NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

フランス香水紀行・香水の住みか・第9章 編集部

香水の住みか         星谷 とよみ

琥珀色の液体を包むクリスタルの清冽。

瓶と液体はここに完全な一致を見せている。

が、液体はやがて、この高貴なまでに輝く、

クリスタルの家を出る運命にある。

香水としての生を放つために。

美しすぎて、ふたつは別れがたい。

                       星谷とよみ

 

 

 

 

 

女性・ラリック社三代の伝統を

創造する マリークロード・ラリック、

 

フランスガラス工芸界の

美しきリーダー。

左から、1922年ワースのための香水瓶、

 

1912年コティーのために制作されたラリックの第一号ヒット作品。

 

1927年ロジェ&ガレのために、

いずれもルネ・ラリック作品

マリークロード・ラリックの瞳の中に。

緑ひたたる拡がる植物園がひろがる、

光をうけて水は水晶のように煌めき、

千年のいのちを歌う樹木、果実、花々、

龍涎香、木蓮の花・・・・、百年のファミリーが

天体の感能力の許で結ばれ、宇宙の花束に抱かれる。

 

翡翠を想わせる高雅な香水瓶、1926年ルネ・ラリックの名品と、 キャロン社「クリスマスの夜」1922年バカラ製品
翡翠を想わせる高雅な香水瓶、1926年ルネ・ラリックの名品と、 キャロン社「クリスマスの夜」1922年バカラ製品

翡翠を想わせる高雅な香水瓶、1926年ルネ・ラリックの名品と、

    キャロン社「クリスマスの夜」1922年バカラ製品

 

マダム・クラランス・ズシェンヌ

 

子供のころに集めた千を優に超す香水瓶。

     香水瓶ひとつひとつに“人格„が見える。

パリの有名なオークションハウス、ドルーオ・ホテルで1996年、然るべき出所のはっきりした瓶に前代未聞の五千ドルという値が付いた。その時以来、香水瓶の人気はうなぎのぼり、保存のよい瓶、珍しい瓶等は、その後市場に出なくなった。クラランス・ズシェンヌにとって、これは遺憾なことだった。

ただしたすら好きだから、好きで集められた時代は、もう過去の時代になっていた。

ズシェンヌさんが、はっきり自覚をもって香水瓶を集め始めたのは十六歳の時、ゲランのシャリマーは、初めての恋人からのプレゼントだった。

バカラ製のこの優美な瓶は、はかなく終わったその恋よりも、長く彼女を捕まえた、お菓子より、人形より香水瓶が好きだった少女は、今や、パリで有数のコレクター、「私が一番好きなのは一九二〇年代~三〇年代の物、あのころ香水は、人間同士が交わし合う言葉でした、香りと瓶が作る宇宙…」

耳を澄ますと、瓶の声が聞こえた。

ミスター・ピエール・ディナン

 

ロマンとポエジーだけで香水は生まれない。

香水瓶にも問われる地球環境のゆくえ。

ピエール・ディナン氏をパリのアトリエに訪ねた。

右手でデッサンをしながら、左手で別のスケッチをしている。

世界中の顧客と会い多くの仕事をこなすために、もう一本手が必要なようだ。ディナ氏の仕事が玄関から続く通路にぎっしり並んでいるが、およそ、百はあろうか、あれも、これもと、その多さに驚かされる。

パリ生まれのディナン氏は、パリとニューヨークで建設を学んだ。

その後兵役につきインドシナへ、そこで抑留された経験が彼に多くのインスピレーションをもたらした。

アジアとの出会い、東洋の寺院への敬虔な想い‥‥、やがて帰国し香水瓶のデザインの仕事に巡り合う。マダム・ロシャスの瓶の仕事だった。

彼は香水瓶を液状の香水のための「家」または「寺院」と考え、その設計に没頭する。

1977年、彼はイヴ・、サンローランの香水、オヒウムのためにデザインした。

プラスチックを漆にみたてた、日本の印籠を思わせるそのフォルムは、香水業界を、アッといわせ、空前の大ヒット。

今彼は、パッケージ素材の開発に余念がない。コストの面からも、リサイクルの面からも、重要である。

未来の香水の住む家は、どんな家。

企画・編集・nagasawamagazine・編集部

企画・制作・取材・写真・婦人画報社・編集部 ・星谷ともみ・永澤洋二

掲載・1994年・9月号