NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

作曲家・三木 たかし さん

心を謳う作曲家

以前、平成元年から平成八年まで、郡馬上毛新聞社企画「群馬トヨタ・カルチャー・フォーラム」をプロデュースしてまいりました。

講演をしていただいた人たち、総勢80人に上ります。

その中でも、講演内容など、他では聞けない話をされております講演者たちの心の言葉を「nagasawamagazine」誌上でお伝えしたいと思います。

 

第一回は、日本が誇る作曲家「三木たかし氏」の講演の一部をご紹介いたしたいと思います。

しかし、残念ながら「三木たけし氏」は平成二十一年五月十一日、六十四歳の若さでこの世を去りました。

人間として、芸術家として、素晴らしい仕事を残されて散りました。

心からご冥福をお祈りいたします。

「心の泉を曲に託して」 

テレサ・テンに想いをこめて

 

年上の恋人に、初めて作曲した曲をプレゼント„

僕は仕事を終わると好きな曲がバラバラになっている譜面をスコア譜に移して、こういう音を出すは、こういう組み合わせになっているのかとアレンジを覚えました。アレンジをしたら歌わせてくれると言われていましたから。

14才でオケのアレンジをしました。自分で天才かなと思いました。

この歌を歌ったら相手が泣き出しました。でも、若い時の恋は長くは続かない、いい思い出として残っております

 

“歌を聞くとその時の感受性がよみがえる„

 

歌を聞くと、その時自分が何をしていたのか、一足飛びに戻れます。恋愛をして、とても傷付いたときなのか、うれしかったのか、その時の感じが歌を聞くと蘇ってくる、歌にはそういう良さがあるなと思います。

紛れもなくその瞬間は事実であって、その瞬間はすべてで、その瞬間は情熱であったのが、いつの日がいろんなことがあり、時がどんどん流れて、時間の何かに紛れてしまう。

年をとると感じる力が衰えて物事をいきいきと感じられなくななっている、 若い時に感じていたように豊かな感受性を持っていたい。

世の中の常識から多少外れていても、感じられる人間でいたいと思います。

人が夢を見なくなった時が怖いですね。

善悪だけで物事の白黒をつけようとしますから人間が本来持つ情感や優しさが縛られてしまう不安を感じます。でも、歌の世界では何をやっても許されるのがいいですね。

 

テレサ・テンの語尾には

さまざまな想いがこもっていた

 

テレサ・テンという歌い手がいました。

日本と台湾の付き合いがスムーズにいかなくなって、パスポートの偽造が発覚し、五年ぐらい日本に来られなかったこともありました、その間、彼女は軍のPRや政府の仕事をしていましたが、日本で、もう一度歌いたいから、曲作ってくれとレコード会社から依頼されました。

有線でテレサの歌をプロモートしよう、そのためには何度聞いても嫌にならない曲を作ろうと考えたのがこれです。

  “つぐない”

曲先の曲です。(曲ができてから、後で詞を付ける)

テレサ・テンのレコーディングは、カラオケは日本で、歌は香港で入れるのです、僕がギターで弾いて歌ってテープに入れ、送って覚えてもらうのですが、テレサはイメージの取り方がすごいのです。

“さよなら“の一言でも状況次第で何通りも意味があるでしょう、例えば、友人との”さよなら“、家族との”さよなら“、恋人との”さよなら“、今日別れても、明日、また会える”さよなら“もう絶対会えないとわかっている”さよなら“、そして、さよならなんて言えないくらい悲しい状況もある。

テレサはさよなら一言に豊かな想像力を込めて、語尾に想いや優しさを、滲み出させることができるのです。

 

私小説のように歌には自分が出てしまう

 

歌って、おかしいですね。

最初は冷静なのに、歌っていると歌の世界に入ってしまって、だんだん狂いだしていきます、この会場はこんなに明るいのに、なぜ、こんなに暗くなれるかと思うほど暗くなってしまう。

今年で作曲家になって三十年になりますが、いろんなジャンルの曲を五千曲ぐらい書きました。

歌を作るのが最初は恥ずかしくてしょうがなかったのですね。

ものを作る人間は、他の人より劣等感が強いのではないかなと思いましたね。劣等感があるから、自分の思いを音にしか表現できない。

妹が“黛じゅん”が歌手としてデビューし、僕が“夕月”を作りました。

この「夕月」を創ったのが二十三歳くらい、この曲も曲先でした。

私小説のように作った曲が五曲ぐらいあるのですが、これもそうですね。

作詞家はかぎ当ててしまうのですね、この曲の詞を見てびっくりしました。

この作詞家は僕のことを見通せるなと驚いてしまいました。

小説的な歌として四、五年前に歌手のイルカさんに作った“終恋”もそうです。

人を好きになって会いたくて、会えない状況、その人の家のそばに行って、車を止め、その人との時を共有したい。

少しでもいい、たとえ三十分、一時間でもいい、部屋に明かりがつくと安心して帰ってくる。

私自身そういう思いがあります。

 

十五歳で自殺を思いとどまって作った“さくらのうた”

 

人を思う切なさの歌が日本では少ないですね、昨日会ったのに、今日も会いたいという思い。人間のロマン、初恋、胸がキュッとする想い、いいですよね。

“キュン”いいですよね(笑い)

なかなか人との出会いってありそうでないのですよね。

出会いは偶然はなく、例えば皆様と僕が出合うのも、なにか、プログラミンされているのかもしれない。そんな空想したがる不埒な奴と、笑われるかもしれませんが、こうしたことが歌になるのです。

僕は恋多き男と呼ばれて書く曲は全部自分が過去に思っていた女性、または、今、思っている女性をイメージして作っているのですが、一曲だけ自分の子供に作った曲があるのです。

離婚して子供に会いたくてというとき創ったものです。

“もしも明日が晴れならば”がそれです。

最後に十五歳の時に創った“さくらのうた”を聴いてください。

多感で傷つきやすく、傷つけたりと、僕は自滅型で自虐的所があります。

何度か死のうと思ったこともあったのですが、友達のことなど思って、現在、こうして死なずにいるのです。

そんな時に創った歌が“さくらのうた”です。

 

昭和四十八年、この“さくらのうた”を,美空ひばりさんにTBSのドラマの中で歌っていただきました。

すごくうれしかったです。

 

編集長記

 

作曲家三木たかしさんとの出会いは、作曲家曽根幸明さんからのご紹介があったからです。

若く、野望に満ちた三木たかしさんは、その頃、すでに若手の作曲家として多くのヒット曲を出し有望な作曲家として大いに期待されていました。

繊細で、優しく、そして、シャイな感性を持った三木たかしさんは、その後、日本の歌謡界に新しい、大きな流れを創り上げていきました。

豊かな感性から生み出される数々の歌曲は、今までにない、心に迫る優しさがこめられていて、心の中を表現したメロディは新しい時代を創り上げて活きました。

特に、テレサ・テンに提供されていた歌曲は、生きる苦しさ、喜びの切なさ、深い心の思いを繊細にメロディに載せ、誰からも愛される、心に残る素晴らしい曲を我々に提供してくれました。

勿論、作詞者たちにも恵まれていたとは思いますが、人の心を打つ歌曲を次々とヒットさせてきたその曲作りのうまさは天才だと感じています。

石川さゆり、西城秀樹、美空ひばりなど、多くの歌手たちに曲を提供して多くのヒット曲を生み出している作曲家「三木たかしさん」の才能に拍手を送ります。

 

平成8年「上毛新聞・カルチャー・フォーラム」で講演していただけますかという僕のわがままを、瞬時にOKをしてくれたことを、いま、思い出しています。

当時の三木たかしは、すでに歌謡作曲家のスターでした。

毎日が忙しい仕事で、休みなどあるはずがなかったのに僕の無理な願いを聞いていただけたことに、今、考えると反省の日々です。

当時の三木たかしは、イベントなどには、絶対参加しない人であったにもかかわらず、僕の申し出に快くこたえていただき、その優しさに深い喜びを今感じています。心優しさ、友人を思う思いやり、そして、他では話せないことを、この講演内で話してくれたこと、感謝で一杯です。

いま、当時の三木たかしさんの講演内容を読んで感じたことは、この講演の内容の深さ、人間の繊細さなど、心に響く素晴らしさです。

そして、今こそ、もっと多くの人たちに伝えるべきだと僕は感じています。

 

“有難う、三木 たかしさん„

 

企画・nagasawamagazine・編集長 永澤洋二 2018・1・28