NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

鼻(nez)伝説 香水紀行・第四章 編集部

香りで見る   星谷 とよみ

香水紀行・第四章

   鼻(nez)伝説

 

香りに抱かれしもの・・・・、

女性を詩人に変えてしまう魔法の水、香水。

男たちは彼女を取り巻き、スレンダーなスタイルや、リファインされたスーツに賛辞を惜しまない、美しさ、華やかさに魅せられているのではない、ほのかに香る首筋からの魔法の香りに酔いしれているからだ。

 

絶え間ない律動を枕に人は微温の海の中で蕩っていた。

ある日気づくと、そこはすべらかな、母という大陸であった。

薄明りの中で、鼻だけが目覚め始める。

乳房を見つけて、鼻が動く、匂いを探す、旅からすべてが始まった。

嗅覚―、生存と危険と幸福を人間に教える知覚。

 

目をつむってごらんなさい。

香りで見る花の繊細さは、花以上。

香りが、胸から首へ、そして鼻へ。

香りは私を時間の彼方へ運びます。

 

 

 

母がたたんでくれたリネンのシーツ

  ブランコの私を捕まえた若葉

枕の中でかさこそと音を立てる乾いたバラ

  夏の夜明けのジャスミンの静かな香り

オリーブオイルとヴィネガーの合作

  父の作業着についた香油の香り、

「鼻」を夢見る、ナタリー・セットの香りの記憶・・・・・

 

長さに二十センチ、幅一センチの和紙のような質感の白い紙、縦に折り溝があってそこを二つに折り、先端を精油や香料瓶に軽く触れ、嗅ぐ。

調香の研修生であるアナリー・セットの鼻梁は、華奢で透き通るような淡い白、鼻がムエットに寄せられて、目に見えない香りの分子はナタリーの鼻孔から内部へ。

鼻腔の上部にある直径一センチ弱の嗅上皮にそっと舞い下りる。

淡い黄色のこの粘膜には五百万もの細胞が用意され、嗅ぎ取った香りの情報が脳に伝達されていく、大きな鼻も、小さな鼻も、高いのも、低いのにも、内部には素晴らしい神経細胞がかくされている。

あるひとつの香りを嗅ぎとってから、少し間をおき、鼓膜をやすめると、再びこの神経細胞は再生し、いきいきと香りの刺激を捉えていく、さて、こうした嗅神経にのった香りは大脳辺緑系に届く、感情、食欲、性欲の中枢であり、さらに、私たちの記憶、想い出の宝庫に、瞬時に届くのだ。

生まれたての小さなパンダが、母親の巨大な体を這い上り、やっと乳房を探し当てる。乳房を見つけられない子は生きられない。

匂いに導かれる旅は嗅覚の根源的機能を思わせる。

人間の場合もある実験によると、新生児は自ら母の乳房を探し当てるという。

母もまた、新生児の匂いや、授乳の刺激によって原初の記憶を蘇らせ、情緒的にも母性を自分のものとすることができる。

匂いを嗅ぎとる能力こそ生存を可能にし、やがては生きることに、限りない彩を添える。

フランスでは香水を創る芸術家=調香師、を尊敬と親しさを込めて、「ネ」と呼ぶ。「ネ」=nez(鼻の意)

長い修練と熟練に末に創作されるその作品は、作曲家や画家の偉大さとも、並び称される。豊かな想像力描きだされる仕事だから・・・・・。

ナタリーの大脳辺緑系にはすでに二千種もの香りの記憶庫がある。これがやがて彼女のパレット、彼女の音階となって、どんな芸就を生むのか期待したい。

 

花が香りを放つのも

     人が鼻を持つのも

  生きんがためのもの、

そんな必然を、花は、人は、

       知っているのか、

  香水はなのも知らぬ

  全ては天の配剤。

優れた香水・好きな香水

 

好きな香水は、必ず優れた調香師がいる

優れた香水は、必ず優れた調香師がいる。

 

香水を創作する人たちの、感性は何処から生まれてくるのだろうか。

19世紀、ナポレオン三世の皇后ウージェニの心を捉えたのは、ゲラン社の創始者ピエール・フランソア・ゲランだったといわれている。

1861年に、ピエールが皇后のために創った香水“オー・アンぺリアル”は、皇后の気に入り、その後のゲラン社の発展も、また香水産業にも大きく貢献していく。

その後香水産業は大きく発展していくのだが、それには、南仏、グラースの存在があったからだ。

グラースには、大きな香水店が生まれ、育っていった。

当時のグラースは裕福な人たちのリゾート地として繁栄を見せていた。

その後パリに「エルメス」が店を出し、多くの産業が生まれてくることになる

19世紀は「科学の時代」ともいわれて、香水の容器などのガラス器製造の進歩の時代でもある。

同時に香水が華やかに人たちのファッションに参加した。

調香師が芸術家として登場した背景には、その時代の成熟した背景があった。1989年、エメ・ゲラン「ジョッキー」が誕生、

その他と多くの香水が誕生する。

調香師たちの“鼻”が伝説の香りを生み出していく。

中でも、ピアニストであり、手品師として、調香師たちから「伝説の鼻」と呼ばれた、ジャン・カールは、2キロ先の畑の、何年物のジャスミン化を言い当てる鼻を持っていた。そして彼は1946年グラースの香水会社ジボータン・ルール社に、調香師学校を創立、それまでは個人に頼っていた調香をメゾット化にし、その教育体系を創り上げた。

そして、現在につなぐ香りの基礎の流れの調香師たちを創り上げていった。

フランスの華麗な香水史にキラ星のごとく並ぶ調香師たち。

その香りは、時を経、姿を消しても人たちの記憶に深くとどまり、新たな「鼻」伝説を生む。

企画・制作・nagasawamagazine・永澤洋二

企画制作・ 婦人画報・1994年四月号掲載

フォトグラファー・大谷 裕弘