NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

編集長 永澤洋児
深江賢に聞く~回顧録スペシャル~
洒落おやじの青春取材記 工藤
特集記事 ANA

ブルガリと私の回想録 20

たかがゴルフ、されどゴルフ


― 今も続く、多方面に広がるゴルフ仲間の輪 ―

 

ブルガリBOF(Board of Fame)の発祥

ここに縦25cm横30cmという一枚の純銀の大皿があります。ブルガリ・ゴルフ部の栄光の優勝プレートで、私の在任中は役員室の飾り棚の真ん中にいつも鎮座していました。

 

ブルガリ創業の基盤である銀器は伝統的に基幹ショップに各種1セット常備となっていましたが、ジャパン社発足当時の日本顧客は殆んど無関心。さらには純銀ゆえに黒く錆び易く常時磨きが必要という存在でショップ泣かせになっていました。しかも丁寧に磨かなければ細かい傷がつき、商品価値は下がる一方です。遂にハラを決めて、日本の多湿気候を理由に本社に返品交渉し成功。その中でキズ多く拒否されたのがこれでした。帳簿コスト約30万円。社員に引き取り打診をしても誰も手を上げる者などなく、最終的に福利厚生扱いでクラブに付与したもので、本来はどこかの豪邸のサイドボードに納まるべきこのプレートの運命が、全く別の場で脚光を浴びる形になったのでした。

 

BOFのネーミングはMLBなどのHall of Fame (栄誉の殿堂)を意識して名付けたもので、我ながら上出来と自画自賛。ここには1993年7月の第1回のゴルフ部会を皮切りに、歴代20名の優勝者名と日付が刻まれ、別注の2枚目プレートも2012年8月現在で19名を数え、ここに名前を刻むことがOB・現役を含めゴルフ部員の大きなインセンティブとなっています。


ゴルフ部の優勝プレート・Board of Fame
ゴルフ部の優勝プレート・Board of Fame

極のゴルフ会―BOFオープン、今も続くOB・現役の交流

川奈ホテル&リゾートでのゴルフ部会(00.5)
川奈ホテル&リゾートでのゴルフ部会(00.5)
同優勝してBOFを掲げる筆者(00.5)
同優勝してBOFを掲げる筆者(00.5)
ゴルフ部会後の歓談・ドア担当マンと筆者(太平洋クラブ白河コース02.8)
ゴルフ部会後の歓談・ドア担当マンと筆者(太平洋クラブ白河コース02.8)

ゴルフ部の活動はなかなか活発で年に最低2回開催。1回は日帰りですが、もう1回は必ず泊まりという形をとりました。LACでの高級旅館の利用(回想録15)にも共通することですが、私は社員が個人では容易にできないことを会社援助で可能にするのは福利厚生の実であり、更には求心力UPに繋がるとして、クラブ活動は泊まりによる「前夜効果」を奨励しました。また部員には正社員だけではなく、雇員という立場のドア担当や電話担当まで同じ様に遇したことがささやかな私の誇りでした。この方たちはトップエアラインの元機長とか、日本の代表的宝飾店の元皇室担当役員とか、一部上場企業の元事業部長とか、また百貨店の元グループ長で今は裕福な家庭の奥様とか、このような仕事にはもったいないような履歴の方たちでしたが、ブルガリでそれぞれの定年後の業務を気分良くこなしていただきました。またゴルフにかけては皆さん赫々たるキャリヤの持ち主で、元機長氏とニギってはよくカモられたものです。もちろんプレートにも女性を含め何人かのお名前が残っています。

 

私の退任後、数年してクラブ活動への会社援助が打ち切られました。その間でも個人的な交流は続いていましたが、昨年に中堅幹部である現役ゴルフ部長よりOBに対し、栄光のプレートを活かしたゴルフ会復活の提案があり、ジャパン社に本拠をおいたゴルフ会を<BOFオープン>として再発足しました。創業当時のOBと接点のない若手とも交流の場ができたのは喜ばしい限りです。

 

◇ブルガリ・ゴルフ部は商社スタイル!?

 

私が60年に入社した頃の伊藤忠は繊維商社から総合商社へ脱皮しつつある頃で、非繊維部門拡張の大号令。屋台骨を背負ってきた繊維部門は当然反発してナニクソというわけで、配属された先の繊維部門は何が何でも商売最優先、当時はやり始めたゴルフなどは格好の道具でした。さすがにマナーやルールは厳しかったですが、得意先とのゴルフでは、ニギる(賭ける)ことで相手に自分を印象づけるように、ゴルフ駆け出し時からボスに指導されたものです。

 

真当なゴルフ人から見ればケシカラン動機で始めた私のゴルフ。ブルガリではまさに当時とは逆の立場になり、<純な>ゴルフ部員たちを「ゴルフとは」とゼロから指導することになりました。おかげでOBになった今も元部下たちと飲むたびに、「月曜の朝一で役員室に呼ばれたので仕事のことかと思って駆けつけたら、ゴルフ会のアレンジが不十分だの、進行の仕切り方が悪いのと大目玉を食らった」といまだに絡まれています。ただ私の時と異なり、生きのいいブルガリの若手たちには、最初こそ大きなハンデをつけていたのが、あっという間に立場が逆転。スクラッチでもこちらが勝てなくなりました。

 

◇「マンシングウエアレディース・東海クラシック」の優勝副賞を提供

 

30年以上の長い付き合いの伊藤忠後輩の役員が株式会社デサントに社長含みで入社、ささやかなお祝いの会食をした時に、同社が東海TVと共催の女子プロトーナメント優勝者への副賞提供の話が出ました。その背景は前年の副賞が小型トラクターとかで、「なにこれ!?」という思いだった由。実はブルガリグループの快進撃の起爆剤となった紀尾井町の東京店は、彼の大学同期がオーナー社長のゼネコン物件をお世話願ったもの。ゴルフには否定的な本社でも異論を唱えるまいと即OK。翌01年から06年まで、金のブレスレット時計を優勝者に提供し、女子プロの間で大人気でした。表彰式では時計が描かれたボードを優勝者に晴れがましく手渡したものです。在任中の優勝者は01年から順次、茂木宏美、藤井かすみ、不動裕理の各プロ。ボードを手渡すのはPR効果は勿論ですが、小さな高級品は現場では紛失、盗難のおそれがあり、デサント社のアドバイスで、シーズン終了後、東京店で優勝プロに改めて贈呈しました。

マンシングウエアレディース・東海クラシック01年大会優勝の茂木宏美プロに副賞授与(涼仙GC 01.9)
マンシングウエアレディース・東海クラシック01年大会優勝の茂木宏美プロに副賞授与(涼仙GC 01.9)
同03年優勝の不動裕理プロに東京店で副賞の実質引渡し(04.1)
同03年優勝の不動裕理プロに東京店で副賞の実質引渡し(04.1)
同プロアマ大会3位入賞の中野晶プロとそのメンバー(00.5)
同プロアマ大会3位入賞の中野晶プロとそのメンバー(00.5)

このおかげで直前に行われるプロアマ競技に何度か招待され、女子プロたちと知己を得ましたが、その中で強く記憶に残るのが01年に同チームになったベテランの中野晶プロ。プロアマで我々のチームが3位に入賞、本競技ではあと一歩の同プロが、そのシーズンの最終公式戦LPGAツアーチャンピオンシップで見事優勝されたことでした。

 

私にとってのゴルフとは

 

世の中のゴルフに関する数多の言葉はさておき、一つだけゴルフについて申せば、私は「ゴルフとは仲間とのコミュニケーションのツール」と割り切っていることです。欧米のカントリークラブとは異質のわが国のゴルフクラブで、クラブライフへの期待はハナから放棄。私は常に原則4人セットで行くことにしており、あとはどれだけそのような場を増やせるかということを目指してきました。おかげでこの年になっても、同輩はもちろんですが、上下多方面にわたる方々とのゴルフをフルにエンジョイさせていただいています。(続く)


2013年10月

深 江  賢 (ふかえ たかし)