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香りの魔術・香水紀行・第二章 編集部

芳香宮のマリー  星谷 とよみ

香水紀行・第二章・芳香宮のマリー
香水紀行・第二章・芳香宮のマリー

自分自身のためと愛する人のために香りがある。

香り立つレディほど魅力的なことはない。

すれ違った後にフッと残る香りこそ香りの本領である。

その香りはその人を表す。

神々との交信を果たした香りは、

風に無い砂丘を走り、時を超えた。

人々は占星術や錬金術を手にし、やがて香りを人のもとに引きよせる。

「私」という香りを創らせた女たちによって香りは無限に広がっていく。

権勢という香り、豪奢という香り、そして、傾城という香りへと。

 

十四歳で嫁いだマリー・アントワネットは、その後7年間を経て、未だ王との愛の香りを知らなかった。

宮殿の花園に幾万もの薔薇が咲き乱れようとも、マリーの胸中は虚ろだった。

 

王もフランスも私の掌中にあるのに、少しも確かでない。

香水の霧の中で、私は私を抱きしめる。

私という存在を、カタチとして、掴みたくて。

 

-昨夜は香油を熱い湯におとし入れ、王妃は心ゆくまで湯あみいたしました。

王妃が丹精して育てているプチ・トリアノンの田舎家の花園をそのまま金糸銀糸で写したような、それは豪華な刺繍の夜着をまとい、王のもとにまいりました-。

マリー・アントワネットとルイ・オーギュスト(ルイ十六世)。

マリー二十二才、結婚の儀から七年目の初夜であった。

王のベットでまどろみながら、マリーは自分自身がゆっくりと次の回転扉の向こうへ歩み始めたのを感じとっていた。

宮殿の廊下を歩く王妃の足どりの軽やかさに、長く使えた女官もほっと胸をなでおろした。妻として遇されないことへの苛立ちや屈辱感からか、王妃は浪費と遊びに身をやつし、その生活ぶりは宮廷に使えるものたちにも国民に対してもよい印象を与えるものではなかった。

ウイーンの家庭王室から享楽のベルサイユ嫁いだマリーの心は、乾ききっていた。今朝からは何かかが変わるだろう

宮殿はいつにもまして匂やかな花々の精が舞うようであった。

マリー・アントワネットがベルサイユ宮殿に住んでいた頃、そこは「芳香宮」と呼ばれるほどの香りあふれる女の園でもあった。

マリー王妃が愛する花の香りと、ルイ十五世の愛妾デュ・バリー夫人の愛する龍涎香など動物系の香りが宮殿内で渦巻いていたという。

王妃は専任の調香師に自らの花園で抽出した香料による香水を創らせていた。

のちに歴史の軋みに巻き込まれていくときも王妃は自らの香りと共にあった。

王妃の象徴ともいえる香り、その香りの名は、「花の破壊」といった。

 

マリーは今も、ベルサイユの濃密な花の香りの中にいる。

    香りはそこに生きた女を微粒子にかえて、永遠に封印する。

風に聞いて、マリーの残り香。

 

「香水紀行・第二章」

芳香宮のマリー   終わり

知的で個性的なレディたちの香水の選択は・・・、

誰も気づかれずに風のように吹き抜けていく香りなのか・・・、

デートのとき控えめな香りを選ぶのか、興奮させる香りを身にまとうか・・。

 

企画・取材・編集   婦人画報・1994年・2月号掲載

企画・永澤洋二    nagasawamagazine・編集部