NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

香りの魔術・香水紀行・第三章 編集部

グラースの花守      星谷 とよみ

花の町グラースに咲くバラの花々  撮影・五頭輝樹
花の町グラースに咲くバラの花々  撮影・五頭輝樹

香りの演出家たち、

オートクチュールは香水をモードと一体化させた。

美しく装うための香水をデザイナーは、どのような演出でレディたちを表現させたいのか、香水との出会いはファッションを変える。

ディオール、シャネル、サンローラン、・・・・・、

完璧なまでの美に、恵まれた花々は、

ある種の諦念を持っている

明日の生命など、分からないのだから、

美しいうちに、私を摘んでおしまいなさい。

香りとなって生きられるのなら、それは本望というもの。

そして人は花々にぬかずき、その精髄をくみ尽くしてきた。

 

南仏、グラースの春風は、丘を次々と染めていく。

ヴァイオレッド、ミモザ、黄水仙、五月のバラ・・・・、

やがて香水となってふたたび、咲く花々。

その生命、この町で、人の思い出を紡ぐ水となる。

フランス南東部の町、グラースはすり鉢状の町である。

一番低い土地にこんこんと湧き出る水を利用した噴水があり、その豊かな水がかって、ここが皮なめしと手袋生産のメッカだったことを思い起こさせる。

小高い丘が町の周囲をめぐっている。

季節にもなると一斉に花が咲き、その芳香がすり鉢全体に立ちこめて、人々は、この町が香水の町であることを知る。

かって、グラースは山羊の町だった。

丘という丘に山羊が草をはんでいた。

その山羊はしなやかな山羊革になめされ、ベルサイユ宮殿を頂点とする高貴な女性たちの手元を優雅に飾った。革の消臭と香りずけのために

香料を必要とし、それがグラースの産業の中心となった。

山羊がら手袋、手袋から香料へ、産業はどんどん広がっていった。

女性たちは香りつきの扇子を欲しがり、紙も石鹸も、化粧品も欲しがった。

そしてグラースの丘は香りの原料となる花で満たされていく。

そんな歴史を得て二十位世紀にあとすこしという現在も、グラースは香水と花の町として生き続けている。

この町の香料会社はより高度な専門性と創造力を育て、世界香料業界の重要な位置へと上りつめていった。

グラースは一年中が花の季節。

一月には一番咲きのヴァイオレットが開花し、二月はミモザ、四月五月はあたり一面が花の海。オレンジの収穫のあとは、ローズ・ド・メ(五月のバラ)と、よばれるローズ・センチフォリアの最盛期。

町はバラで染まる。七月から九月はジャスミン。その頃はまたチュベルーズの季節。ヨーロッパでただ一人の生産者をかぞえるのみとなったチュベルーズ。

地球上の自然と開発の縮図がここにもある。

花守の聖地グラース。しかし花守と呼ばれる彼らの存在は、今や伝説となりつつある。

チュベルーズ(Tubereuse)。

この花の生命には、その楚々とした外見とは別の力強さがある。

夜のうちに根の下部がぐっと張り出してきて、今にも新たな芽が吹きださんばかりである。花の時を過ぎた株は、マリウス・アビコの手の中でひとつひとつきれいに掃除される。翌年の植え込みのときまでひとときの眠りにつかせるのだ。アビコの手は細やかにいとおしげにチュベルーズを手入れする。

かって香水をつくる代表的な花として何世紀もの間栽培されたチュベルーズ。

しかし今や衰退の一途である、なぜか。

原因のひとつは、グラースの都市化。人件費の高騰、花づくり農家の減少・・・。もう一つの原因はこの妙なる香気を抽出する方法のデリケートさにある。熱に弱いこの花は高熱処理が施せない。

昔ながらのアンラージュ法(牛脂に香りを吸い取らせる。冷吸収法)で、ひとつひとつの香気を採集していく。手間ひまかけて微量の香りをとうわけだから効率がよいはずがない。

チュベルーズ栽培農家はどんどん姿を消した。

マリウス・アビコはグラースにおける最後のチュベルーズの花守になった。

三代前にイタリアからグラースに住みついたアピコの祖父はパン職人だったという。花のグラースに住みついて花に魅せられ、パン屋を売って畑を買った。

祖父、父、アピコ、三代がこのチュベルーズを育て愛した。一昨年亡くなったアピコの母も含めて一家でチュベルーズを育ててきた。

この家族とチュベルーズは、いつどんなときも一緒だった。

アピコは六十年間チュベルーズを丹精している。収穫を終えてからの球根の手入れは翌シーズンの芽生えのために欠かせない。余分な芽を取り一個ずつガーゼにくるんでケースにしまう。四月に半分、五月に残りを植える。

作業をするアビコの口元をついて出る明るいハミング。その声は、花畑の丘にこだまする。春に芽吹き、夏には高き百五十~六十センチほどになる。

茎は細いが強靭である。

七月~九月。いよいよ花の収穫期。花芯はほのかなピンク。花びらは純白。すっと細めのラッパ状に開く。夏なら夕方、初秋は明け方。

香りが拡散しないうちに積み、工場へ。牛脂のパットにひと花ひと花ねかされてから、彼女はいよいよ本領を発揮する。

この花を部屋に飾ってみた。早朝に摘み、生かされた花は夜に向かって、そのつぼみをゆっくりと開き、強い香りを放つ。部屋中を独特の香気で満たす。

マリウス・アビコ。六十五歳独身。チュベルーズという名の花嫁と暮らしてきたのかもしれない。彼女なら守るに価する。

ヨーロッパで最後の香りの花だから。

 

第三章・グラースの花守 終わり

マリリン・モンローが“何を着て寝てますか“とい質問に”シャネルファイブを数滴“と、答えたことはあまりにも有名。

ココ・シャネルが“キスされそうなところには、全部つけておくことよ”という言葉も、その香水が持つ魅力を的確の表現している。

香りが持つ、悩ましく不可思議な魅力が、美しく装うためのものなのか、すべてを破壊していまう悪魔なのか・・・。

 

企画・制作・nagasawamagazine・永澤洋二

企画制作・ 婦人画報・1994年三月号掲載

フォトグラファー・大谷 裕弘