エルメスの美 編集部
フランスの文化が見える

激動の時代の19世紀に終わりを告げたあと、パリはベル・エポックの世界が街を変えていく、そして、数多くの世界的な芸術家を生み出しパリは文化を中心として栄えていく。
それと同時にエルメスにも大きな転機が訪れてくる。
二代目エミール・シャルルは、それまでのエルメスの主流であった馬を中心とした革製品事業から、未来の変化を予見した製品に舵を変え、新しい文化に挑戦していく、それがエルメスの世界に変化を加えていくことになる。
皮革のなめし技術と独特のステッチを用いた世界に誇る馬具作りを確立し品質にますます磨きをかけていくは言うまでにない。
今までの皮の製品の完璧な技術は他の追従を許さない。
エルメスはこれからが真の転換期を迎えていくが、パリの街から馬車の姿が消えて、自動車の姿が街の中でその雄姿が重なるにつれ、製品も、馬車から車にどう対応していくかが未来のエルメスを映しだしていく。
その予見をいち早く唱えていた、弟のエミール・モーリスが、婦人用のバック、財布などの製造に乗り出し事業の多角化の第一歩が始まる。
エルメスが得意としていた皮革ステッチの技術がここに活かされている。
旅行用品、時計、宝飾品、金銀細工などを手掛けるようになり、他の同業種を引き離していくことになる。
多くの作品は、一見異なたように見えるがどの作品も美しさが際立っているのがすごい。
時が移り変わり、人たちの生活様式や考え方が変化してもすべての作品は永遠の称賛に値する職人気質の美で飾られているのは流石だ。
エルメスの美に対する追及は、ただ職人伝統技術の追求だけではない、新製品のデザインのヒントになるばかりではなく、伝統技術の教育と未来への投資があったからだ。
エルメスの本質は、絵画や伝統美が描かれている作品の収集を始めていくことで、常に新しさと芸術的な伝統美を求めていったことだ、それらの作品は、現在フォーブル・サントノーレ本店内のエルメス博物館に所蔵されている。
「エルメスの美」は、全ての作品にその思いは表現されている。
「エルメス」といえば、誰しも一番思い浮かべるのは「ケリー・バック」だ。
故グレース・ケリーに由来することで有名、1956年モナコ王妃となったグレースが妊娠中の大きなお腹を、エルメスの“クロコダイル”のバックで隠したときの写真が雑誌の表紙を飾ったことから、そのバックが‟ケリー・バック”と、呼ばれるようになった。
しかし、この‟ケリー・バック“の原型はもっと古い。
このバックにはストリーが隠されている、馬具商としてスタートしたエルメスは、馬の鞍を入れるカバンとして1892年に作られた時の、カバンがある、それが“ケリー・バック”の原型なのだ。
また、ケリー・バックと、共に女性たちの憧れは、“バーキン・バック”だろう、女優のジェーン・バーキンが、旅客機で隣り合わせになった、エルメスの社長との話し合いで出来たとされている、誰しもが知っている有名な話だ。
“ケリー”と“パ―キン”スタイルは同じだ。
エルメスの凄さは、頑固までに一途な伝統の職人芸が、その華やかな美しさを支えている、丹精込めた手縫いの一品、その美しさは他を圧している。
エルメスを語るには、バックばかりか、まだまだ多くの作品に触れなくてはいけない。
次回は、著者が以前に「エルメス」を取材した時に感じたいくつかのエピソードに触れてみたい。
企画・取材・写真・Nagasawamagazine・編集部 永澤洋二
2017・5・21