NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

フランス香水紀行・わたしの宝もの・第五章 編集部

わたしの宝もの        星谷 とよみ

わたしの宝もの・香水紀行 婦人画報(1994年5月号・掲載)
わたしの宝もの・香水紀行 婦人画報(1994年5月号・掲載)

終わりのない旅

それは自分の内面へ向かう旅。

折にふれ、あちらこちらへ揺れるものだから。

香りのコンパスが欠かせない。

この香りが好きだから、この香りの言葉をききながら内へ内へと旅をする。

私を幸福にするものは・・・・・そして、ついに知る。

私のトレゾァ(宝もの)のありかを。

 

ここに一人の女性の姿がある。

イザベラ・ロッセリーニ。

彼女は、イングレット・バークマンと、ロベルト・ロッセリーニの愛娘だ。

彼女はトレゾァ(宝もの)という香水を選び取る人生を生きてきた。

幸福を知るまでの不幸、感動に出会うまでの経験のストップを経て、香りが放つ芳醇な言語をいま使いこなす。

イザベラ・ロッセリーニ(女優)
イザベラ・ロッセリーニ(女優)

イザベラという女性の自画像を香りで描こうとした人がいる。

イザベラの心と体と知性をくぐりぬけ、結実した香水「トレゾァ」。

時を超えて結ばれた、穏やかな愛の香り。

 

イザベラは、朝に夕に香水を使う。

朝のさわやかな目覚め、新しい空気の中で軽やかな香りの花束、

トレゾァ オードゥ バルファンを。

ひるさがりに少し付け足し、夜には深い官能の歓びをもたらすバルファンを、その香りは彼女自身・・・。

香水を調香したソフィア グロイスマンは、これを、“抱きしめたい香り”といい、イザベラは“抱きしめられる香り”という。

宝ものがそうやすやすと手に入らないように、トレゾァ誕生のプロセスには、宝物探しにも似た試練とチャンスと奇跡があった。

‘83年年以来フランスを代表する化粧品会社ランコムのイメージモデルを務めていたイザベラは、すでにイメージというよりランコムそのもののイメージを体現する存在になっていた。

美の象徴であり、生きる輝きそのもの。トレゾァの開発は、イザベラを中心に始まった。イザベルの感性にかなう香水こそ今世紀から未来世紀に手渡す香水になるとの確信から始まった。

企業とモデルのこのような信頼関係は、現代では奇跡に近い。そして、もう一つ、こんなミステリーもある。

調香師、ソフィアは、ランコムからの依頼がくる三週間も前に、何故かイザベルの広告写真にインスピレーションを感じ香料の調合を思いついたという。

花と果実と、セミオリエンタルノート。

この基本は、その後、サンプルNo4の試験官に入り、三年間に及ぶテストにかけられる。その間、ソフィアに会ったこともないのに、イザベラは何十回のもテストで、いつもこのサンプルを選んできた。

この香りはいつも感動的な思い出をつれてくる。

この言葉には香りが編む歴史がこめられている。

イザベラの母、イングリット・バークマンは生涯一つの香水を使っていた。

母が生きた時間の続きを娘は生きる。時の流れを宝ものに変えて。

「ヨーロッパ人にとって香水は、自分自身の存在証明“私は、こうして、ここにいます”こういう私なんです“というのと同じ意味を持つもの。それが香水なんです」

イザベラ・ロッセリーニがランコムと共同作業で香水作りに参加できたこと。その仕事に三年の歳月を費やしたことを誇りに思うのは、香水が人間の存在を証かすものだという認識から来ている。

イザベラの感性が選択した香りは、多くの女性の普遍的な幸福感を表すものだった。‘90年代のいまを生きる女性が満たされる豊かで精神的な愛、穏やかに身を包む愛、感動する心を失わせない何か・・・・。20世紀の終わりに差しかかったいま、21世紀の女たちにも受け継がれるであろう香り、それが、「トレゾァ」だった。世紀末、世紀初め、香水もまた時を超え、女性の暮らしや、生き方などの新しい指針となる。

今世紀初め、1910年、フランス・べル・エポックの夜明け、香水はクチュリエと結婚した、当時を代表する女優、サラ・ベルナール。

彼女のファッションの柔らかさ、コルセットから解放された自由、それが二十世紀のスタートだった。

ファッションが女性の生き方に大きな影響を与えはじめた。今では当たり前になったクチュリエと香水の同時発表がポール・ポワレによってなされた。ファッションと香水はお互いに刺激し合い、両方の市場は大いに隆盛した。こうして香水の二十世紀は華々しくスタートを切る。

その夜明けの前、後に美の歴史に名を刻む、二人の男が生まれている。

一人はフランソワ・コティ(1876から1934年)フランス南東部コルシカ島生まれ、そしてもう一人が、アルマン・プティジャン(1884年~1970年)。

後にランコムを創始し、化粧品から香水にいるトータルな美をこの世にもたらした男。彼はフランスの北西、サオース県にうぶ声を上げた。

果実醸造を営んでいた生家は19世紀の動乱の中で財を失った。プティジャンはベルギーで商業学校を出るや、二人の兄とともに勇躍南アメリカへと旅立った。プティジャンの20世紀は南米で始まる。チリで三兄弟は、シャンペンから織物、機関車に至るまで幅広くヨーロッパ商品を購入し、流通させ、事業は隆盛を始めた。1914年第一次世界大戦勃発に際し、愛国一心のプティジャンは帰国する。彼の人生の夏が変わる。

事業の成功か、豊かな人脈と情報を彼にもたらした。

大戦後、アルマン・プティジャンは、ブラジル駐在フランス大使を務める。その後、1925年、フランソワ・コティ社のブラジル支店長へと乞われて転身する。二年で売り上げを三倍に。そしていよいよ、フランスへ。

プティジャンのブラジル時代は、彼にとって後世様々な事業展開の助けとなってくれる人脈の形成期でもあった。芸術家、科学者、政治家、・・・・。

プティジャンはコティ社の取締役を務めつつも、ここで初めて自分の能力に気が付く、微妙で繊細な芳香を識別し、さらに幾層にも重なる香水の香気を分析できる嗅覚を発見する、プティジャンは香水の魅力の淵へぐんぐん引き込まれていった。

フランソア・コティ没後、プティジャンは長年の夢となっていた自社を設立する。

1935年2月のある夜、設立メンバーの一人と、カフェで社名を検討していた折、美しいマダムが二人に話しかけてきた。

マダム・ランコム、公爵夫人であるその人は、ランコム家には自分のあと、後続者がいないので、これから生まれようとしているあなたたちに会社にぜひとも、私共の名を、使っていただきたいとの申し入れだった。ランコム社設立前夜の秘話である。

事業のスタートにあたって、プティジャンは五種の香水を発表。

詞のように美しいテキストには、プティジャンが長年あたためてきた香水への熱い思いがつづられてた。

プティジャンは妻と家族を愛し、そしてたくさんの恋をした。それぞれの個性と魅力を備えた女性たちへの賛美。恋愛こそ香水のインスピレーションだった。コティや、プティジャン・・・・。

今世紀前半、女性をこよなく愛し、香りでそれを表現した男たちによって、私たちはいま多くの香りを持つ。

 

香らせて語る「わたし」を持つ。

 

香水のうしろに、

愛し続けた男がいた。

繊細な「鼻」と豪快な野心で

美と、祖国フランスに情熱をささげ、

あふれるほど理知と人間味で、

女たちに夢を与え続けた男、

アルマン・プティジャン。ランコムの父・・・・。

 

星谷 とよみ

 

 

 

香りで戦う男たちの、心は、魅せる香り、引き付ける香り、女が、女である武器を女たちに、どう考えさせるか。

香りの美しさの裏には、男を抱き寄せるあやしい香りが存在している。

香りが織りなす、恋の駆け引きなのだ。

魅せる香り、取り込む体に、すりよせる躍る魅惑、

それが、男と女の恋の物語となる。

 

企画・制作・nagasawamagazine・永澤洋二

企画制作・ 婦人画報・1994年五月号掲載

フォトグラファー・大谷 裕弘