フェンディのプライド 編集部
毛皮の魅力
「世界のブランド」ヴィトン、カルチエ、エルメス、シャネルなど、まだまだ多くのブランドの世界は広がりを見せている、しかし数限りなくブランドは生まれ消え去っていることも事実だ。
新しいファッションと騒がれ多くの人たちから愛され親しまれた多くのブランドは今や、流れ動く世界の経済、ライフスタイルの変化にブランドが持つ豊かでエレガントな本質を狂わされている。
1998年春、豪華で信頼の「フェンディ」を取材した。
ローマ、ボルゴニョーナ通りに建つフェンディブテックはシックな黒が際立つ建物だ。ローマの街の中のエレガントなフェンディブテックは、階段を上り二階フロアー全体にファーの世界が広がるサロンになっている。
毛皮の「フェンディ」はフェンディ夫妻、エドアルドとアデーレによって1925年に皮革製品と毛皮の小さな工房からのスタートが切られた。
スタート時点から皮革によるデザインを中心とした製品で多くのファンの目を集め“ファーのフェンディ”といわれて、イタリアを代表するファッションブランドに成長してきた。
イタリアには多くの家族経営のブランドがある、そのなかでもフェンディは親子の絆が強く、中でも1946年フェンディ5人娘たちの参加がフェンディの運営に大きく影響してくる。
それまでの毛皮に関係する皮革商品のほか、洋服、バック、靴、香水やインテリアも手掛けるようになる。
そのテイストが常に新鮮なのは五人姉妹とそれに続く第三世代の若い力が加わって強靭でしなやかな魅力を醸し出しているからだ。
同時に本格的なファー・デザインによる“フェンディ”として発展したのは、1965年デザイン界のトップデザイナー、カラー・ラガーフェルドを迎え入れてからだ。
彼はフェンディのシンブルマーク、ダブルFのロゴを創り上げ、世界のブランドに名乗りを上げたことで大きな飛躍の幕が上がる。
華やかで豪華なフェンディの毛皮は天才デザイナーラガー・フェルドと五人の姉妹たちの手で、さらに世界ブランドとして成長路線を歩んでいくことになる。
フェンディの最も重要視されている“ファー”の作業はローマ郊外にあるフェンディ本社内にある。
本社内の“ファー”アトリエは世界の女性たちに憧れのため息つかせる華麗な毛皮の一着、一着がこのアトリエから生まれてきている。
「毛皮はすべて手作り」という言葉の凄さが実感できるアトリエだ。
毛皮の責任者が言う「毛皮の素材はさまざまですが、私共フェンディは毛皮の歴史、そのものです」
「毎回新しいテクニックから生まれる毛皮は常にチャレンジいているのです」
フェンディの毛皮の特徴は着たことのある人ならわかる“しなやかな軽さ”
“着心地の良さ”“重厚感が感じられない”“クオリティの高さ”にある。
世界中のセレブがフェンディの毛皮を着ることで毛皮の持つ歴史と、華麗なデザイン、ブランドの重み、そして豪華でエレガントを身に着けた“フェンディのプライド”を表現している。
毛皮のフェンディと呼ばれている現在、五人姉妹の役割はしっかりと別れている。毛皮は二女アルダさんが担当、毛皮セクションの統括のほか毛皮のすべてにかかわる技術、制作を任されている。
知的で、静かなアルダさんは母親の許で、毛皮作りを学びその面白さに惹かれたと話してくれた。
「一人として同じ人間はいないように、毛皮も一着一着出来上がりが違うのです、ですから買うときには納得いくまで試着をすることが大切」
「また、着るときは構えないで気軽に羽織ることがポイント」
毛皮のことなら何でも聞いてくださいと、優しく話してくれる。
長女のアンナさんは姉妹の仕事の邪魔にならないように、大きな優しい心で姉妹たちの悩みなど解決し全体をリードしている。

今回、アンナさんのご自宅にお邪魔した。
美しい歴史が感じられる石造りのご自宅は、ローマの名家であるバルベリーニ家のカントリーハウスだったのを譲り受けてご自宅に改装した。
貴族の館だった内部は当然豪華だ、各部屋のインテリアは、流石フェンディ家だと頷いてしまうほどオシャレにリメイクされている。
レセプションルームの中央にあるテーブル上には、白い茶器と透明なガラス器を使ったセットが見事にディスプレイされエレガントだ。
その他の部屋もアンナさんが30年かけてコーディネイトされている、その美意識は流石、とりすましたところもなく温かなお人柄そのまま、ぬくもりの空気に包まれているご自宅の各部屋の素敵さは、流石フェンディだ。
洗練された「フェンディのプライド」がそこには存在している。
現在のフェンディは、1999年にLVMH(ルイ・ヴィトン・モエ・ヘネシー)とプラダ・グループによって買収された。
その理由の一つが2001年にはプラダ自身が経営難に陥ってフェンディ株を全てLVMHに売却したのでフェンディはLVMHグループ傘下に入りLVMHの中の一ブランドとなっている。
現在もトップブランドとして多くのフェンディファンの心を揺さぶっている。
企画・取材・写真・nagasawamagazine・編集部 永澤洋二
1989年取材、