NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

俳優・テット・ワダ・4

Wheelsと私

Nagasawa Magazine 9月号では、「オートバイと私」を紹介させていただいた。

今回はシリーズで、「車輪と私」について語りたいと思う。ここでのWheelsは、私の人生にとって最も重要な「足」である。

 

30ccのいわゆる「ポケバイ」に憧れていた小学生の私は、11歳の時に初めての「オートバイ」のチョイスを親からもらった。その究極の選択は2台、赤いホンダのQR50と白赤のヤマハPW50だった。 「どうせすぐに背が伸びてポケバイには乗れなくなるのだから、ちゃんとしたバイクを買ってあげる」という事で、両車とも50cc、前後サスペンション付きの立派なミニモトクロッサーだった。

学校からダッシュで帰宅し、カタログを何度も見比べた。燃えるように真っ赤なボディーに青いシートのホンダも魅力的だったが、選んだのはヤマハだった。

理由はごくシンプル、親近感だった。応接間にあった母のピアノがYAMAHAであり、自分の乗っていたモトクロス自転車が、「ヤマハ・クッションバイク」だったからであった。

このクッションバイクは、珍しい物好きの父親が探してきたいわゆるレアもの。この時代にしては斬新な、前後サス付き、シート、フェンダー、フォーク、ハンドルバーはモトクロスバイクそのもの、リアにはバッグまでがついていた。

まさに自分にとって、「フル装備」の夢のクッションバイクだった。

コンクリートはもちろん、あぜ道、泥道、水たまり、ジャンプ、スピン、階段までも楽しめるという事を教えてくれたのが、このYamaha Cushion Bike 20だった。当然、これを楽しむには怪我がつきものだった。二輪車は、「無理をすると、激痛とひとりで戦わなければならない」という意識の中、限界スレスレで走るのがスリリングでやめられなかったのを思い出す一台である。この辺りで、ヤマハのマークが、音叉三本からできている事を教えてもらった。

 

実はこのヤマハ・クッションバイクの以前もっと背の小さい頃、ホンダCB750Fourの、これまたレアな自転車を父親から与えられていた。ウインカー、ヘッドライト、ダブルメーター、ガスタンク、タンデムシート、四本だしマフラーと、ホンダのレジェンド・CB750Fourそっくりな、キッズ向けの贅沢な自転車だった。

このホンダは、補助輪から卒業し、二輪車の最大の魅力「コーナーリング」を楽しめる世界へと導いてくれた、大切な一台であった。

 

車輪付きの乗り物には、兄からのお下がりで限界まで軽量化した6段スピードチャリ、ピカピカライトのトラック野郎仕様のブリジストン自転車、クッションバイク、4輪車は、ペダルカーのマイクロレディー、新幹線、トンカトラックなどなど、体で感じられるトーイに囲まれて育てられたその環境には、本当に両親に感謝である。

その中で、二輪車へのステップアップ前に一番気に入っていたのが、この赤いモーリス・マイクロレディー。スティールのボディー&ホイールと、非常に頑丈にできていたツワモノであった。これはとにかくペダルを踏んだ、ひたすら走った、あらゆる所にぶつかった、何度もひっくり返った。今から考えると、このマイクロレディーが私にとっての初の「アメ車」だったのかもしれない。

オリジナルでレア物好きの父。会社の経営者。

私も兄も、父の選ぶレアものに囲まれていた。

自由に、開放的に、「天衣無縫」をモットーに

私を育ててくれた母。スキートクレー射撃が趣味

 

 

To be continued (11月号につづく)

 


企画・写真・文章 テット・・・ワダ

企画・制作    nagasawamagazine