フランス香水紀行・・第11章 編集部
母なる香り 星谷 とよみ
鼻を唯一最大の武器として
私たちはこの世に生まれおちた。
鼻こそ命の方向指示器だ。
乳房のありかを察知し、そこが放つ香りをめざして、
私たちの第一歩があった
そこに香りの源としての、母がいた。
気が付けば、母は豊かな香りの海。
幸福という香りをいくつも与えた。
花、菓子、果物、日差し、海、風、膝の上、腕の中、
絹の夜着・・・・・・・。
ある日母を失い、私たちは、無香の家で迷子になる
そうして気が付く。
香りの豊饒に、香りの恩寵に。
星谷 とよみ

人類が香りに目覚め、香水を作り出し、それにさまざまな知恵と工夫を凝らし、あるときは富のすべてをかけ、あるときは、戦いもいとわず、香りを掌中に収めてきた歴史を見てきた。
国々の文化の違いがもたらす香水の使用習慣や好みの違いも見てきた。
香水を燃やしその煙に香りをかいだり、鉢でこね、花びらや香木片を干して香りをたたせた香り作りの足跡もたどった。
近代における香料の抽出技術、さらに合成香料の発見など素晴らしい未来を予見することもできた。
分かったことは、香りを見つけた人類はそれを一度も手放すことなく発展させてきたということ。
最終回にあたり、人間と香りの親密さを人生や暮らしの中で見つめてみたい。
いつしか自分の胸に焼き付いた香りがある。いつからだろう、なぜだろう。
香りの個人史をひもとくことが、香りの神秘と魅力にふれる近道になるだろ。
小指の先ほどのパンダの赤ちゃんが、生後すぐ巨大な「母さん大陸」を縦断するのを見たことがある。ピンク色のいかにもひよわな赤ちゃんは、必至だ。
母さんのおっぱいにたどりつけなったら、死ぬしかない。
赤ちゃんの唯一の武器は嗅覚、産後の母パンダの乳房はあまい香りを放つているのだろう、私たちとておお筋はおなじ鼻から人生の旅は始まる。
母さんの甘く優しい香りは、おそらく多くの人たちにとって最初のすりこみに違いない。人生の始まりのこのつかの間の経験を考えても、香りによって導かれた、やすらぎ、くつろぎ、満ち足りた幸福感などが、その子の記憶の辞書に収められることが分かる。
1993年1月20日、母、オードリー・ヘプバーンを亡くした息子、ショーン氏の香りの記憶の辞書を少し、見せていただきたくて、スイス・ローザンヌ市、郊外の、ヘプバーン低を訊ねた。

オードリーと香水にまつわるすてきな話がある、
1953年、20歳になったばかりのユベール・ド・ジバンシーのサロンに、眩しい夏の光とともに一人の妖精が登場した「麗しのサブリナ」の衣装デザインを依頼に訪れたオードリーに、ジバンシーは自分自身にとっての創造の女神を見、さらに世界を魅了する美の登場を感じた。
その後、ジバンシーは、オードリーの美の表現のすべてにかかわっていく。
1957年、ジバンシーは、彼女の神々しいまでの美しさに捧げる香水を創った。
名前は「ランテルディ」(禁止)オードリー以外は、使用禁止という意味である。


三十年ほど昔のこと、父、メル・ファーラー、母、オードリー・ヘプバーン、息子、ショーンの三人は何度目かの家さがしのドライブにでかけた。
おめあての家の前で、車を止め、やおら、母は車の屋根によじ登った。ぐるりと塀で覆われた館ぜんたいをみるために。母は邸内を一望し、歓声を上げたという。「いい匂い!ここに決めましょう」。
果樹の花が満開で、樹木のすべてが若葉を天に向けていた。1750年に建てられた古くはあるが、趣のあるこの館の前で、三人は花と樹木の香りの中にいた。
季節も家族も若葉のころだった。
夏の宵、母は外出の準備をしている。香水をほんのふた滴ほどつけて、お出かけ。香水は人のためでなく、自分のためにつけるのよ。自分が香りを感じることが大事なの。自己主張のために香水をつけてはいけないの。母は身支度を見守る坊や言うともなくつぶやいた。
秋は木の葉の匂い、焚火の煙の臭い、母が焼いてくれるパイの香り。
冬は家の中にくぐもった家族の匂い。蝋燭、オレンジ、木の実、フルーツケーキ、そしてクリスマス。冬は家族が離れて、過ごさなければならなかった時間のすべてを埋めてくれる。
母と一緒に過ごした最後のクリスマス。
母は、病床で家族みんなに囲まれていた。
清潔なベットに横たわる母から白い薔薇の香りが立ち昇った
「いちばん幸せなクリスマスよ」と、母が言った。
ユニセフの親善大使で行ったエチオピアのソマリアの飢えた子供たちへの思いは最後の日まで消えることはなかった。癌に侵されていることが分かってからもさらに熱心に活動をつづけたオードリー。
彼女の活動を支えていたものは、かって、自分自身も、第二次世界大戦かに難民だった経験に根ざしている。「多くの絶望があるが、少しの希望もある、だから忘れないで」オードリーは、私たちにそう言い残している。
ランテルディー「禁止」は解かれた。そして今、すべての女性がオードリーに捧げられた香水をつけることができる。ただし、オードリーのように高貴な精神の持ち主だけが。これこそ「母なる香り」。
ソマリアの赤ちゃんは、母さんの乳房にたどりつけない。
ルワンドのあかちゃんは、母さんの乳房を知らない。
いちばん不幸なことは、
人生の始まりに香りの記憶を持てないことだ。
オードリー・ヘップバーンは、そう私たちに言い遺して、逝った。
2018年一月号からスタートした「フランス香水紀行」今回で最終号を迎え、長い連載を終了します。
1994年一月「婦人画報」で、「フランス香水紀行」としてスタートを切りました。
NHK・BSで映像化され1993年一月三日に放送されました。
加藤和彦、安井和美、ご夫妻に取材をお願いして、一時間枠で放送されたものを、雑誌に移しての企画ものです・
テレビではそれほどの反響はありませんでしたが、雑誌では「フランス文化大賞」を頂き、好評の12か月でした。
僕も、フランスに同行して、取材に立ち会いました、
素晴らしい経験と、「香水」の深さを体験、フランス文化の奥深さに接して、最高の幸せを感じました。
20年前の「フランス香水紀行」婦人画報社のスタッフたち、編集長には大変お世話になりました・
そして、作家・星谷 とよみさんの、繊細で、感性の優れた文章に接し、その素晴らしさに、酔い、深く感銘を受けたことに、いま、感謝しております。
有難うございました。
企画・構成・nagasawamagazine・編集部
企画・制作・取材・写真・婦人画報社・編集部 ・星谷ともみ・永澤洋二
掲載・1994年・12月号 最終稿」