NAGASAWA Magazine|ながさわマガジン

ジャズという名の街・ニューヨーク

ローズ・シアター・最大1233人収容の大型多目的ホール、現在、ジャズ、クラシックなどで使われている。

 

ジャズという名前の街を連想すると、ニューヨークと出る。

アメリカの文化は何かと尋ねられれば、即座に、ジャズと答える。

その中心地こそ、ニューヨークだと信じる。

アメリカのジャズは、東部から始まったといっても過言ではない。

イーストコースト・ジャズは、チヤリー・パーカー、マイルス、コルトレーン、オスカーピータンソン、といった巨人たちの礎は確かに揺るぎないものである。

現在、ジャズという言葉は、多様化されていることは確かだ。

あらゆる範囲の音楽というジャンルに広がり、その勢いは何処まで行くのか分からないほど、進歩している。

しかし、基本的なジャズ「スタンダード・ジャズ」は、まだまだ、健在だ。

書籍によれば、ニューヨークにジャズが生まれたのは1930年代だといわれている。まず、黒人たちが多く住んでいるハーレムからジャズのセッションが生まれ、52丁目、ミッドタウン、と今のニューヨークの中心地へと、ライブハウスができはじめ、グリニッジ・ヴィレッジへとジャズ・ライブ・ハウスは広がっていく。

今回は、ニューヨークの幾つかの個性的な「ジャズ・ライブ・ハウス」を訪ねて見た。 今回は、ニューヨークの幾つかの個性的な「ジャズ・ライブ・ハウス」を訪ねて見た。

「ジャズ・アット・リンカーンセンター」Jazz at Lincoln Center

アレン・ルーム
アレン・ルーム

 ジャズ・アット・リンカーンセンターはウエストエリア・セントラルパークのそばにある。以前は、市の公民館だった。1987年ジャズの伝統の継承と発展を目的として非営利団体 ジャズ・アット・リンカーン・センターとして設立された。

 

ジャズばかりか他の音楽イベントホールとして使用されている。

現在、ジャズ・トランぺッターの一人である、ウイントン・マルサリスなどが、このプログラム企画に参加、中心的な役割を担ってきている。同時に、彼を中心とした「リンカーン・センター・ジャズ・オーケストラ」が結成された。 

2004年10月には、ジャズ史上永遠に記録される「タイム・ワーナーセンター」内に、三つの劇場からなる「ジャズ・アット・リンカーン・センター」専用のホールがついに完成した。

そして、これによりジャズのパフォーマンスと教育を目的とした、ジャズ文化の一大拠点がニューヨークに築かれたことになる。

ニューヨークでジャズに触れるなら避けて通れない必見、必聴のライブスポットである。

 

「スモーク・ジャズ・クラブ」Smoke Jazz Club

スモークは、アッパーウエストサイドの住宅地にあるオシャレなジャズクラブだ。このエリアはハーレムと近いのでヒスパニック系など多様な人種が集まる、街自体が熱い空気が感じられる。

近くに名門コロンビア大学があり、知的レベルも高く治安もよい、客層は全体的に年齢層が高く富裕層で連日にぎわっている。

1999年に、「オーギーズ」というジャズバーを二人の若者が「スモーク」と改名してオープンした。

「スモーク」という名前は、現代アメリカ文学の旗手、作家ポール・オースターの小説「スモーク」から、取って名付けたという。

(余談だが「スモーク」は映画化されている)

店内は、赤レンガの壁、テーブルにキャンドルと、ロマンチックに演出されていて、正にオシャレなライブハウスだ。

オーナーの一人、ポール・スターチに話を聞いてみた。

「時々、大物のミュージシャンが飛び入りで演奏に参加するハプニングがあります、また、セレブの人たちも多くいらしていただき嬉しいです」

サウンドも豪華、インテリアもオシャレ、サービス、料理と四拍子揃った理想的なライブハウスだ。

バートランド「Birdland」

世界的に有名なジャズクラブだ。

日本女性として世界手に有名なジャズピアニスト「秋吉敏子」現在「穐吉敏子」がオーケストラを指揮してこのジャスクラブで演奏していたことは有名だ。そのほか、著名なジャズプレヤー、ジャズシンガーなどが連日出演していることでも分かるほど、音楽家なら一度は演奏したいステージもある。

たしか、マイケル・ブーブレもこのステージに上がっている。

 

1949年「バートランド」が生まれジャズの聖地として多くのジャズプレー

を生み、活動していたがジャズの衰退と共にクラブはクローズされた。

そして、1985年に現在のオーナー(2007年当時)ジャンニ・バレンティが、復活させた、そのエピソードは有名だ。

ジャズの巨人チャーリー・パーカーの未亡人ドレスが、ジャンニの許を訪れ、チャーリーの話の中で「バートランド」の話を聞き、チャーリーが愛した「バートランド」の再開を決断したという。

この話と共に、ジャンニに「バートランド」で演奏したプレヤーの中で、一番印象に残ったプレヤーは、「私の友人オスカー・ピーターソンです」と答えてくれた。

 

 

そして、ピータンソンは毎年8月に必ずここ「バートランド」で演奏会をしてくれたことを、懐かしく話してくれた。

そして、オスカーの優しさは、演奏が終わると観客一人一人のリクエストに応えて写真を撮ったりる、その心使いが彼の心に残っているそうだ。

ジャンニは常にアーティストたちとのコミュニケーションを大切にしていることがうかがえる。

インタビューが終わり、 

僕の一番好きなプレヤーはオスカー・ピーターソンですと話すと嬉しそうにうなずいていた。

 

 

11月号、Part 2 続きます。

企画・取材・  nagasawamagazine・永澤 洋二

写真・     阿部 寛(NY在)