使、イタリア政府外務次官、関係企業などが集まって記者会見。

 

ブルガリもICCJの一員として協賛企業に名を連ね、ステージでBVLGARIマークの点灯スイッチを押す4人の中の一人に選ばれたのは光栄でした。かくして東京タワーはイタリアの三色旗のカラーにライトアップされ、時間表示も2001となってこれも3色でした。


この大使館に関連して、はからずも私は05年にイタリア共和国の叙勲の栄に浴しますが、これについては稿を改めたいと思います。(続く)

2013年4月

                    深 江  賢(ふかえ たかし)