NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

編集長 永澤洋児
深江賢に聞く~回顧録スペシャル~
洒落おやじの青春取材記 工藤
特集記事 ANA

ブルガリと私の回想録 1

「決算は赤字でもコミットしたことを実行したから評価大だよ」

 

 欧米での「コミットする」という言葉の“重さ”を知る


弱冠33歳の社長トラーパニが

ブルガリを一挙に開花させる

 月次決算に慣れきった商社マンにとって、ブルガリ ジャパン社の代表として初年度決算を報告した時に、イタリア本社社長フランチェスコ・トラーパニから発せられたこの言葉はまさにど肝を抜くものでした。バブル崩壊のあおりをまともに受け、設立前に作った事業計画と全く逆の赤字となり当然の叱責を覚悟していた時のことです。

確かに発足の年に、巨額を投じた紀尾井町の600㎡に及ぶ大型旗艦店の完成と、秋の新商品の世界同時発表に皇族をお招きしての披露パーティの実行という二大事業を無事済ませたことは稀有の幸いでしたが、当時はまだ商社出向の身分、理由の如何を問わず決算の赤字は論外という中でのこの言葉。実に衝撃的でした。

912月にブルガリジャパン社が合弁企業として設立され、その代表者として着任、3年後の転籍を経て13年。発足時ほぼ無名の存在であったブルガリというブランドが曲折を経て90年代後半には知らぬ人が無いほどの存在になりましたが、この企業にのめり込むキッカケはこの一言だったといって過言ではありません。

 

ブルガリは1884年イタリアで創業。ギリシャが発祥でブランドのVにその名残りがありますが、70年代まではローマ店一つだけ。ハリウッド映画スターやロイヤルファミリー御用達のまさに知る人ぞ知るジュエラーでした。それがファミリー3代目のパオロとニコラのブルガリ兄弟の甥にあたる当時27歳のトラーパニが85年に社長に着任以来、一挙に拡大戦略に転換、欧米は勿論、アジアにも進出。ジャパン社の設立もまさにその軌道上にありました。

            トラーバニと私               (在日イタリア商工会議所夕食会2000年11月)
            トラーバニと私               (在日イタリア商工会議所夕食会2000年11月)

それにしても、これほどの伝統のあるジュエラーで、長年陣頭指揮をしてきたトップ二人がファミリーの一員とはいえ、いわば若造に社長業を譲渡したとたん一切口を出さず任せっきりにするその潔さと、また引き受けて直ちに平然と経営戦略の大転換をやってのけるトラーパニという若い社長に惹かれ、ひいてはブルガリというファミリー企業の奥深さに強い興味を持ったことでした。

 

「コミットする」という意味
 欧米で「コミット」という言葉は、識者によれば「神様と約束する」ということに由来しているそうで、そういうことならば、和訳の単に「約束をする」ということ以上の重みがあるのは当然と理解できます。

発足したばかりのジャパン社がグループ経営のカギとなるべき二大事業の目標を「コミットした」通りに設立年度内に成し遂げたことは、若く意欲満々のトップにとって画期的なことだったのでしょう。この「コミットした」ことの達成は多くの人に支えられて出来たことではありましたが、その後トラーパニとの距離は一挙に縮まり、ここという時は直談判できる関係にまでなったのは有難いことでした。

その後経営の色々な局面で「コミットする」ことを期待されることになりますが、立場の二面性から「コミット」については必要以上に意識して行動するようになったものです。

その一面は、ジャパン社のトップはイタリア本社に社長や部門のボスを持ついわば中間管理職であるわけで、もう一面は、国内で企業トップとして取引先、更にはメディアや業界の外部や、また社内に対して発言する立場であるということです。

社内外に「コミットした」ことが後で本社から異なる指示を出されたり、否定されて訂正を表明しなければならなくなったりすると立場上とんでもないことになるわけで、これについては常々いわゆる“根回し”を慎重にして本社からの後ろ盾を確保するとともに、逆に、部下が外部や取引先に「コミットした」ことを、多少のフライングであっても出来るだけ覆さないように留意し、ひいては、それが結果的にHO-REN-SOを促進して社内の風通しに貢献するという効果をもたらしてくれたことでした。

 それにしても日本で公に「コミットした」ことが覆されたり、履行されなかったりのケースが頻繁に見られますが、私どもは子供の時から「約束を守る」ことは両親から厳しく教え込まれてきたはずです。おそらくこの「コミットする」という和訳が「言いっ放す」ということになっているのでしょうか。

 

 深江 賢(ふかえ たかし)
 深江 賢(ふかえ たかし)

ブルガリ大躍進の背景
 ブルガリの90年代の大きな躍進には、天の時、地の利、人の和という典型的な運の三要素が見事に味方をした結果でした。まずはバブル崩壊の日本より欧米の回復が予想以上に早かった経済の流れ。次に第2次ブランドブームとして日本の消費市場が世界で大々的に注目を集めてゆく時期ということではありましたが、何といっても「人」がその最も大きな要素でした。

私の13年の在任の中で、内外の「人」に恵まれ、そのお陰で業務を全うできたことに想いを馳せ、今後それぞれに焦点を当てながら、記憶に残ることを思いつくままに記してみたいと思います。                   <続く>