ジャンージャック・レイベル
Jean-Jacques Reibel
”インターコンチネンタル・香港・を変えた男”

インターコンチネンタル・香港・GM・ジャン―ジャック・レイベル
2004年香港国際空港に一人のフランス人が降り立った。
男の名はジャン-ジャック・レイベル(Jean-Jacques Reibel)ホテルマンだ。
ワシントン・DCのインターコンチネンタル・ホテルから、九龍インターコンチネンタル・香港のGMとして赴任する。
J-Jは、長年ヨーロッパ、アメリカのインターコンチネンタル・ホテルでキャリアを積み上げてきた男だ、アジア勤務は初めての経験。
赴任先の、ホテルのロビーに立った、J・J(ジャンージャック・レイベルjaan-Jacques Reibel)はいま興奮している自分を抑えている。
何て美しいロビーなんだろう、ヨーロッパ、アメリカに無い景観が自分を襲っている。
自分に問うた、震えが止まらない力強い何かが体の中に生まれてくる。
喜びより緊張と挑戦が心に湧き始めた。

J-Jは、フランス北部シャンパーニュ地方の美しい町、トロア(トロアは穏やかな雰囲気を持つ中世の歴史を感じる町で、古い木骨組みの家屋が美しい)で生まれ、20歳から世界を歩き、人との結びつきが強いビジネスとするホテル業界に身を投じた。
ロンドンで5年間、みっちりとホテル・ビジネスを学び、世界に飛び出した。ホテルの基礎を築くために必要なものを学ぶには、イギリスのロンドンが一番相応しい。多くの歴史ある格の高さを誇るホテルがロンドンには揃っているからだ。
ロンドンでの修行で、J‐Jは自分を試し、自信を付けた。
働くホテルは、インターコンチネンタル・ホテルと決めていた。世界にネットワークを持つホテルなら自分が思う存分仕事が出来ると踏んでいた。
J-Jのインターコンチネンタル・ホテルでの働きは群を抜いていた、類まれなるホテルマンとしての才能がここで磨かれた。
普通のホテルマンでは想像も付かない光、輝きを見せる。
キャリアが浅いのに異例なポジション・アップ。
世界各地のインターコンチネンタルを渡り歩き、そのたびに責任あるポジションが与えれた。

インターコンチネンタル・ホテルは、かつての世界一のエアライン、パンナムが作ったホテルだ。パンナムは既に消滅したがホテルは残った。
そして、いまや最大のホテルグループとして世界に140以上のホテルを持ち世界各地で営業、成長し続けている。
ほかに、名称は違うが100ヶ国で4500以上のホテルを経営統括している。
香港には多くの世界的に著名なホテルが存在する。
名門ペニンシュラ、マンダリン、グランド・ハイアット、世界一のホテル激戦地だ。
インターコンネンタル・香港は以前「リージェント・ホテル」グループの「ザ・リージェント」として香港を代表するホテルの一翼を担ってきていた。
2001年にインターコンチネンタルホテルズ・グループが買収し外観、内部もリニューアルして新たなホテルとしてスタートした。
大きなグループ企業のなかでは、人が認められることの難しさは計り知れない。
J-Jが如何にしてグループ内で信頼を得てその地位を築いてきたかキャリアを見ると理解できる。
サンフランシスコ、パリ、ニュー・オリンズ、マイアミ、ウイランド、ワシントン、それぞれのホテルでGM、もしくはそれに等しいポストを常に与えられているのだ。
ホテルマンとしてのずば抜けた才能なのか、数倍の努力を重ねた結果なのか、それとも業績の答えを出しているからか・・・。

1997年7月に中国に返還されるまで、香港はイギリスの植民地としてヨーロッパの一部としての評価だった。
ホテルもヨーロッパ系、アメリカ系、そしてアジア系とバランスよく香港を盛り立てていた。
それが中国返還後はアジア系、中国系のホテルが大挙参入し小さなエリアにホテルが乱立し熾烈な戦いが幕を開けた。
勿論インターコンチネンタル・香港も同様だ。
観光客の奪い合いで有名ホテルも安閑としてはいられない。
以前はヨーロッパ、アジア、日本などからが殆どだった観光客が現在は中国本土から増加している。
インターコンチネンタル・香港に新しい風を吹き込みたいとグループの首脳は考えた。それには、よほど切れるマネージャー、GMが必要だ。
思い切った人事を考え実行した。
香港にグループを代表するホテルプロデューサーを配置したい。
それには、よほどの才覚、度胸、決断を持ったプロデューサーが必要だ。
首脳が選んだ男がいたそれが、ジャン-ジャック・レイベル(Jean-Jacques Reibel)だった。
彼なら香港のホテル競争に勝てる秘策を持っていると踏んだ。
この熾烈な観光地を制するには何といっても「人」だ。
これまでのキャリアに加え穏やかだが、強いリーダーシップを備えている。
ジャンしかいない、インターコンチネンタルの首脳は信じた。

J-Jは、赴任後即動いた。
ホテルに宿る龍から幸運をもらおう。ホテルの定義はサービス、食の提供、部屋の衛生管理、人材の配置。
そして何より、ゲストが安心して浸れるエリアを構築すること。
まず、”HOME”を目指すことを全員に伝えた。ゲスト達が家に帰って寛げる。その雰囲気を、このホテルで目指そう。従業員全員に伝えた。
「どんな小さなことでもいい、ホテルが必要としている事柄を僕に言ってくれ」そして加えた、「君達はいまから、僕の家族だ」この思いは、J-Jの心にいまも生きている。ホテル従業員が結束すればホテルの全ての機能が動く。
ホテルの魅力を増すことにスタッフ達は挑んだ。
ゲスト達が喜びを選ぶホテルにするために。
前にも述べたが、香港には世界的著名なホテルが数多く存在している。普通のビジネスで挑んでは勝てない、足元にも及ばない。しかし、J-Jは違った。
香港の売りは”食にある”といわれているが、実は香港は世界の投資マネーが動く都市なのだ。世界から一般の観光客ばかりかビジネスを兼ねてこの地に下り立つ人たちが多い。当然、以前より客の質が変化を見せている。
滞在する客の好みも激しさを感じる。各ホテルのコンセプトが顧客を決める。難しい数々の問題が生まれてきている。
勝負を一つ一つのホテル相手にしてはとても、勝てない。香港を訪れるゲストたちの(客)判断に任せられる最高のコンセプトを作ろう。
それなら、ジャンは負けない自信があった。

まずホテル内の食の充実を図った。
香港のシンボルは食だ負けられない。
ホテル内で香港を感じさせよう。
既に世界のアラン・デュカス「スプーン」がある。ここは中華料理の香港だ、中華料理には負けられない。
広東料理の「ヤントーヒン」の存在は大きい。世界の、NOBUを2006年呼んだ。
ジャン-ジャックの決断は早い。
次はこのホテルを各国にPRだ、宣伝作業だ。ヨーロッパ、アジア、日本それぞれに広報担当を置いた。日本マーケットの担当は山口有子を当てた。山口は香港に詳しいだけでなく、日本のメディアにも知己が多い。
山口は動いた、とにかく日本のメディアにこのホテルの全てを見てもらおう。
山口は東京代理店トップ伊藤万里夫を呼んだ。伊藤はこれまで多くの外国系航空会社の代理店を手がけていた。この手のツアーは得意だ。
日本の多くのメディアに声をかけ数組のメディアを送り込んだ。
成果が徐々に上がり始めた。各國地域のPR担当者も、J-Jの指示に従った。
年を得てくるに従ってJ-Jの賭ける思惑は当たった。 2012年香港の全てのホテルに勝る評価を得た。しかし、これで勝負が終わったわけではない。
2012年初秋には風水が龍が舞い降りると明言したホテル・ロビーをリニューアル。同時に、ホテル一押しのペントハウスも、華麗なステージとしてお目見えした。ホテル内の、アクアも充実させた。
J-JことJean-Jacques Reibelは2013年で赴任10年を迎える。穏やかでイタリア俳優のマルチェロ・マストロヤン二を彷彿させる2枚目の彼は、まだ香港を離れようとしない。ここの魔力に魅せられている。
「僕は、このまま 幸運の風に守られていたい」
ジャン-ジャック・レイベルは香港を愛している。
幸運の龍は香港を愛する人には嘘はつかない。
ジャンージャック レイベルは日本が好きだ。アジアに造詣が深いが特に日本を特別に考えている。武道も黒帯を許され稽古に励んでいる。食も日本食は何でもいける、お酒も日本酒、焼酎と励む。
ただしジャンはフランス人だ。ワインは特別。
企画・取材・文 ・永澤 洋二
フォトグラファー・五頭 輝樹