NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

香りの魔術・香水紀行・第一章   編集部

香の夜明け      星谷 とよみ

人は美を知るべくして生まれた。

美は香りとなって、人の鼻腔をくぐり、精神のという存在を教え、

そこが何によって満たされるかを教えた。

人間の精神的生活はそこに始まる。

文明は香りゆらめく大河のほとりで、茫漠たる草原で幕を開けた。

 

婦人画報・

1998年1月号から連載「香水紀行」プロローグのポエムだ。

企画提案者として婦人画報社との話の中で「香り」の魅力を12回連載を通して、どう表現できるか、読者に伝えられるか期待していた。

作家の星谷とよみさんは優れた表現者であり、ポエムの心を持った人だ。

そして、カメラマン大川裕弘さんは感性と物を捉える素晴らしいテクニックを持った撮影者だ。

12か月長い道のり「香り」の物語、企画者として、どう展開するか楽しみは深い。

企画・協力・nagasawamagazine・永澤洋二

香は、様々な顔をしている。

香はわずかな瞬間しか生きられない。

はかない命を持つこの美しき、あやしい水。

自分自身のため、そして、人のために香りがある。

何千年の歴史を持つ、怪しげな香り、繊細でもろい一生。

魅力はそこに存在している。

「香水紀行」の12ヶ月をたどってみる。

「香りの夜明け」(第一章)星谷 とよみ

壮大なる古代文明が栄えた紀元前のエジプト。

クレオパトラは、身体の奥深く香りを偲ばせ、時に感応の女神となり民の上に君臨した。

 

春か東方より伝わる薄絹のロープも、クレオパトラの肌の滑らかさの前では影がうすい。うっすらと夜も明けだすころともなればなおのこと。

まろやかな頬から、ほっそりしたうなじに、夜露がそっと舞い下りたかのように濡れた黒髪が添う。

夜明けとともに始まる王宮の一日は、クレオパトラの湯のみで朝が明ける。

浴槽に、当時もっとも高価された調合香料(キフィ)をまき、更に薫り高い薔薇の花弁をふんだんに投げ入れ、クレオパトラは召使の手によって身を清め、今朝の薫りの洗礼を受ける。

分厚いベルベットのひとひらにも似た薔薇の花びらの艶のある」

」・白い肌にまとわりつき、そこから香りの精が立ちのぼる。召使はクレオパトラの全身に、香油を塗り込め、さらに熟練の腕と指でマッサージを加える。クレオパトラの肌は、白から淡いピンクに変わる。今や香りはクレオパトラの全身から、今や香りはクレオパトラの全身から、さらに馨しく立ちのぼる。殿方との、今日の重要な会見ひかえて、さらに香りを吟味する。

身体の奥深く麝香や霊猫香をしのばせる。仕上げは白鳥の胸毛の部分で作った大きなパフで高価な粉白おしろいを付けてもらう。

金粉がキラキラと舞う。

クレオパトラは、いまや香りの化身となって、衣裳部屋に向かうが、その裸身はすでに高貴な香りのロープ、香りの宝飾品に包まれていた。

ひとつひとつの香りをまとうことで、王妃クレオパトラは神々へ近づいていくかのようであった。

香りは人を天空へ導く神聖なる宝飾行為であった。

太古以来、王家のまつりごとは、香りの中でいよいよ高く神秘化されていった。

ここに至るまでの、香りの来た道を遡ってみよう。その始まりは、おそらく、人類の「火」の発見にたどりつく。

古代人はある日、石器の鋭い接触に花火を見、火を知り、そばにあった枯れ木、枯れ草にその火が飛ぶのに出会う。木や草はその火を受けて燃える。

「火」も「燃える」も初めて。

そして、そのときの「匂い」も立ちのぼる「煙」も初めてだった。

人類は火を知り、それを道具として用いるところで、動物と一線を画したといわれるが、もう一つの「匂う煙」との出合いも、人類が人間的な道を選ぶに至る大いなる分岐点になったのではないだろうか。

煙りの中に妙なるにおい=香りをかいだ最初の人は、いったい何をかいだのだろうか。オリーブの木の枝の燃える匂いだろうか、何かかいだのか。

オリーブの木の枝の燃える匂いだろうか、何か香木の切れ端の匂いか、それとも、木の実のはじけ飛ぶ匂いだったろうか。

香料や香水を意味する英語=PerfumeのFume(煙)に、人類にとっての香り体験の出発を知らされる。

燃える、燃やす、燻す、焚く、さまざまな火の操作から燃える材料との出合いから、古代人はやがて、その煙=香りの中に新しい体験見出す。自分たちの日々を支配する自然への畏怖と畏敬の念、さらに霊妙な思い、感きわまるという体験―。祈りは内からこみあげ、ひとたちはひざまずく。

香る煙によって、人は現実の今から天空に続く道への道標を見出したのかもしれない。

 

古代エジプト、メソポタニア、ギリシャ、ローマ、アラブの国々・・・。

古代遺跡に残る香りの品々、おびただしい文書、図版の中に、神殿にぬかずき、祈る人々がいる。

今に残る香油瓶のあまりの小ささに、古の人たちの香油への切ないばかりの思いが見える。

香りに神の気配を感じ、風のふらぎで香りがなびく方角にひざまずき、一心に祈っただろう人々の透明なまでの精神の一途さを思う。

香りはこうして人類をある方向に導いた。食すことも、見ることもかなわない、香りという捉えがたい存在。それが満たすもの。精神のありかー。

人はなぜ香りを求めるのだろう。

    その答えを探しに旅に出よう。

香りは、私たちをどこまで連れていってくれるのだろう。

 

              第一章・終わり

企画・取材・編集   婦人画報・1994年・1月号掲載

企画・永澤洋二    nagasawamagazine・編集部